第5話
パンッという音が廊下に響き渡った。
事務室の前で、夢乃は傍にいた女性にぶたれたらしかった。彼女はよろけた拍子に私と目が合い、真っ白な顔を赤くして、突然走り去った。
女性が「待ちなさい!」と叫んでいる。私はその横を走り抜けて後を追った。
球技大会の後、私は放課後も図書室に通うようになっていた。夢乃は私が来たことに気付くと、「来たね」という目で私を見て、私は「来たよ」という視線を送る。それだけで挨拶は充分だった。私は彼女の傍に座ることもあったし、延々と本を物色していることもあったが、彼女はてんで気にしていない様子だった。いつしか私たちは名前で呼び合うようになっていた。
彼女は裏庭で息を切らして立ち止まっていた。私は彼女の少し手前で立ち止まる。
「夢乃」
背中を向けたままなので表情はわからない。彼女は少ししてから
「見られたくなかった」
と言った。
「リイには、見られたくなかった」
「…あの人、お母さん?」
「そうよ。私が嘘つきだってことがばれちゃったの」
「どんな嘘」
「私が部活に励んでいて、友達がたくさんいて、いい子だって嘘」
そこで夢乃は初めて振り返った。
「ねえリイ、私いい子じゃないのよ」
彼女は笑っていた。私は思わず彼女を引き寄せた。
「そんなの知ってたよ。でも夢乃はそれでいいんだよ」
息をのむ気配がした。彼女は小さな声でありがとうと言った。肩にじわりと体温が伝わる。
知りたくなかった。
人形みたいな彼女に表情があること。体が空洞ではなく、確かな体重があること。陶器のように冷たそうな肌が本当は熱いこと。
それがこんなに愛しいなんて、知りたくなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます