パパ上様日記 〜思い出は、きつねか、たぬきか〜

ともはっと

パパ上のパパ上が好きだったのは緑色

「よし。コンビニについた。思う存分選ぶがいい」

『うん、僕は見えないから選べないけどね』


 コンビニの陳列棚の前にて。

 私ことパパ上は、体調を崩して寝込んだ妻が料理ができない為に、会社を早めに切り上げて自宅近くのコンビニで料理と言う名のカップ麺を手に入れるため、来年は中学生になる息子ことセバス(チャンではない。私が勝手に息子につけた仮名だ)とスマホ片手に会話をしていた。


 そう言えば、と。

 普段風邪とか体調を崩さない妻が体調を崩すと、なぜか自身の父親を思い出す。

 私は、セバスと会話しながら脳裏には父親を思い出しながら話すという、身の入らない状態で会話をし続けている。そこに更に子供のことや我が愛しの妻のことも考えろと言われたら、そりゃ脳内キャパもいっぱいいっぱいだ。


 そんな息子のセバスと娘のチェジュン(仮名)が、


「今日の夜飯なにがい――」

「「カップラーメン」」


 と、無駄にお小遣い制の私の懐事情を理解して(そんなわけない。ただラーメンが好きなだけだ)安めな値段のものをご所望されたので、会社帰りに選んでいるわけで。


「おい、セバス。お前は緑と赤いのどっちが好きだ」

『えー? パパ上はどっちが好き?』


 ちっちゃな頃から私のことは『パパ上様』と呼べと言い聞かせた結果、大人になったら黒歴史化しかねない呼び方をする我が家の長男の質問に、


「ばっかお前、パパ上が好きなのはお母さんに決まってんだろ」


 こんなコンビニの中で、何を言わすのかと、思わず半ギレだ。

 言ったのは、私だし、恐らくは息子はそんな答えは求めてはないだろう。


『……なにいってんの。ちなみに僕のことは?』

「お前はあれだよ。その、あれだ」

『なにさ』

「もうちゅう(もう中学生の略)なのに甘えてんじゃねぇ!」

『じゃあそういうの言わないでくれる!? たーたーかーれーるー』


 とか何とか。

 だからな? コンビニだっての。騒ぐところでもない。なにを言わそうとしているのかと。

 後、そんなことで叩いたこと、ないから――いや。あるな。

 あくまでじゃれ合い程度だ。ほんとだよ?


 そんな会話をしながらも、私の、子供達が求めるカップラーメンの物色は止まっていたわけではない。手には、カップ麺はちゃんと納まっている。


 今、私の手にあるのは、赤いきつねだ。


 赤と緑で、日本国民中が知っているだろう知名度の高いカップ麺ではある。


 きのことたけのこの論争と同じように、赤いきつねと緑のたぬきもどちら派なのかという論争がありそうではあるが、私はどちら派かと聞かれれば、赤いきつね派だ。


「……まあ、赤いきつね、だな」


 先のどうでもいい茶番を忘れ、話を戻して手にもった赤の側面の栄養成分表をじっと見ながら息子に伝えると、


『じゃあ、僕はパパ上と舌の好みが一緒だからそれでいいよ』


 舌の好みを語るとか、お前はグルメかっ!


 と、思わずツッコミを入れたくなる発言をしてきたのだが、ここはコンビニ。

 流石に最初に妻への愛を息子に囁くというよく分からないやり取りをコンビニ内でして、後ろを丁度通り過ぎていったおっさんおっさんがびくっと体を震わせてぽっと頬を赤らめ私のことをちらちらと見るという、そこから愛が始まるような出会いが起きそうな出来事が起きていれば、これ以上は流石に言うのも躊躇われるというものだ。


「でもな、セバス」

『ん?』

「赤いきつねも緑のたぬきも。どっちも、西と東でつゆの味の濃さが違っているから、お前はおじいちゃんが好きだった緑のたぬきの味は、味わえないんだけどな」

『……うん? 何でおじいちゃんの話を語り出したの?』


 私が持っている赤いきつねも緑のたぬきも、JASのマークのちょい下辺りにある表示は「E」。つまりは、East=東寄りの風味。


 私の実家である、富山県は、西と東のどっちに分類されるのかいつも良く分からないのだけども、基本西――つまりはWest=西寄りの風味だから、私の今いる千葉とは味が違う。

 ちなみに富山県は、なぜか「W」も「E」もごっちゃになってたりする。昔からの薬の街と知られる街だ。恐らくは東西の中継点として古くから栄えていたからだろう。流石、独立国家富山王国。我が故郷。


