キュウリ男と編集さん 14

「もー、なんで振袖なんて着ちゃったんだろ!」


 段を降りきると羽織屋さんはため息をついた。


「いいじゃないですか。インフルエンザのせいで、着る機会を逃してたんでしょう?」

「そうなんですけどねー」

「写真のハカマ姿も可愛かったですが、振袖姿もなかなか素敵ですよ」

「お世辞を言っても何も出ませんよ!」


 恥ずかしそうな顔をして俺をにらむ。


「お世辞なんかじゃなくて、本心から言ってるんですが」

「ちょっと、なに言ってるんですか! めっちゃ恥ずかしいじゃないですか!」


 顔を真っ赤にしながら、俺の腕をたたき始めた。


「え、いや、本当にそう思ったから言ったまでで」

「まーた、そういうことをさらっと!」


 俺の腕をたたく強さがどんどん強くなる。


「ちょっと羽織屋さん、それ以上たたくと、俺の腕が大変なことになります」

「あ、すみません」


 羽織屋さんはあわてて手を止めた。


「意外と乱暴ですね、羽織屋さん。きっと俺の腕、青あざがいっぱいできてるだろうなあ」

「そんなに強くたたいてませんよ!」


 わざとらしく腕をさすっていたら、ツンッとした顔をして前を歩いていく。


「ま、振袖が日の目を見て良かったですけどね。今回のお見合いがなかったら、一体いつ着るんですか状態だったし」

「お友達の結婚式があるでしょ?」

「それがですね、まだ誰一人として結婚した人がいないんですよ。噂すらないんです。もしかしたら、全員が行かず後家ごけになったりして! あ、笑わないでください。私、本気で心配になったんだから!」


 思わず笑ってしまったが、当人はかなり本気で言っているらしい。


「だけど、少なくとも羽織屋さんは、当分はその気がないんでしょ?」

「今のところはですけどね。それでも行かず後家ごけはさすがにイヤですよ。そういう小此木おこのぎさんはどうなんですか? えーと、四捨五入して三十歳でしたっけ? そろそろなのでは?」


 そう言いながら、質問の矛先をこっちに向けてきた。


「今のところ考えてないですね」

「周りの人はどうなんですか?」


 その質問に、同期達や先輩後輩の顔を思い浮かべる。


「んー……半々ってところかな」

「また中途半端な状態で」

「独身でいると、それこそ上官からこの手の話を押しつけられましてね。逃げるに逃げられず、しかたなくという連中もいるんですよ。そういうのを見ていると、まだ先で良いかなあって」

「上司の紹介をしりぞけるなんて、なかなかできないでしょ?」

「そこはまあ、口八丁手八丁くちはっちょうてはっちょうといいますか」


 事実、父親が今回の話を持ってくるまでは、それなりに角を立てることなく、かわしてきたのだ。椹木さわらぎがおおいに感心したように、今回ばかりは父親にしてやられた。さすが銀行の出世レースを戦い抜き、頂点に立っただけのことはある。あの人は本当にあなどれない。


「あれ?! 羽織屋君じゃ?!」


 いきなり声がして、羽織屋さんが驚いた顔をした。声のするほうに目を向けると、先にあるもう一つの橋の上にいた人物が、こっちに向かって手をふっていた。


「あれ? 編集長?!」

「編集長?」

「私の職場の上司です。何でこんなところにいるのかな」


 その人物は、一緒にいた人に声をかけると、こちらにやってくる。


「いやあ、偶然だね。振袖なんか着てどうしたの。あ、ここでお知り合いが結婚式でも?」

「え? あー……そんな感じですかね」


 羽織屋さんに向けていた目がこっちに向いた。


「こりゃまた、すごいお知り合いだね。あ、もしかして、僕、邪魔だった?」

「いえ、そんなことないですよ。ここのホテルのお庭が素晴らしいって聞いて、見に出てきただけなので」

「ああ、君らもそうなのか。すごいよね、ここの庭。ああ、じゃあ、僕も人を待たせてるから。また週明けにね」

「はい!」


 その人は待っている人達のところへ戻ろうとしたが、いきなり足を止める。そして振り返った。


「?」

「?」


 しばらくの間、せわしなく俺と羽織屋さんの顔を交互に見る。


「まさか、羽織屋君?!」

「はい?」

「お見合いなの?!」

「へぁ?!」


 いきなりの質問に、羽織屋さんが変な声をあげた。特に肯定したものには聞こえなかったんだが、相手にはそれが肯定の返事と聞こえたらしい。


「ごめん! お見合い中だったんだね! 邪魔してごめんね! じゃあ、頑張って!!」

「あの、編集長?!」


 ニカッと笑って親指を立てると、足早に待ち人のところへと言ってしまった。


「おーい、人の話を聞けー! 勝手に結論だすなー! おーい!」


 羽織屋さんが腹立たし気に毒づいている。


「ったく! あの調子で、小此木さんの回顧録担当も押しつけられたんですよ」

「あー……なるほど。なんとなくその時の様子が浮かびます」

「でしょー?」


 それから羽織屋さんは、「あ」と声をあげた。


「なにか?」

「なんかこの編集長との偶然の出会いも、小此木父の陰謀に思えてきたんですけど!」

「実は俺もそう感じているところです」


 普段なら、そんなことを言われたら笑って相手にしないのだが、なにせお膳立てをしたのは父親だ。絶対にないとは言い切れない。もしそうだとしたら……。


―― この話、断れるのか……? ――


 かなり本気で心配になってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

頭取さん、さいごの物語~新米編集者・羽織屋、回顧録の担当を任されました 鏡野ゆう @kagamino_you

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