第4話

 翌日の午前、列車は定刻通りに発車した。

 昨夜は民宿で、やはり海産物がメインの夕食を取り、名産なだけあって値段以上に美味い白ワインを少し飲んで、シャワーを浴びるとすぐに眠った。

 色々考えたせいか少し眠りが浅く、今朝は予定の時間に起きられずに二度寝して、行こうと思っていた魚市場の朝市に行きそびれてしまった。

 しかし二度寝など、どのくらいぶりだか思い出せない。

 だらしなくなっていくようで、気を引き締めなければと思う気持ちと、休暇なのでそれも良いのではと思う気持ちがせめぎ合っていた。

 何せ、ずっとフェルと一緒にいて一人で過ごす休暇というものが初めてなので、何が正解か分からない。

 幸いなことに、二度寝しても列車の時間には間に合ったので、駅前の土産物屋で職場に軽く土産を買ってから列車に乗り込んだ。

 次の駅まで、列車はまた丸一日走り続ける。 

 ここから5駅は内陸部で、終点でまた海沿いの街に出るらしい。

 東から西へ移動しつつ南下するようで、終点は同じ海沿いと言えど昨日のような港町ではなく、海水浴場メインの南国リゾート地だそうだ。

 本当にフラウデル国の長さには驚かされる。

 浅かった睡眠を取り戻すように、寝たり起きたりを繰り返し、数冊持ってきた本も読み尽くしてしまい、名所を通ると車内アナウンスが流れるとはいえ、暇を持て余す。

 フェルがいないと、こんなにも静かで、時間がゆっくり過ぎるのだろうか。

 それとも、鉄道での旅とは元々こういうものなのだろうか。

 さほど動いていないせいでそんなに腹も減っていないが、夕食の時間には食堂車に向かう。

 朝食と昼食は各自追加料金で食べるシステムだが、走行中の夕食はチケット代に含まれているからだ。

 初日とはまた違ったメニューのフラウデル国料理のコースを食べながらなんとなくカロリーを計算し、フェルにはとても出せたものではないなとぼんやり思い、フェルはもういないのだからそんなことを考える必要はないのだと、もう何度目になるか分からない溜息を吐く。

 身体の弱いフェルの健康に色々と気を配って食事の手配していたのだから、習慣として仕方ない、と言い訳がましく自分に言い聞かせる。

 太ってはたまらないので、次の街では沢山歩こうと思った。



 次の街でも、その次の街でもやはり何かにつけてフェルのことを考えては、これは習慣だからと首を振ることを数えきれないほど繰り返し、4つ目の停車駅がある街――旅のちょうど真ん中の地点になって、ようやく、フェルの死が淡い輪郭を持ち始めてきた。

 旅を始めてから、1週間が過ぎていた。

 列車が走っている時間は、物思いにふけることが多い。

 やはり、フェルのことを考えてばかりいる。

 フェルの存在が自分の生活の大部分を占めていたことも事実で、失われたものの大きさを思い知った。

 子供の頃の自分には思いもよらない発想で大人を言い負かす姿、ベラと楽し気に俺には分からないような小難しい話をする姿。

 傍でフェルをずっと見ていて、自分には出来ないことを軽々とやってのけるフェルへ仕えていることに誇らしい気持ちになることが多かった。

 大きくなってからはますますその天才ぶりに磨きがかかり、俺であれば尻込みするような相手や条件の商談であろうと、フェルは生来のあの機転の良さと図太さ、想像の斜め上をいく言動で、その場を自分の空気に塗り替えて、あっという間に相手を自分のペースに乗せてしまっていた。

