第4話 鞭は飾りじゃねえんだよ

 ドアを開けて目に飛び込んできたのは、巨大な鳥かごだった。黒い鉄製で、てっぺんがドーム状になっている、鳥かご。それが、ステージのある正面奥へ向かって右左右と、3つ。

 高い位置に設置された籠の中に居たのは鳥ではなく、露出度の高い黒革の衣装を身に着けキツいメイクを施した、あでやかなお姉様達。

 暗闇でぐるぐるまわる紅や紫の光の渦の中、耳を突き刺すようなトランス系の曲に合わせて妖艶に身をくねらせ、観客を睥睨し、時に微笑みを送りながら踊っていた。

 巨大な鳥かごの下では、バニーガール姿のお姉様たちが空になったグラスを集めて回り、丸い尻尾をふりふり客の間を縫って闊歩している。

 お客さんはと言えば、これまた小綺麗なオニイサマ、オネエサマたち。ピシッとスーツを着こなし、サラリとお洒落に着飾って、丸い小さなテーブルに肘をつき上品に笑いさざめいている。喧しい音楽に合わせてゆるゆると踊りながら、グラスを口に運んでいる。


 私は目の前の光景に圧倒されていた。それまで通っていたライブハウスとは、全く異なる大人の世界。それもちょっと、アブノーマルな……


 半ば呆然としたまま、ツレのお姉様にくっついて会場を進む。ステージ近くに、『S』ライブ友達が陣取っている筈。

 どギツイ色に染められた煙草のけむりが揺らめく中、ソロソロと辺りを窺いながら歩いていると、籠の中のお姉様と目が合ってしまった。

 こちらのお姉様は、入り口近くの方のように露出度高めではなく、顎の下からピンヒールのつま先まで覆われた、テッカテカでビッタビタの黒いボディスーツみたいなのをお召しになっている。

 籠の隙間から黒い長手袋の腕を差し伸べ、紅く塗った唇を舐めながらゆっくりと手招きしてくる。なんかこう、手のひらを上に向けておいて小指から順に握り込んでいくような、あの、やたらとなヤツ。もう一方の手は黒い乗馬鞭を握り、鞭を肩に担いでいる。

 私は「皮膚呼吸、大丈夫ですか?」と思いながら曖昧な笑みを返し、なんとなく会釈しつつそそくさとその下を通り過ぎた。



 ねえこれ、高校生が入ってもいい空間ですかー?!


 完全に場違いだった。だってお姉さん、鞭持ってますよ? もうひとつの鳥かごのお姉さんもすごいカッコですよ? 黒のビスチェに極浅ホットパンツ、ニーハイロングブーツって。暑いのか寒いのか、はっきりしてください。目元の真っ赤な仮面は素敵ですけど、隠す場所間違ってませんか?


 もちろんテレビや映画でそういう人たちの存在は知っていたが、生の迫力はまた格別。

 とは言え、先に着いていた友人らと合流して少し元気を取り戻した私たちは、黄色いクチバシでひそひそとはしゃぎながら、ライブの開始を待った。



 会場の照明が切り替わり、客席が暗くなる。ライブの始まりだ。

 鳥かごのお姉様たちは、籠の隙間からするりと抜け出て階段を下りて行く(いや、普通に出れるんかーい)。

 ライブ中は、バックステージで休憩するのだろう。皮膚呼吸しなきゃいけないしね。


 さて、ステージの奥にはゆったりした一人がけのソファとガラステーブル。そして真ん中にマイクスタンド。

 音楽の中、小太りな男が現れた。ゆるくウエーブしたセミロングの髪に、大きなサングラス。でっぷり太った みうらじゅN氏 を想像していただければ、かなり近いと思う。身に纏うのは、白いバスローブ。


 なにか、嫌な予感がする。


 男はブランデーグラスを回しながらゆっくりとソファに腰を下ろすと足を組み、テーブルの上のマイクを手にして歌いはじめた。歌の内容なんて、憶えちゃいない。ただ、なんだかねっちょりと絡み付き後を引くような、いやらしい歌い方が鼻についた。


 すごく、嫌な予感がする。


 やがて男は歌いながら立ち上がり、ステージ中央へゆっくりと歩を進める。マイクスタンドにマイクを取り付け、そして……


 超絶嫌な予感がして、私は背後のテーブルに置いた飲み物を取る動きを利用し、ステージに背を向けた。グラスを手に取った瞬間、会場全体から悲鳴や嘲笑混じりの歓声、口笛、ブーイングがわき上がる。どうやら私の嫌な予感は当たっていた様だ。

 ふと隣を見ると、同じく高校生の『S』友達が同様にステージに背を向けている。目が合って、気づけば私たちは爆笑していた。互いの危機察知能力の高さが、たまらなく可笑しかったのだ。

 箸が転がっても可笑しいお年頃。それがJK。

 騒ぎが収まっても、私たちはお腹を抱えて笑い続けていた。涙を流しながら、それでもなるべく声を殺して。


 なんとか笑いを鎮め、私はツレのお姉様の細い肩に額を預けた。いい匂いがする。ちょっと甘えた声で、「もう見ても平気?」と耳元で訪ねる。

 お姉様は「もう終わったよ。あんなもの、見なくてよかった。エライエライ」と優しく頭を撫でてくれた。自分は指差して爆笑してたくせに……と思ったが口には出さず、お姉様にじゃれついていたら、お姉様は自分のボトルから飲み物を分けてくれた。優しい。

 乾杯しながらステージを振り返ると、マイクスタンドにバスローブの紐がかけられていた。


「いや、余韻残さなくていいから」

 思わずポロッと言ったら、お姉様が盛大にお酒を噴き出した。



 次のライブのセッティング中、会場にはまたギャンギャンと音楽が鳴り響き、色とりどりの光がぐるぐる回り、鳥かごにはボンデージのお姉様が戻ってきた。

 衣装が変わっているのを見て、そういえばこれはファッションイベントだったのだと思い出す。赤と黒で編んだあのバラ鞭も、ファッションアイテムなのだ。


( 鞭 は 飾 り じ ゃ ね え ん だ よ!! )


私の中のインディが叫ぶが、(正直、悪くないな……)と思ったのもまた、事実であった。

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