第58話 ひとかけら
ベールがいつ何をしても問題がないように、瞬時に同学年の魔法使いたちは身構える。
最実仁は麗奈を通り過ぎて、風成のすぐそばまで駆け寄り、すぐ守れるように魔法を今にでも出せるようにした。
ベールにとって、臨戦体勢の彼は本来トラウマでしかない。あの日、自身を死に追いやった魔力と同じものを纏っている存在であることはすぐに理解した。
しかし彼女は、トラウマの中にいる男と、目の前の少年は異なる存在として認識していた。
瞳は憎悪によって血に飢えたものではなく、強い責務を負った鋭い眼差し。相手を殺すためではなく、目の前の人に一切の傷をつけないことを目的とした構え。
「あなた、誰?」
つい、そんな言葉がこぼれ落ちた。
「風成の親友」
質問の間を開けることなく、彼は応えた。ただただ、まっすぐな一言だった。
麗奈とマリードは彼らの因縁を知っているため、いつでも騒動を収められるようにと気を張っていた。敵の動きをわずかでも逃さないようにじっと嫉妬深い魔法使いを見つめる。
だからこそ気づいた。手前で最大限の警戒をしていた最実仁では難しい、たった一瞬の合間。
優しく、穏やかで、慈しみがこもった微笑みを、彼は見せた。
心から安堵した表情はひゅるりと吹いた風と共に消え、再びよく知る女の瞳がぎらりと光った。
マリードと麗奈は目だけを動かし、視線を合わせる。
お互いに感じていた、ベールの異変を確かめるようにこくりと首を縦に軽く振った後、彼女はまっすぐ女魔法使いを見た。
湧き出る前世のトラウマを押し殺し、『廻郷 風成の親友』として、口を開く。
「失礼ですが貴女こそ、ふうちゃんとどのような間柄ですか?」
嫉妬の魔法使いはグッとてのひらを握りしめた。
友を大切に想う二人の眼差しを見るとどうしても自分の性格や振る舞いが情けなく感じ、悔しさをどこにぶつければいいのかわからなかった。
「私は、この子の、
しばし出すような声でこたえている途中、ゾワっとこころを握りつぶされるような悪寒を感じ、言葉を止める。
自然と目の前にいる小柄な女子高生を見た。
彼女の瞳はどこまでも暗く、想像もできないくらい恐ろしい深海を見ているようだった。
目線を逸らしたベールは咳払いをして回答を言い直した。
「間柄? 敵よ。あんたたちのご存じ通り。ただ、もう殺しはしないわ。彼女も認める美しさを手に入れることが私の勝利条件。そのためには⋯⋯」
「もう、いいから」
震える少女の声がベールの言葉を遮る。
4人は動きを止め、彼女に顔を向けた。
「もう、ほんと、やめろ、やめてくれ」
弱々しく、すぐ周りの音にかき消されそうな言葉を残し、風成は自分の隣に立つ魔法使いの男を押し除け、校内に走り去っていった。
「あ⋯⋯」
口々に魔法使いたちは声を詰まらせる。小さくなる後ろ姿に、よく似た海色の女の後ろ姿がゆらりと重なった気がした。
「⋯⋯ッ」
途端、ベールの頭にズキっと締め付けるような痛みがはしった。
目を瞑り苦しむ中、瞼の奥にぼんやりとした光景が広がる。
手元には見慣れない長い紙が広がっていて、動きにくく重い衣類から伸びる手には、筆が握られていた。
『君たちを忘れるものか。消しさられてしまうものか』
誰かの決意が彼女の意識を覆った。
「くっ、ううう」
頭を抑えフラフラとしているベールを最実仁たちは不安げに見つめていた。
いきなり彼女は動きを止め、俯いたまますっと立ち尽くしていた。
(ベールに何か異変が起きている。王の仕業か)
風成を救う、留めるという共通の目的を持つ2人を、彼女の猛威からいつでも守れるようにと、三柱であり王の部下であるはずのマリードは意識を鋭く尖らせた。
少しの間、時が止まったかのように、彼らは一つも動作をしなかった。3人の生徒は、目だけに全ての集中を注いだ。
だからこそ、耳が拾った声に、驚きで硬直した。
「こんなはずじゃ⋯⋯俺は⋯⋯」
ベールが自身の肉体を嫌っていることは皆知っている。どこまでも女である精神とは反対に、その肉体は男体として完成されていた。
マリードも、彼女が常にそのことを気にしていたことを知っている。愛する王より高い背丈を憎んでいたことも。
そんな彼女から、肉体の地の声質と男性の一人称が出てきた。
明らかな異変を目の前に冷静な目を失った彼らの1人、最実仁は、彼に声をかけられるまで、目の前に差し出された弁当箱に気づかなかった。
「君」
「⋯⋯あっ、は、はい」
「渡してやってくれ。友達の手で」
「え、えっと」
「頼む」
「⋯⋯はい!」
男性から渡された弁当箱が入っているバックを受け取りしばらくその重みに意識を向けていた。
恋人の呼び止める声が意識を前に向ける。
「あ、あの!」
最実仁が前を向いた頃には、人波の向こう側を歩いていた。
マリードも麗奈も遠くなっていく背中をただただ眺めていた。
男子校生2人は、前世の記憶やこれまでの姿とは別の振る舞いに、わずかな切なさと寂しさを感じていた。
一方麗奈は、親友との記憶が頭をよぎった。
まだ、言葉遣いが荒くなかった頃の風成の、キラキラとした瞳と、安心と喜びをのせた声色で語った言葉。
『私には、とってもかっこいい従兄妹のお兄ちゃんがいるの! ほんとの血は繋がってなくても、とっても頼りになって、優しくて、安心するの!』
ベールが詰まらせていた言葉を思い出す。
「従兄妹のお兄さん。あの人が⋯⋯!」
特殊な出生を持った風成が過ごしてきた幼少期の地獄は知っている。それを一番最初に支えてくれた存在ということも教えてもらった。
「ふう、ちゃん」
少女の胸に襲う鈍く、深く、響く痛み。
「あなたは、どれだけ⋯⋯」
初夏の風が一層冷たく肌を撫でた気がした。
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