第4話

「あ」

「どうも」

 球技大会の日、体育館の二階で五十嵐夢乃と再会した。

 階下ではバレーボールの試合が執り行われている。私たちは偶然隣に居合わせた。

「五十嵐さん、何に出るの」

「ソフトボール。もう負けました」

と彼女は恥ずかしそうに言った。

「歌川さんは?」

「ドッジボール。私も一回戦敗退だよ。危ないよね、人にぶつけるなんてさ」

「ほんとに」

 彼女は苦笑した。

 階下から、ボールの弾む音と、声援が聞こえてくる。コートの中で動く選手はパノラマみたいに、テレビの中の人物のように見える。他人事のように思える。バレーコートの隣はバスケコートで、あえて見ないようにした。ずっと白い球と、それを地面に落とさず繋ぎ続ける選手たちを凝視した。ああ、これもチームでやるスポーツなんだ。なんて、面倒。ドリブルもできないなんて。そんなことを考えた。チームのためにドリブルするなんてこと、もうないのに。

 試合は私のクラスが勝って終わった。クラス唯一の優勝だったので、みんな肩を抱き合って喜んでいた。

 熱の余波が過ぎ去るのを待ってから、私と五十嵐は階段を降りた。

「優勝おめでとう」

「ありがと。クラス唯一の一位だ」

「私のクラスはどれか勝ったかな。ひとつくらい優勝できてるといいんだけど」

 私は相槌を打とうとして、豪速球がとんでくるのを見た。咄嗟に彼女の手を引く。バァン!と破裂するような音を立ててバスケットボールが壁にぶつかった。歩き出していたら、それは彼女に当たっていたはずだ。遠くから男子生徒が「すみません!」と謝っている。練習していて手元が狂ったのだろう。

「だ、大丈夫?」

 私は沈黙している五十嵐に言った。彼女は唖然としたまま、

「…立ってる位置が逆じゃなくてよかった」

と言った。

「もし逆だったら、私運動神経悪いから歌川さん、死んでたわ」

 真面目な顔で言うので、私は噴き出してしまった。


「きいてもいい?」

 教室に戻る道すがら、五十嵐が出し抜けに言った。

「ん?」

「歌川さん、前バスケ部に入ってたでしょう」

「よく知ってるね」

「…退部したの?」

「今申請中。顧問が渋るの。でももう、戻る気ない」

 しまった。剣のある言い方をした。彼女を見ると、困ったような顔をしているので慌てて言い足した。

「もともと、向いてないと思ってたの。根性もないし」

「…そっか。実はね、高総体のとき、何度か試合で見てたの」

「あーなるほど」

 高総体は文化部や帰宅部も応援に駆り出される。

「うん。最近昼休み、図書室来るようになったでしょう。だからそうなのかなって」

 なんだ。私が気付くまえから五十嵐は私の存在に気づいてたんだ。

「そう。今更他の部活に入れないだろうから、本でも読もうと思って」

「そっか。放課後は、どうしてるの」

「即帰宅かな。やることないしね」

 嘘だ。すぐ家に帰ると母に小言を言われるので、なるべく遠回りをして帰っている。

 五十嵐は「そっか」と相槌を打った。

「私は放課後も図書室にいるから」

 そう言って彼女ははにかんだ。



 教室棟まで来て、私達は別れた。

 気持ちと足が連動しないように、わざと下を向いて歩く。今日は図書室が閉まっている。終日球技大会だからだ。でも明日の放課後、私は図書室に行くだろうと思った。

 さっき、あのボールがとんで来た時、私はそれがバスケットボールであることに全然注意を払わなかった。掴んだ手のひらが、マネキンらしくも陶器らしくもなかったことに驚いた。当たり前だけど体温があり、私の指の形に凹んだ。その感触を思い出して、気恥ずかしくなる。まるで変態だと思った。

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