第60話 最高の一枚

 一息ついた風成は百得にぼそぼそと言葉を述べた。


「せ、世話になった」

「⋯⋯えへへ」


 落ち着いた雰囲気を、大きなアナウンス音が奪う。


『休憩終了10分前となりました。選手の皆さんは会場に急いで戻ってください』


 時間が溶けるように早くすぎたことに驚いた2人はそそくさと荷物をまとめ、運動場に向かっていった。


 本部席に戻った風成を、新聞部の数人は事務的に迎え入れた。


 午後最初の種目、『部活動紹介&リレー』に想生歩を含めた多くの部活動生が参加するため、僅かな間ではあるが新聞部は忙しくなる。心情を挟む余裕もなくなるほどなので、いざこざはなく、淡々と作業が続いた。


 その後も仕事は次々に舞い込み、新聞部がある程度合流し終えた後も午前の部のアンケートの集計や午後の部に向けての取材で止まることなく働き詰めとなっていた。


 いつも協力していた写真部の力がない分、彼ら自身慣れないことも多かった。保管と整理だけしかしてない風成ですら、すぐそこで繰り広げられている生徒たちの競争には一切目を向けられずにいるほど、多忙は極まった。


「廻郷せんぱぁい、もうそろそろっすよぉ〜」


 疲れていながらもいつもの調子を崩さない想生歩が、風成に声をかけた。


「えっ」

「想定してたよりぃ、忙しいっすもんね〜。今から大トリの『ブロック対抗リレー』っすよぉ」

「そうか」

「は〜い、カメラ。まぁ、焦らず! アンカーのゴールの瞬間、パシャっとしましょ〜」


 カメラを受け取った風成は移動しながら、百得の言葉を頭の中で繰り返していた。


『その一枚が誰かにとって特別なものになるかもね!』



 当日発表される、ブロック対抗リレーの参加者が入場ゲートに集う。各ブロックから2チームを結成、八つのチームが、最後の大きな得点を得るために競い合う。


 マリードと純平は青1、青2のアンカーとして選出された。


 黄色の声が多めの歓声に手を振るマリードと、会場をさらに盛り上げた純平は、待機席を離れ入場ゲートへ向かう。


 純平は競う面々を見ようとキョロキョロと首を動かしていた。とたん、視界に親友の顔が映り、別ブロックでありながら側に駆け寄った。


「亜信、お前も選ばれたんだな!」

「ウキキ、赤2のアンカーだぜ」

「まじぃ? お前と競わないといけないのかー」


 亜信は男性の平均身長をやや下回る背丈でありながら、全国レベルのトドロキ高校陸上部の面々と並ぶほど足が速いことは、わりかし知られていることだ。


 純平は、野球部の部長兼エースであるプライドも合わさり、親友であれど勝ちは譲らないぞと闘志の炎を瞳に宿した。


 青々しい光景に混ざる災厄ぬえを、鋭い眼光でマリードは見ていた。自然と拳を握る力が強くなる。


「力を抜け、会橋えばし


 声の方を向くと茶髪のよく知った人物が、白ブロックを背負ったハチマキを締めて横にいた。


「⋯⋯栂部つかべ

「俺のこと、カレッドと呼ばないんだな。嬉しいぜ」

「なにか要件か?」

「強く意識するな。それこそ奴の思う壺だ」

「⋯⋯手が震えているぞ」

「俺もアンカーだからな。武者震いと思い込んでおくぜ」


 整列が終わった頃、各ブロック団長がくじを2回引いてレーンを決め合う。


 偶然の産物か否か。4人は皆隣同士となった。


『それでは、最終種目。ブロック対抗リレーが始まります。選手の皆様は各自──』


 勝負の幕が開けられる瞬間。亜信がボソッと情報を呟いた。


「廻郷、ゴールの瞬間を撮るってよ」


 3人の選手は目を大きく見開いた。


 野球部のキャプテンとしてのプライドを押し除けて私的な感情に走るアンカー。


(一番とったら、ちょっとは交流チャンス増えるかも!)


