第6話 奏でるカミヒコウキ
「多田! いましかないぞ!」
「優太! 今日で最後よ!」
優太は、一歩踏み出す勇気が振り絞れずにいた。その背中を押そうとしている友人の声を受け止めていたが、優太には良く分からなくなっていた。
◇◇◇◇◇◇◇
優太が通う中学校は、吹奏楽部が地元でも有名である。市や県のコンクールにも出場し、優秀な成績をおさめている。過去には、金賞受賞など輝かしい歴史も持っている。優太は幼馴染の石川優衣に誘われ、吹奏楽部に入部していた。
同じクラスの田中圭介は、中学校に入学してから毎日の様に時間をともにしている。出席番号が近く、一年生の時からの親友だ。優太と同じく、吹奏楽部に入部した。塾や他の習い事と両立するため、練習日の都合が合う吹奏楽部を選んだと聞いた。
優太と、優衣との付き合いは長い。同じマンションに住んでいて、小さい頃から一緒に遊んでいる。優衣はピアノを習っていたこともあり、自然と吹奏楽部を選んでいた。何の部活に入るか悩んでいた優太を半ばむりやり吹奏楽部に入れた張本人だ。優太は吹奏楽部に憧れていたこともあり、優衣からの誘いを断らなかった。中学校入学前の春休みに商店街のイベントで、吹奏楽部を初めて見た。そして初めて聴く吹奏楽部の生演奏。心が弾み、踊りだす感覚に包まれていた。
入部後、優太は金管楽器のパートに配置された。優衣も同じパートだった。優太は入部当初、音すら出せなかった。ましてや、楽譜なんて読めなかった。そんな中、一学年先輩の北川ゆきは親切丁寧に教えてくれた。一ヶ月立つ頃には、優太もなんとか音を操れるようになっていた。優太は、密かに北川に対して憧れを抱いていた。
抱く儚い恋心を口にすることは無かった。変な空気になることが怖かったというのもあるが、気持ちの伝え方が分からなかった。伝えた後に、どうなりたいのかも。そんな気持ちを置き去りにして、時間だけはどんどん前に進んで行った。優太は二年生になり、三年生は引退。気がつけば、来週には卒業式だ。
優太は初めて、二人に悩みを打ち明けていた。悩む優太を前に進めようと、圭介は色々なアイデアを出してくれた。
「優太、卒業式に気持ちを伝えようぜ!」
圭介の後押しもあり、優太はその提案を受け入れていた。一週間後が本当に存在する世界なのか、優太は不思議な感覚ではあった。
商店街を優衣と並んで歩いていた。卒業式に先輩達に渡す花を予約しにいくためだ。歩いていると、胃袋を誘惑する甘く香ばしい風が優太の鼻孔に流れ込んできた。惣菜屋のコロッケ。この店のコロッケはたまに食卓に出てくる。小さい頃から慣れ親しんだ味で、優太の好物でもある。ただ、いまは予定があるので立ち寄らず、歩みを進めた。
「先輩達、いなくなっちゃうね。少し、寂しいや」
「そうだな。いつの間にか、俺達が一番上か……。実感わかないな」
「そうよね……。楽譜も読めない優太がここまで成長するとは。すごいね~」
優太の隣で優衣が笑っていた。楽譜の読めなかった優太は、優衣に助けを求めるように教わっていた。優衣のおかげもあり、優太は楽譜の読み方を直ぐに覚えることができたことを思い出していた。
その後も、くだらない会話を続けながら歩いていると、目的の花屋に到着した。二年ほど前にできた、商店街の中では新しい店だ。
「すみません。花の予約をしたいんですが」
「いらっしゃい。ちょっと、待っててくれるかな」
店長と思わしき男性が、箱を抱えて歩いてきた。配達にでも行くのか、店の脇に停めている軽トラックの荷台に積み込んでいた。
「ひかりさん! お客さんの予約聞いておいて! 僕は配達に行かなきゃならないから。頼んだよ」
名前を呼ばれた女性店員が、優太に声をかけてきた。凛とした綺麗な女性。花を眺めるその店員の目は、幸せそのものという印象だった。
「いらっしゃい。今日は、何のご用かしら?」
