第2話 いつも心にロングウィップ

 人は皆、長いものを持てば振り回したくなるものである。それは本能に組み込まれた欲求。人類の永い営みの中で培われた習性であるのだと、私は信じて疑わずにいた。

 要するに、「えー、みんなそうでしょ?」と思っていたということである。


 なので当然、子供の頃から傘を持てば柵にカンカンぶつけて鳴らすし、背の高い草や長い蔓を見れば引っこ抜いて振り回し、道端に落ちた枝など拾っては、大きめの水たまりなどを無闇矢鱈とバッシャンバッシャン叩いて過ごしたものである。

 朝起きたら靴下を頭上で振り回し、いい具合に伸ばしたところで履く。顔を洗えば使用したタオルでヌンチャクの真似。縄跳びなんて持とうものなら、そこらじゅうビッシビシ叩きまくりながらの登下校であった。

 一応断っておくが、当然、人や動物、自転車や車等には当てていない。狙いはブロック塀や、電柱、道路など、そうそう壊れなさそうな(そして見つかっても怒られなそうな)硬い物、もしくは雑草の塊などである。


 そんな子ども時代であったから、テレビでインディー・ジョーンズとかいう映画を見たときには心が躍った。変わり者の考古学者が鞭を振り回して大活躍する、アレだ。

 ファンファーレにも似た勇壮なテーマ曲が響く中、インディーのおっさんが鞭を揮い、敵の武器を奪い秘宝を取り戻しワルモノを捕まえるのである。


 これに興奮しないわけがあろうか。いや、無い。


 かつて親にねだって買ってもらったくせに早々に飽きて放り出してあったバトンに、グリップ部分を外した縄跳びを括り付け、自前のなんちゃってムチを作り上げた。

(小学生だった私は、鼓笛隊のバトン係に憧れていた。私自身はピアニカ担当であったが、見よう見まねで振り付けを覚え、今でもバトンで校歌を踊れる)


 狭い庭でお手製のムチを振り回す時、私は例の考古学者であった。空き缶を台に並べて相手の武器に見立て、叩き落とす。古いぬいぐるみにムチを巻きつけては引き寄せ、お宝を奪い返したつもりになって、ニヒルに笑う。

 時には脱線して、ムチを新体操のリボンに見立てて踊った挙句、自分のスネを打ってしまい目に涙を溜めてしゃがみ込んだ。



 そんな無邪気な日々を送っていた私だが、無事中学生になりました。

 相変わらず、インディ・ジョーンズは好きだった。映画が放送されれば大体見る程には好きだった。だが、さすがにムチで遊ぶことはしなくなっていた。

 その代わり、というわけではないと思うが、私はバレー部に入部した。


 え、テニス部やバドミントン部じゃないの? という声が聞こえてきそうである。


 たしかに、その辺は少し迷った。

 ただ、私は日光が苦手だった。そもそも暑いのが嫌いだし、日焼けもしたくなかった。根っからのインドア派なのである。

 テニス部の皆さんは、一様にこんがり日焼けしていた。バドミントンは……ま、家でもできるしね。と舐めたことを考え、私はバレー部を選んだ。

 何より、ボールを思いっきり相手コートに叩きつけるのは、楽しそうだなと思った。要は、振りまわせるのであれば、それが自分の腕であってもよかったし、ボールは鞭の延長と捉えることもできた。

 ちなみに、剣道部という選択肢は無かった。相手はさぁってくださいと言わんばかりの防具を身につけている。その相手を竹刀でぶっ叩くのには、正直ちょっと心惹かれた。だが、自分自身が叩かれるのは、絶対に嫌だったのだ。



 子ども時代の話が長くなってしまったが、この部活選びの理由はまさに、その後の私の人生を方向づけるものであった。

 つまり、夜型・インドア・振り回し好き、ということだ。


 そうして私は、高校生になった。


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