 そして商談が終わる頃には、誰も彼もがフェル自身やフェルの提案する条件を気に入って、進んで取引したい、提携したいと思っているのである。

 それを見る度、恐ろしい才能を見ている気がした。

 幼い頃から一緒にいるのに、手の届かない高みにいる絶望から、徐々に自分が憧れることすらおこがましいと思うようになった。

 立場上、俺とフェルは主人と従者で、フェルはベラを愛していて。

 だから、世話を焼いて、フォローを入れ、たまに悪態をついて、アイツの幸せを見守るだけでいいはずだった。

 それなのに焦がれるような目で求められ、身体を重ねてしまったから。

 全てを欲してしまいそうになっていた。

 ベラと、フェルと、クリスの3人を眺めて胸が痛むことが増えていた。

 フェルの余命を聞いて、信じたくなくて、亡くなった後のことを考えないようにしながら、ずっとここまで来た。

 フェルの手紙を読んでしまえば、否が応にも現実と、自分の想いに向かい合わなければならない。

 5つ目の街でも、6つ目の街でも、手紙を読めないまま、ついに、終点の街にたどり着いた。



 終点を告げる列車を下りれば、これまでで一番大きな駅で、下りた瞬間の熱気が桁違いだった。さすが南国リゾート地パルメリーである。

 改札を抜けてメインストリートに面した出口を出れば、車も人通りも多い都会の駅だった。

 駅前のロータリーの灼けたアスファルトは陽炎が見えそうなほどで、砂漠とはまた違った暑さの様相を呈している。

 駅のすぐ向こうには白いビーチが見え、バカンスを楽しむ海水浴客で賑わっていた。

 海水浴も良し、南国レジャーも良し、ショッピングも良し、夜の街を楽しむも良し、ホテルでのんびりするも良しの至れり尽くせり具合である。

 俺は、列車の旅で思うように動かせなかった身体を、思い切り動かしたいと思っていた。

 予約したリゾートホテルには付属のスポーツジムやプールがある。

 チェックインしたらまずそこを利用しようと決めて、移動した。


 そこそこいい値段のリゾートホテルなだけあって機器の充実したジムで汗を流し、スパを利用してこざっぱりとしてから部屋へ戻る。

 オーシャンビューの部屋から夕陽が見えて、ついに明日には旅を終えるのだと思うと、手紙を読まなければと思った。

 大きく深呼吸してから、震える指で、裏面を外側にして二つ折りにされた手紙を開く。

 繊細な筆運びの文字を目にして、フェルが亡くなってからほんの一ヶ月少々だというのに懐かしさが込み上げた。


『親愛なるトラウゴット・バルデル様


 やあ、プレゼントした列車の旅は気に入ってくれたかい? 僕のせいでずっと働き詰めだったから、少しはゆっくりしてもらえるといいんだけど。

 この手紙を読むのに、トラウはどれくらいかかったかな。トラウは真面目だから、きっと旅行が終わるまでに読もうとするんだろうね。

 本当は、読まずに破り捨てたっていいのに。

 トラウ、君には、感謝と謝罪をいくらしてもしきれないくらいだ。

 幼い頃から、周りとズレた僕のフォローをしてくれたこと。

 病弱な僕が孤独にならないよう、いつも傍にいて世話をしてくれたこと。

 身を挺して僕を庇ってくれたこと。

 僕の厄介な性的嗜好と愛情の食い違いのことを、受け入れて、協力してくれたこと。

 遺されるクリスとベラのために、最後まで力を貸してくれたこと。

 本当にありがとう。そして、本当にすまなかった。

 僕は君の好意を利用して、それに応えないまま、ずっと、君を縛り付けていたんだ。

 ひどい話だろう? 

 君と身体を重ねる度、その目に滲んだ焦がれる気持ちを押し殺すような苦悶の表情を見て、申し訳なさで胸が苦しくなると共に、ゾッとする程の喜びと興奮も覚えてしまっていたんだ。

