肉弾社交会

デッドコピーたこはち

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「シャンパンはいかかでしょうか?」

 盆を持ったウェイターが言った。鼻をくすぐる素晴らしい芳香。盆の上のグラスに注がれたシャンパンは、薄い黄金色をしていて、いかにも美味しそうだ。だが、私にはこれから仕事がある、アルコールを飲むわけにはいかない。

「いえ、けっこう」

「失礼いたしました」

 ウェイターが会釈をして去っていく。その後ろ姿を見て、一瞬、声が出そうになるのを我慢する。ウェイターの服の後ろ側だけが、切り取られた意匠になっていて、背中やお尻が丸見えになっていたのだ。


 潜入する前からわかっていたことではあるが、純肉体主義者のパーティというのはなかなかに異様だ。巨大飛行船を使ったパーティ会場。絢爛豪華な調度品と豪奢な料理。そして、ほぼ裸のゲストたち。

 純肉体主義者は、自らの身体を一切機械置換しないことを信条としている。彼らがこういったフォーマルな場で、肉体の露出をするのは、自分の肉体が正真正銘「生」であることを周りに見せつけるためでもある。

 彼らの服装にはどうしても慣れない。ちょうど隣にいる婦人のドレスは、どうやら蜘蛛の巣をモチーフとしているようで、金糸で表現された蜘蛛の糸が、身体に張り付いているようなデザインをしている。金糸が寄り集まった部分が、かろうじて局部を隠しているものの、遠目であれば、全裸にしか見えないだろう。

 かくいう私も、潜入のために、露出度の高いドレスを着ている。モチーフは登り鯉だ。幾匹も居る登り鯉の鱗の部分が、レースになっていて、そこから肌が露出している。着慣れないドレスだが、軽量でだぶつくところがない。これは、素手で人を殺さなければならない私にとって好都合だった。


 私の目標はファン・モンディエ。私の姉弟子に当たる女だ。師を殺して、我々『工房』を裏切り、突如として姿を消した。以来、行方不明だったが、やっとこのパーティに参加するという情報を掴めた。ずっと純肉体主義者の団体にまぎれていたらしい。武器を持ち込めない場所での、素手による暗殺業を生業とする我々もまた、一切の身体機械置換を行わない。それを活かしていたようだ。


 パーティ会場を見回して、ファンを探す。ファンは顔を変えているだろうが、私なら見つけ出せる。過剰な露出をした人々の間をすり抜ける。ワンショルダーパンツにネクタイだけを着た男。細やかな刺繍の入ったリボンを体に巻き付けているだけの女。

 見つけた。大階段の上り口に居る。黒いドレスを着た、黒髪をボブカットにしている女だ。以前のファンとはまったく違う顔立ち。だが、厳しい修練によって練り上げられた肉体を見間違えることはない。彼女の完全に左右の均等が保たれた歩法は、驚異的な体幹によって生み出されるものだ。

 ファンと目が合った。息が止まる。ファンは一瞬笑って、会場の出口へと歩き出した。それを、慌てて追いかける。ファンに少し遅れて、会場を出る。赤いカーペットの敷き詰められた廊下に、ファンの姿はない。この飛行船のゴンドラのほとんどはパーティ会場に使われている。他にあるのは、休憩室やトイレ、厨房、スタッフたちの控室くらいしかないはずだ。

 休憩室と女子トイレを見回ってみるが、ファンは居ない。どこに行ったのか―—そう思っていると、廊下の突き当り近くにある扉がわずかに開いているのに気が付いた。

 

 中は、どうやら一種の物置のようだ。椅子や机が積まれている。意外にも大きくスペースが開いているのは、会場で使われている分の椅子や机の分だろう。ファンは裸足でその机の一つに腰かけて、シャンパンを飲んでいた。そばには、シャンパンのボトルと、空のグラスが置いてある。

「一杯いかが?」

 ファンはシャンパンをグラスに注ぎ始めた。

「いえ、けっこう」

「あら、こんなに美味しいのに。相変わらず真面目ですね、エマ」

 ふふと笑って、ファンはもう一口シャンパンを飲んだ。机から降りた。ファンのドレス裾がふわりと波打った。構造色で青緑色に美しく輝く。遠くからはよくわからなかったが、彼女のドレスは、シースルーで下着がそのまま見えてしまっている。

「なぜ裏切った」

「未来がないから」

 ファンは言った。笑顔は消えていた。

「この程度の力なら―—」

 ファンはシャンパンのボトルに手刀を振るった。ボトルの首が切断され、床に転がる。

「サイバネティクスなら一瞬で手に入る。生身での暗殺業など、時代遅れもいいところ。未熟なあなたが私を殺しに来たのがその証拠。『工房』は人材不足なんでしょう?」

「私は力を認められて―—」

「時代は変わったんです。私たちは旧世代の遺物。いままでは、小さなニッチで食い繋いで来たにすぎない。どれほどの兄弟弟子たちが、サイボーグ相手に返り討ちにあって死んでいったか」

 ファンは視線を伏せた。確かに、近年、サイボーグ相手の暗殺失敗によって、命を落とす兄弟たちが多くなっているのは確かだった。その穴を埋める新人の教育も間に合っていない。

「それに、私は人殺しに飽きてしまったので」

「師を殺したお前が言うか!」

 私は自分の頭に血がのぼるのを感じた。私たちの師。孤児だった私たちを拾い、殺しの業を叩きこんでくれた師。厳しくて、立派な人だった。最後には、ファンに首をへし折られ、ゴミ捨て場に捨てられていた。