 そんな私のパパ上。つまりはパパ上のパパ上――パパパパ上は、うどんより蕎麦派。じゅるりと汁を思う存分吸い込んだお揚げより、かりっとしたさくさくの小えび天ぷらが好きだった。昔は美味しそうに食べるパパパパ上を見て、そんなに美味しいのかと思ったもんだが、かりっと音を立ててせんべいのようで、時には混ぜて蕎麦に絡めて食したりする様々な食べ方があると聞けば、緑も捨てたもんじゃないと今にしても思う。

 だけども、私はお揚げに吸い込ませた汁を押し出して吸うことがとても好きなので、緑より赤。お絵描きでたぬきを大層描いては、自身のマークをたぬきにしておきながら何を言うかと思うもんだが、そこは譲ることはできない。


 まあ、私の話よりも。

 そんな緑のたぬきが好きだったパパパパ上は、定期的に健診にはいっていたものの、病巣が見つかるのが遅くて末期癌を患い、孫を見ることなくこの世を去ったわけだが、最後は食事制限とかかかっちゃってたもんだから、あんなに好きだった緑のたぬきは食べることできなかったんだろうなとか緑のパッケージを見ながら思う。


 これで、緑のたぬきが最後に食べたものだった、とかなら、本望であるのかもしれないが、パパパパ上の本当の最後の晩餐に選ばれたのは、焼き鳥だったわけで。


「んじゃ、緑のたぬき、買っていくからな」

『え』


 時にはカップラーメンを作った(3杯くらい)矢先に全部食べられて中学生になってまでも半泣きにさせられたこともパパパパ上とのいい思い出ではあるのだが、パパパパ上が好きであったこれを見ていて、ふと思うことがあった。




 私は、あの人に親孝行できたのだろうか。と。




 私の親孝行といえば、妻へのプロポーズが「父さんが末期なんだけど、誰も兄弟の中で結婚してなくて、最後に結婚式に出してやりたいから結婚してくれ」なんてものが唯一なんではないかと、妙に昔のことを走馬灯のように思い出した私は、久しぶりに赤いパッケージではなく緑のほうを掴んで買い物カゴに入れてはレジへと向かって会計を済ます。


「よし。買ったし、今から帰るからな。今日は緑のたぬき祭りだ」

『いや、待って』

「ん?」

『何で僕、緑のたぬき食べることになってんの?』


 ……ごもっとも。


『まあ、時には新しい味にチャレンジしてみるのもいいけどさ』


 グルメかっ!


 今日二度目のグルメみたいな発言をする息子に、コンビニを出たときにおっさんおっさんと目があってしまったので心の中でツッコんでおく。おっさんおっさんとめくるめく愛の逃避行なんておこっても困るからな。


「お前蕎麦好きだろ」

『蕎麦好きなのパパ上でしょ。だったらパパ上が食べなよ』

「パパ上は、西の緑しか食べないから」

『グルメかっ!』



 グルメ返しをされながら。

 私の気分でたまたま買った久しぶりの緑のほうは、パパパパ上みたいに美味しそうに子どもたちの前で食べることができるだろうかと、不思議な気持ちで帰路へと。


 今日はよく昔のことを思い出すなぁとか思いながら、空を見上げる。


 空には三日月の月。

 そういえば、パパパパ上が亡くなった日もこんな月だったなぁとか思い出すと、自然に笑みがこぼれた。


 富山も、ここも。

 見ている月はきっと一緒。


 であれば、こんなセンチな気分の時に、月を見つめては思ってもいいじゃないか。




 拝啓

 天国にいるパパ上のパパ上様へ


 あなたの孫は、あなたのように、緑のたぬきは食べないようです。


 きっといつか、緑のたぬきの美味しさにも気づくと思いますが、まだまだ先のようで。

 そんなあなたの息子も、赤いきつね派ではあるのですが、今日くらい珍しく緑のたぬき派に寝返ってもいいとも思うのです。


 いつか私が天に召されるときには、緑のたぬきについて話しましょうか。





 なんて。

 今は亡き父を想い、夜中の空を見上げて語る。




 今日もパパ上のお家は――










「私、ごつ盛りの塩味がよかった……」



 家に帰ったら、娘が食べたくないと泣き出すという、緑や赤とまったく関係ない話もありながらも。



 パパ上家は、今日も平和だ。










「後。これ、ラーメンじゃないよね?」





 ………………あ。

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パパ上様日記 〜思い出は、きつねか、たぬきか〜 ともはっと @tomohut

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