 僕はベラを、クリスを、本当に愛している。

 でも、君に抱く愛情は、もっと暗くてドロドロした支配欲にも似た劣情だった。

 まさかあんな提案、あっさり受け入れてもらえるとは思っていなかった――とは言い切れないんだけど、正直、五分五分かなと思っていたんだ。

 一線を越えるべきではないと分かっていたのに、越えてしまった。越えさせてしまった。

 君がもっと利己的で悪い奴だったら、一緒に堕ちるところまで堕ちることができたかもしれないけど、君はどこまでも律儀で生真面目だった。

 だから、君のためにも、僕がベラやクリスを裏切ることは出来なかったんだ。

 おかげで、僕は、皆に愛されたフェルディナント・アルテンブルクのまま、死ぬことが出来るよ。

 君は、代々うちに仕えているバルデル家の人間として、僕が死んだ後も、きっとベラやクリスを支えようとしてくれるだろう。

 クリスは俺に似ている。このまま彼が大きくなる程に、君は僕の面影に苦しめられることになるだろう。

 だから、もういいんだ。君は自由になってくれていい。

 もう僕という枷はなくなったんだから、好きに生きてくれ。

 君ほどの能力があれば、どんなところに勤めたって上手くやっていけるだろう。

 もし君が辞めたいと言ったら叶えてあげてほしい、なんなら再就職先も斡旋してほしいと、ベラには伝えてある。

 僕にできる最後のお礼だ。

 トラウが傍にいてくれて、僕は、本当に幸せだったよ。

 これまで、ありがとう。

 どうか、君のこれからの人生に幸多からんことを。


                    愛をこめて


                    フェルディナント・アルテンブルク』

 読み終えて、目を閉じ、天を仰ぐ。

「ひでぇ男だ、まったく……」

 ため息交じりに呟いた。

 ああ、どこまでもフェルらしい。

 死んだ後でこれを読ませる狡さも、残酷さも、何を書けば俺が喜ぶか分かっていることも。 

 締め付けられるような胸の痛みを覚え、頬を熱い雫が伝った。

「ああ……そうか。死んだんだな」

 フェルの死を受け入れて自分の気持ちを見つめるのに二週間の一人旅を要する程度には、俺は悲しかったらしい。

 フェルの遺髪をそっと指でなぞる。

「俺も幸せだったよ、フェル」

 フェルの笑顔が浮かんで、嗚咽がこぼれた。



 ジャルマルド国への帰国の飛行機は、翌日の午後の便だった。

 昨日の手紙で何かが吹っ切れた俺は、涙が渇いた顔を洗って、夕飯はホテルのレストランの豪勢なディナーをたらふく食べ、朝もゆっくり起きて、スパにいって列車移動で凝った身体をマッサージでほぐしてもらい、職場や友人、家族などあれこれ土産を買い漁った。

 土産の郵送の手配をするのに、昼までかかってしまったので、遅めの便を取っておいて正解だったと考える。

 二週間かけて横断したフラウデル国も、今日でお別れだ。

 ジャルマルド国までは、飛行機だと一日かからずに着く。

 それを思えば、本当に、この二週間は贅沢な時間の使い方だった。

 例え、手紙にあったようにベラやクリスに仕えるのを辞めて、他の仕事に就いたところで、きっとこれからも、俺はあちこちにフェルの面影を感じながら、フェルのいない日々を生きてゆくだろうと確信していた。

 フェルの死が残した心の傷は、この先も完全に癒えることはないだろうし、それでも俺の幸せを願ってくれたフェルへの恩は消えない。

 だからこそ、良くも悪くも俺の思い出の大部分に存在し続けたフェルのことを、忘れないでいたいと思った。


 そうして、はたと自分への土産を買っていなかったことを思い出し、最後にフラウデル国の名産品を色々売っている店に足を運ぶ。

 何かいいものがないかと店内を物色していると、様々な色の絹織物に繊細な刺繍の施されたペンダント型のお守りが売られているコーナーが目に留まった。

 絹織物は袋状になっていて、その下に並んでいる天然石と好きな組み合わせにできるらしい。

 俺は黒地に紅白で刺繍の入った袋のペンダントだけを手に取り、キャッシャーへ行く。

 すぐ身に着けられるようタグを切ってもらって、封筒に入れたままだった遺髪を袋の中に移した。

 些か感傷が過ぎると自分でも思いながら首に掛けるが、それでも、フェルの死について考え続けたこの二週間の自分への土産としては、適切なものだと思った。

 フェルが亡くなったこの先、ベラやクリスが内部争いなどで危機に晒されることがあるとも限らない。

 色々と配慮してくれたフェルには悪いが、俺はこのままベラとクリスに仕えたいと思う。

 まあ、こういう俺の思考を読んでフェルがああいう書き方をした可能性もあるが、それならそれで掌の上で転がされてやろうと思った。

 フェルに代わって二人を助けられるように。命が終わるその日まで、フェルとの記憶がずっと俺に寄り添い続けるように。その思い出が、追い風となって俺を歩かせるように。

 そんな願いを込めて、遺髪の入ったペンダントに触れた。

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遺髪いだきて旅ゆけば 佐倉島こみかん @sanagi_iganas

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