第59話 誰かにとって

 風成は身の回りの変化から身を遠ざけるようにと、ひたすら敷地内を走っていた。


 自身を煙たがる魔法使いのカップルは少しずつ記憶の中の親友に近づき、忠実な王の傀儡でしかない彼は負わなくてもいいリスクを孕んだ行動を取るようになった。嫉妬の塊でしかない女魔法使いは敵意以外の心情を自身に向けつつある。


「はぁっ、はあっ」


 大きな息切れの音が聞こえ、やっと景色に意識が向く。


(人工池のところまで走ったのか)


 時間を見る。昼休みは50分以上もあった。


(くそ、暇だ)


 彼女は何も考えたくなかった。

 しかし次々に嫌悪の感情が浮かんでくる。


 周囲の変化という心底恐れ、忌諱ききする物事が、奥底の波の音を招いた。


『また変化、ですよ。振り回されることは目に見えていますでしょう? さぁ、こちらにいらっしゃい。私達ならば、そんな移ろいすら無くせます』


「──ッ!」


 頭に響く“海色”の、自身と同じ声質でありながらとろけるような甘い声が精神を蝕む。心が呑まれそうになる。


 そんな中、不意によく知る活発で燦々さんさんとした声が風成に届いた。


「ふーなちゃ〜ん!」


 目線をぐるりと動かし、声の主の姿を見る。


「山田、さん?」

「えへへ、ども!」


 相手の顔を見つめ続けることか苦手な風成はすぐさま目線をずらす。その流れで、百得ももえが持っているものに気がついた。


「なんでお前が、あいつの弁当バックを」

「あっ⋯⋯えへへ」


 百得はぎこちない笑顔で、口から飛び出しそうな言葉を隠した。


(さっきのことは私の中にしまうべきだからなー⋯⋯)



 百得はたまたま、風成が校内に走っていくところを見かけていた。トップアイドルとしての輝きに惹かれる、またはあやかろうとする人たちと、高校にまで押し寄せた少々迷惑なファンやスクープ入手目的の記者の対応をしていた時だった。


 元々大事を起こさないため、昼は1人で校内で食べるつもりだった。


(ふーなちゃんの様子、おかしかったな。校内行くし、せっかくならちょっと見ておこうかな)


 なんとか言葉巧みに人混みを抜け出し、校内へ足を向けた。


 その時。


「あのっ、少し、いいですか!」


震える大きな声が目の前に迫り、足を止めた。


「びっくりしたー、なに⋯⋯!」

「ふうちゃんのクラスメイト、でしたよね」


 校内で有名な避けるべき人の1人──要頬 麗奈が目の前に立っていた。


 最近は周囲と関係を持とうとしているとは聞いている。


 それでも百得にとって彼女は、中学生時代突然風成を突き放し彼女に深い傷を残した人であり、恋人以外の周囲を見下す軽蔑すべき人であった。


「そうだよー!」


 芸能界や日々の活動で表情を動かすことには慣れている彼女は、すぐさま抱く嫌悪を笑顔と明るさで覆い隠した。


「ふうちゃんが、そばにいることを許していると聞いてます」

「そうだよー。私が一方的に迫ることを放置されてるだけな気はするけどね!」


 笑顔の裏で焦る本音が心を揺さぶる。


(この人、邪魔だなぁ。ふーなちゃんのそばに行きたいのに!)


 何分経ったか気になり時計を見ようとした途端、再び麗奈が声を出す。


「あなたが、今一番ふうちゃんに近いと思うんです」


 悔しさを滲ませた、凛としながらも落ち着く声が百得に届いた。


「えっ、そ、そうなの?」

「だからこそ、こちらを頼んでいいでしょうか」


 差し出されたのは、控えめながらも美しい和風の柄が入っている重箱弁当を詰めた大きなバックだった。


「これは?」

「彼女の従兄が作った、彼女のためのお弁当です。量は3人前くらいありそうですが⋯⋯」

「私が届ければいいのね?」

「はい。あなたからなら受け取ってくれるかなと思います」


 麗奈の言葉を聞いた途端、百得の表情は素に戻った。


 『アイドル』としての人物像で見られがちである自分が、『1人の女子生徒』として接された事実に驚いたのだ。


 自然と口の端が上に引っ張られる。


「オッケー、じゃあ行ってくるよ!」



(その後、たまたま亜信くんに会って、見かけた場所教えてもらったのよね)


 彼女はすぐさま今の状況に目を向けて、風成の説得に頭を回す。


「ここ、ほんと整備された人工池よねー」

「⋯⋯話を逸らすな」


 強引すぎる切り口は、やはり警戒を呼んでしまった。


 悩んでいた百得はあることを思い出した。


(池といえば! いっこネタがあるじゃない!)


「うちありし ふることひとつ なき小池 ともにすごせば 水面ぞひかる」

「⋯⋯!」

「私も最近読んだんだ、安倶水記! 海美さんが義兄にあたる河鷲法師の真似をして作ってみた和歌でしょ? 出来とか一切気にせず、はとても喜んでいたね」


 ──何もない小池もあなたと過ごせば、とても水面が輝いて見える


 安倶水記にて記載されていた内容の一つ。


 ハマヒメという妖怪である彼女が『人』に憧れてさまざまな文化を真似た話がある。


 河鷲法師は一切断ることなく、その文化に触れされた。


 出来や結果に対する総評はなく、ただただ、楽しむ彼女の様子をひたすら愛でている記述は、安倶水記を『創作物』として見ている人々に大きな衝撃を与えるものだった。


 人工池のあたりに設置されている椅子に座わった百得は、勝手に弁当を開けた。ぎっしり詰められた中から、ゆかりおにぎりを手に取り、風成に差し出す。


「写真撮るって聞いたよ。その一枚が誰かにとって特別なものになるかもね!」


 風成からの返答はなかった。


(私、ちょっとカッコ良すぎたかな?)


 恥ずかしさが顔に出そうになったので、目を逸らす。そこには風成の従兄が作っというとても美味しそうなお弁当。

 パンを一つだけ持っているだけの百得は、しれっとだし巻き卵に手を出し口に頬張る。

 口に広がる、程よい味付けと柔らかい食感。


「おいしー!」

「⋯⋯ぷっ」


 百得の耳に、吹き出した声が聞こえた。


(この距離で聞こえるって⋯⋯。ふーなちゃん笑ったの?)


 途端、おにぎりを持っていた手にふわりと人の手が触れた。同時におにぎりの重みは無くなっていた。


 百得は顔を上げた。


 いつものように硬い表情のまま、むしゃむしゃとおにぎりを頬張る美しい同級生の姿がそこにあった。


 百得は聞こえた声の詳細を問いただすことなく、いつの間にか弁当を挟んだ対に座った彼女と一緒に、人工池の輝きを見つめながら、優しい味付けの弁当を完食した。

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