第7話 それぞれのカミヒコウキ
「ただいま」
美咲は久々に実家の玄関を開けた。社会人になってから、年末年始位しか帰っていない。今日、実家に帰ってきたのには理由がある。
「お母さん、シロは大丈夫?」
「獣医さんに診てもらったけど……。もう……ねぇ」
母の口にした、『もう』という言葉に美咲の胸が詰まる。小学生のころ美咲の家にやってきたミニチュアダックスフント。いつも一緒にいたシロは、美咲にとって大事な弟である。いつか来るであろう別れの時は覚悟していたが、実際にとなると目の前が暗くなる。
シロとの最後の時間になるかもしれない。美咲は僅かな時間ではあるが、シロの横にいたいと考えていた。
「お母さん、シロと公園に行かない?」
「そうねぇ。いいんじゃないかしら」
美咲はシロを抱え、公園に向かっていた。小さい頃は、美咲を引張るように走り回っていた。今は、美咲の腕の中で静かに抱かれている。こんなに小さかったかなと、美咲はシロの温もりを抱いていた。
公園に着くと、芝生にシートをひく。美咲はゴロりと転がり、青空を眺めていた。流れる白い雲、吸い込まれそうな蒼い空。秋の匂いが混じる、優しい陽だまりの中でシロと寝転んでいた。
◇◇◇◇◇◇◇
身体を壊してから、散歩にはいっていない。私は部屋の中で過ごす時間が増えていった。今日は久々に、公園に来ている。草原の様に広がるこの空間は、良く駆け回ったものだ。
今は私の大好きな人達と、陽だまりの中でゆっくりと転がっている。それだけなのだが、私の心は弾み、嬉しさに溢れている。
眺める空の蒼さに、私は大きく吠えていた。
◇◇◇◇◇◇◇
「いい天気で良かった!」
春斗は心の底からそう思っていた。先週まで雨が続き、この週末も怪しいと予報されていた。蓋を開けてみたら、穏やかな秋晴れで、風が心地よい。
春斗はひかりを誘い、公園に来ていた。ひかりと初めてあった日は、凄く驚いた。お客と思っていたが、急にこんなことを言われた。
『すみません、ここで働かせてください! 私の直感が叫んでるんです! ここだ、って。今の仕事も辞めるんでお願いします!』
春斗は驚きと、勢いの凄さに承諾してしまったことを思い出す。どのみち、一人で切り盛りすることに限界を感じていたときでもあった。
春斗はひかりと働くうちに、彼女のもつ魅力に惹かれていた。優しく、温かみのある笑顔で皆を癒やしてくれる。お客も、商店街の皆、そして春斗も。
いつの頃からか、互いを意識する様になり、春斗はひかりと付き合い始めていた。いつかは、二人で一緒に暮らしたい。今日は、付き合って一年の記念日。春斗は意を決して、プロポーズするつもりでいる。
カバンに忍ばせた指輪が気になり、春斗は落ち着けないでいた。
◇◇◇◇◇◇◇
ひかりは、記念日というものにそこまで執着するタイプではないと自己分析している。それでも、付き合い始めて一年経つ今日は、特別に嬉しい。
勢いで降り立った街で、素敵な人と、その人が創る店に出会えたことは奇跡としか言いようがない。この公園は春斗が告白してきた場所で、二人の思い出の一つだ。一年前を思い出しながら歩いていると、急に呼び止められる。
「あの……、ひかりさん!」
ひかりが振り向くと、春斗の顔が強張っている。具合でも悪いんだろうか。顔色が悪いように、見えなくもない。
後ろにまわしていた手を、春斗がぎこちなく伸ばす。その手をみつめると、ひかりは自然と涙をこぼしていた。
◇◇◇◇◇◇◇
優太は、最後の定期演奏会に緊張ではなく寂しさを感じていた。受験生となる時期であるから、仕方がないが。
週末の公園は、晴れたこともあり人で賑わっている。色々な人が、想いが、笑顔が溢れている。その一瞬、自分達の音楽で彩りを与えられたら。優太は寂しさを紛らわす様に、景色に人を眺めていた。
「優太! ぼーっとしないで、しっかりしてよね!」
「分かってるって!」
優衣の一言で気持ちを切り替える。優太は空を見つめ目を閉じ、そして大きく息を吸込む。あの日以来、優衣と一緒にいることが、優太の幸せである。気が付けたことは、幸運かもしれない。
優太は、優しい音を蒼い空に向かい奏でた。
◇◇◇◇◇◇◇
「シロ、きれいな音が聞こえるね」
美咲は風に乗って流れてくる音楽に、耳をすませていた。優しく、どこか寂しげで、希望に溢れた音楽。ゆっくりとした時間の流れの中、美咲は踊っている様な感覚であった。
音楽が終わる。静寂のあと、響き渡る拍手。拍手が終わったあとのことだ。蒼い空を泳ぐ、白い翼、
紙飛行機が空を舞っていた。シロを見ると、立ち上がっている。ゆっくりとゆっくりと、舞い落ちる紙飛行機の近くに向かっている。美咲は滲んだ視界の中、シロを追いかけた。
紙飛行機は乗客全員を目的地に届けた。
〜完〜
カミヒコウキ 南山之寿 @zoomzero
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