「ええと、来週、卒業式で、花が必要で、ええと……」
優太は緊張のあまり、自分が何を口にしているのか分からなくなっていた。優太を見かねて、優衣が助け舟を出してきた。
「来週、中学校の卒業式なんです。部活の先輩にお花をあげたいんです。予算は二千円から三千円位です」
「お花が多めになる様に選ぶ感じでいいかしら? 春っぽい彩りで、そうねぇ……こんな感じかしら」
女性店員が店内に陳列された商品を指さしていた。淡い黄色のキレイな花束。女性店員のオススメであった。優衣が気にいったこともあり、優太もその花束に賛同した。ただ、一つ違う花に目を奪われた。ピンク色のチューリップ。その花言葉は『愛の芽生え、誠実な愛』とポップに書かれていた。
優太は気にはなったが、とりあえず用件を済ませるのが先と、予約用紙に必要事項を記入した。当日の8時には受け取れる。卒業式は9時からなので、十分間に合う。優太は一仕事終えた安心感に浸っていた。
帰り道、優衣が笑っていた。
「きれいだったね!」
「えっ? ああ、花ってきれいだよな」
「違う違う! 店員さんの話。優太は緊張しちゃって話せないしね」
「違うわ!」
優太は、優衣が痛いところを突いてくるなと感じた。優太にとって優衣は自然体で話せる数少ない相手だ。そのせいか、本音や考えていることが見抜かれている気がする。もうすぐ商店街を抜けるという場所で優太は自分の荷物を花屋に忘れたことに気が付く。
「あ! 俺、荷物忘れてた。とりに行ってくるわ」
「しっかりしなさいよ! 私は先に帰るわね」
優太は優衣と反対方向に走っていった。花屋につくと、先程の女性店員が笑いながら荷物を渡してくれた。優太は荷物を受け取り、ホッとした。ただ、その後直ぐに女性店員に話しかけられドキっとした。
「さっきの子は彼女?」
「ち、違います! ただの幼馴染です!」
「幼馴染ねぇ……。君の笑顔と雰囲気っていうのかな、凄く自然で彼女とピッタリな空気だったから。ごめね、変なこと聞いて。あ、そうそう! これ、良かったらどうぞ」
手渡されたものは紙飛行機。懐かしい遊び道具との再開。花屋でもらう紙飛行機は、新鮮さを感じた。優太はお礼を伝え、帰路についた。道中、紙飛行機を見ていると、詩の様な文が書かれていることを見つけた。
『君の幸せは、君の直ぐ側に』
そして、最後はこう綴られていた。
『この言葉を、あなたに。あなたの役にたてたならば、この紙飛行機を飛ばしてください』
この一文を読んだ時、優太は何かモヤモヤするものを感じていた。幸せってなんだろうか。直ぐ横で、優太を包み込む幸せ。その正体はわからないが、心の中に正体を知る自分がいる気がした。
その日から卒業式まで優太は、その正体を突き止めようと必死に考えていた。
◇◇◇◇◇◇◇
「多田! いましかないぞ!」
「優太! 今日で最後よ!」
優太の背中を押す言葉。優太がふと気が付く。いつもの優衣の声ではない。トーンというか、何かが違う。悲しみを感じる。先輩との別れではない、別の何か。優太には、耐えられなかった。優衣の声は弾む様に元気で明るく、優太を穏やかに包み込んでくれる。そうであったはずだ。
優太は、長い間自分の気持ちに蓋をしていた。今の幸せを壊すことを恐れ、気が付かないフリをして違う道を歩こうとした。何が優太にとって幸せなのか、花屋の女性店員がくれた紙飛行機のおかげで気が付くことができた。
「北川先輩。卒業おめでとうございます! お世話になりました!」
それは、憧れであった。恋愛の感情ではない。優太は、二年間の感謝を空に届く様な声で伝えた。そして、後ろにいる優衣に向かって歩き出す。
一本のチューリップを握りしめて。
――紙飛行機は搭乗口を変更した。
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