第5話

 パンッという音が廊下に響き渡った。

 事務室の前で、夢乃は傍にいた女性にぶたれたらしかった。彼女はよろけた拍子に私と目が合い、真っ白な顔を赤くして、突然走り去った。

 女性が「待ちなさい!」と叫んでいる。私はその横を走り抜けて後を追った。


 球技大会の後、私は放課後も図書室に通うようになっていた。夢乃は私が来たことに気付くと、「来たね」という目で私を見て、私は「来たよ」という視線を送る。それだけで挨拶は充分だった。私は彼女の傍に座ることもあったし、延々と本を物色していることもあったが、彼女はてんで気にしていない様子だった。いつしか私たちは名前で呼び合うようになっていた。


 彼女は裏庭で息を切らして立ち止まっていた。私は彼女の少し手前で立ち止まる。

「夢乃」

 背中を向けたままなので表情はわからない。彼女は少ししてから

「見られたくなかった」

と言った。

「リイには、見られたくなかった」

「…あの人、お母さん?」

「そうよ。私が嘘つきだってことがばれちゃったの」

「どんな嘘」

「私が部活に励んでいて、友達がたくさんいて、いい子だって嘘」

 そこで夢乃は初めて振り返った。

「ねえリイ、私いい子じゃないのよ」

 彼女は笑っていた。私は思わず彼女を引き寄せた。

「そんなの知ってたよ。でも夢乃はそれでいいんだよ」

 息をのむ気配がした。彼女は小さな声でありがとうと言った。肩にじわりと体温が伝わる。


 知りたくなかった。

 人形みたいな彼女に表情があること。体が空洞ではなく、確かな体重があること。陶器のように冷たそうな肌が本当は熱いこと。

 それがこんなに愛しいなんて、知りたくなかった。

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