 体の鼓動に思考が追いつかないアンカー。


(脈が早い。緊張の症状か⋯⋯?)


 強い決意を秘めたアンカー。


(絶対負けたくねぇ。些細なことでも、風成を傷つける奴には)


 雰囲気が変わった3人を見て、傍の彼は無意識に微笑みを浮かべた。


「⋯⋯ふっ」


 その無意識は、人ならざる身の当人ですら気づかないものだった。



「いけー! おせー! あーか!」

「ぜったい、ぜーったい! 勝つんたい、青!」

「ギラギラてっぺん優勝イエロー!」

「ぱらりりぱらっぱー、いけいけホワイト!」


 白熱するブロック対抗リレーは、不気味なほど接戦となっていた。


 大きくリードが開いたと思ったら、転倒やバトンの落下というトラブルが頻繁に起きる。もはや全ての結果はアンカーにかかっていた。


 マリードと最実仁は思うことはあったが、今はとにかく風成が撮る写真の主役になることだけに集中した。


 前の選手たちが、バトンを前に掲げて迫り来る。アンカーの面々はほぼ同時にコース場に構える。


パシッ


 バトンをスムーズに受け取れなかった少数を除いて、アンカーはひたすらグラウンドのコースを走る。


 会場の大きな歓声は彼らには一切届いてないない。


 ただ、転けないように、追い抜かれないように。前に出た誰かともわからない背中を抜かし、抜かされを繰り返す。


 目的のカメラマンさえ見失い、ただ、伸びる一本の到着地点を目指し胸を突き出す。


 意地の先にパシャ、とシャッターを切る音が聞こえた気がした。



 体育祭振替休日の次の日、校内の掲示板にでかでかと拡大版の校内新聞が張り出されていた。


 その一枚は、似たようなものを探せばどこにでもありそうな、ゴールの瞬間を収めたもの。


 しかし誰も撮り手に文句を言う人はいなかった。そもそも毎年話題に上る撮り手の話を誰もすることがなかった。


 例年とは異なるこの一枚は、『話題』として大きく反響を呼んでいた。初めて『校内新聞』に予約が殺到する事態まで陥ってしまっている。


「まさか、1組の生徒がアンカーで、しかも優勝なんてなー。波先輩凄すぎだろ」

「僅差だもんなぁ。こりゃ悔しいだろうなキャプテン。よぉし、みんなで純平励まそうぜ」

「栂部って、あのヤバいカップルの片割れでしょ? 怒らないのかなぁ。『俺の前世からの恋人に、こんな歯の剥き出し写真を見せるなー!』ってさ」

「会橋くん、引き攣った顔が映されてる! ギャップ萌え。ぐらついた一瞬が写されたのは可哀想」


 口々にあの一瞬の思い出を語る生徒たちの前に、当事者たちが現れた。


「純平、ほら。しっかりと俺が先にゴールしてる証拠!」

「ぐぬぬぬ、完敗だ。亜信さま」


 人混みはさらに大きくなる。


「いて、いてててて! 筋肉痛なんだ!」

「変にとばしたわね。自業自得よモミジ」


 声もつぎつぎに交差していく。


「会橋くんー、悔しかったよね?」

「でもでも、本当にとてもかっこよかったわ!」

「ありがとう。みんな優しいね」


 いつもの対応をしながら、マリードは視線を多方面に向ける。


 人影わずかな廊下の方に、美しい黒髪が少し揺れ動いているのを見かけた。


「少し離れる、ごめんね」


 急いで髪の主を追いかける。図書室前の廊下まで行くと、扉に触れそうな小柄なクラスメイトの女子がいた。


「廻郷」

「⋯⋯なに」


 声をかけられた廻郷は手を戻し、横目で見つめてくる。


 いつも通りスラスラと言葉が出ない。だけれど、どうしてもこの写真のことで話したいと彼は思った。


「この写真の俺は、格好つかないな」

「⋯⋯不満か?」

「いいや」


 その顔は穏やかに微笑んでいた。


「最高の一枚だ」

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流転するリアン 煌パァ @kiramekipa

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