「おや、あなたは本気で師を慕っていたんですか。私たちを殺しの道具に変えたあの女を? 面白いですね。私はずっと憎んでいました。それこそ、殺したいほどに」

「ファン!」

 私はヒールを脱ぎ捨て、ファンへと迫った。

「来なさい。エマ」

 ファンが上に向けた指先を二度曲げた。


 ファンの人中を狙い、前蹴りを打つ。手のひらで逸らされる。足を掴まれないように、素早く引き戻し、今度は下腹部を狙った横蹴り。手で防ぐにも、足で防ぐにも、微妙な高さだ。ファンがバックステップする。私の蹴りが空を切った。

「すこし、力が入りすぎていますよ。エマ」

 ファンが言った。そう言うファンの身体は、極度に弛緩している。力が入るのは接触の一瞬だけだ。殺意を持った相手と対峙しながら、自宅で安らいでいるかのような自然体。『工房』の我々に決まった構えはない。技を放つのは、常に自然体からである。そういった意味で、ファンのありようは理想的だった。

 さらに頭に血がのぼる。ここまでに至っておいて、なぜ、その技を捨てるようなことを言うのか。なぜ、ここまで至らせた師を殺したのか。

 思い切り踏み込み、右下段蹴りを放つ。ファンが足をあげて受ける。そのまま、右足を下して、さらに踏み込んで膝蹴りを放つ。身体を捻って躱される。ファンとほとんど密着する。ファンの右ジャブ。頭を振って躱す。間髪いれぬ左肘打ち。右腕と肩で受ける。重い。身体の芯まで響いてくる。

 ファンが左腕を引き戻しながら、上体を右回転に素早く捻る。右のボディブローが来る。脇を締め、左腕を下す。読み通りのボディブロー。左の肘で受ける。凄まじい衝撃。骨が軋む。

 素拳で硬い肘を殴るのは、拳を痛める危険と相当な痛みを伴うはずだが、ファンは涼しい顔をしている。柔らかく握られているように見えるファンの拳は、インパクトの瞬間だけ、凄まじい硬さになっている。

 ボディブローで与えられた勢いを受けずに活かす。一回転し、ファンの側頭部めがけ裏拳。ファンがすこし屈んで躱す。下がったファンの頭に膝蹴りを打つ。

 ファンがのけぞる。当たった―—だが、浅い。ファンの鼻の穴から二筋の血が流れる。ファンは膝と顔面の間に手をいれ、当たる瞬間に頭を引いたのだ。鼻の骨が折れたようだが、大したダメージではない。

「腕を上げましたね」

 ファンは垂れた血を親指で擦り、舐めた。

「う……」

 足がふらつく。急に吐き気がする。先ほどのボディーブローが思っていたより効いているらしい。ガードしていてもこの威力。モロに受けていたら。もう立っていられなかっただろう。

「来ないのなら、私から行きましょう」

 ファンが来る。目を狙った右の貫手。頭を振って躱す。ファンの貫手が形を変え、振った頭を追いかけて、私の顔を掴んだ。

「があああああ!」

 激痛。ファンの中指が私の耳の穴に、親指が眼窩に入れられている。左手でファンの手首を掴み、右手を引きはがそうとする。できない。ファンの親指の根元を掴んで、引き剥がす。眼球を潰される一歩手前で、親指が眼窩から離れる。

 ファンが手首を返して、逆に私の左手を掴んだ。骨が折れる音がする。

「ああ!」

 またも激痛。指関節技だ。人差し指と中指を折られた。歯を食いしばって痛みに耐える。私の左手を掴んだままの、ファンの右手首を掴んで、背負い投げをする。

「ぐっ」

 ファンもさすがに堪えたようでうめき声をあげる。床に打ち付けられたファンに、すかさず馬乗りになる。

「なぜ裏切った!」

 無事な方の右手で、ファンの顔面を殴りつける。鼻血が床に飛び散ってパタタと音を立てる。

「なぜ殺した!」

 もう一度、ファンの顔面を殴りつける。ファンの鼻が完全に潰れて、顔面が血まみれになる。

 ファンが殴り返してくる。頭のなかで火花が散る。私も殴り返す。ひたすらに、それを繰り返す。

 段々、意識が遠くなってくる。手に力が入らなくなってくる。だが、まだファンの勢いは衰えない。血まみれの顔に微笑すら浮かべ、強い意志を宿した瞳を爛々と輝かせている。

 私とファンのなにが違うのか。なにかが違う。私は人生のすべてを費やして己を鍛えてきた。だが、なのに、ファンに勝てない。殺しの道を自ら捨てたファンに。

 ファンには天与のなにかがあり、私にはないのだ。ずっとわかっていた、ずっと知っていた。でも、それを否定したかった。でも、もうできそうにない。

「なんで、なんであんたなの……なんで……私はよわいの……」

 ファンの渾身のストレートが来る。一瞬、視界が真っ白に染まって、私の意識は闇に溶けていった。


 目を覚ました瞬間、下着姿のファンが目に入った。ファンは、床にどっかりと座り、首のなくなったシャンパンのボトルをラッパ飲みしていた。ファンの顔はまだ血まみれだ。少し乾いた血がかさぶた状になって、顔に引っ付いている。

 私は上体を起こした。全身の痛みを認識すると同時に、自分に掛けられているものが、ファンのドレスだと気づく。

「なんで、殺さなかったの」

「殺しは飽きたって言いましたよね? それに」

 ファンは首無しボトルを持ったまま、こちらに寄ってきた。

「私たちには、新しい道があるはず。殺し以外の道が。二人ならなおさら」

 ファンはボトルをこちらに差し出してきた。ファンの瞳は穏やかだった。私は迷いながらも、ボトルを受け取った。鋭利になったボトルの淵に気を付けながら、口を当て、傾ける。

 やっと飲めたシャンパンは、血の味がした。

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