キュウリ男と編集さん 13

「本日はお日柄もよく~」


 お決まりの挨拶をかわしながら、母親がノリノリなんですと言った羽織屋はおりやさんの言葉が、頭の中をグルグル回っていた。


「私、陸上自衛隊さんの制服って、緑色だとばかり思っていたんですよ」


 目をキラキラさせながらこっちを見ているのは、羽織屋さんのお母さんだ。まさにノリノリ。


「この色の制服に変わったばかりなんです。ですから、まだ以前の制服を着ている隊員もいますよ」

「あら。いっせいに変わるんじゃないのね」


 そう言ったのはうちの母親だ。


「日本国内に陸自の人間が何人いると思ってる? 一斉になんてとても無理だよ」

「言われてみればそうね」

「その紺色の制服もなかなか素敵ですよ、ええ」


 俺の前に座っている羽織屋さんは、口だけパクパクさせて何か言っている。


ダカラヤッパリ、オカアサンガ、オコノギサント、オミアイスレバヨカッタノニ!


 いや、それはさすがに、かんべんしてほしい。


「私が回顧録を出版するにあたり、お嬢さんには大変お世話になりました。その人柄に家内も私惚れこみましてね。それで今回のような席を、もうけさせていただいたのですよ」

「そうでしたか。ちゃんと仕事をやれているのか、私達にはなかなか話さないものですから。ちゃんとやれているようで安心しました。まさかそれがご縁で、このような運びになるとは」


 両家の父親は会話を脱線せることなく、なくなごやかに話を進めている。


―― なに勝手に話を進めているんだよ ――


 それは羽織屋さんも同じ気持ちだったようで、腹立たし気にティーカップに口をつけ、「あちっ」と言いながら、なにやら毒づいている。振袖姿を見た時には別人かと思ったが、やはり中身はいつもの羽織屋さんだ。


「では我々は席をはずしましょうかね。年寄りが一緒だと、当人同士の会話も弾まないでしょうし」

「そういたしましょうか」

「いや、年寄りはここでゆっくり歓談していると良いよ。俺と羽織屋さんが席をはずすから」


 父親同士の会話に口をはさんだ。


「ここのホテルの庭は見応えがあるって、上司に聞いたんだ。せっかくだから見物してくる。こんな高級ホテル、なかなか来れないだろうからね。羽織屋さん、行きましょうか」

「いいですね。こんな時でないと、堂々とうろつけませんから!」

「ゆかり、あまりはしゃぎすぎて、池に落ちないようにするのよ?」

「わかってまーす。では失礼します! ごゆっくり!」


 ラウンジから離れたところまでくると、羽織屋さんは「はーーっ」と息をはく。


「また汚い言葉をはきたくなりましたか?」

「まだガマンできると思います! せっかくなので、庭を見学しに行きましょう。外の空気が吸いたいです!」


 通りがかったホテルの従業員に道順を聞き、庭へと向かった。


「うちの母親がノリノリだっての、わかりました?」

「わかりました。目がキラキラしてましたからね」

「遅くに到来した、制服萌えってやつかもですよ」


 その言葉に笑いながら庭に出た。


「お天気で良かったですね。雨だったら庭に逃げ出すこともできなかったし」

「たしかにね。それにせっかくの振袖が濡れてしまったら大変なことになるし。それ、成人式で着れなかった、れいの振袖でしょう?」

「そうなんですよ。ここ、ギュウギュウに絞められちゃって、おいしいものが入りそうにないんですけど」


 お腹のあたりを腹立たし気にたたいている。


「その点、小此木さんはいいですよね、着慣れた制服だし!」

「そのかわり、めちゃくちゃ注目を浴びるので、居心地はかなり悪いですよ」

「そうなんですか?」

「ほら、世の中、自衛隊に好意的な人ばかりではないから」


 それにこの手の高級ホテルでは、そういうことで言いがかりをつけてくる存在もいない。その点だけは安心だ。


「いつ自分達がお世話になるかもしれないってのに、心が狭い人もいたもんですね。自衛隊だって警察と同じで国民を守る立派なお仕事なのに」

「そう言ってくれる人ばかりだと良いんですけどね」


 ホテルの庭は、都心にあるとは思えないぐらいの広さだった。


「すっごーい、めっちゃ広いですね!」

「この広さなら、ちょっとした園遊会ができそうだ」


 池もかなり大きい。のぞいてみると、大きな錦鯉が何匹も泳いでいた。エサをもえらえると思ったのか、こっちに寄ってくる。


「観光施設だと、橋のたもとに鯉のエサが入った箱があるんでしょうけどね」

「残念だな、お前達のメシは持ってないぞ?」


 その言葉を理解したのか、水面で口をパクパクさせていた鯉達はあっというまに、その場から離れていった。


「ああ、それから。うちの両親、明日から日本一周のクルーズ旅行に出るんですよ。なので、お見合いのあとの返事は、両親が戻ってきてからということです」

「断る口実を考えるのは、それだけ猶予ゆうよがあるということですね」

「ま、僕の仕事を断る理由にするのが、一番自然かな。一年中24時間不規則だし、災害が起きた時は家族より任務優先だし。うまくいかなくなる原因は、だいたいそれですからね」


 橋を渡り切ると階段になっていたので、羽織屋さんに手を差しだす。


「?」

「転んだら大変でしょ。手が必要じゃ?」

「ああ、すみません!」


 羽織屋さんは俺の手をとると、慎重な足取りで階段をおりた。

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