PART2

 しばしの駆けっこはレアがベイクを捕らえることが出来ずにベイクの勝利に終わったようだった。


 駆けっこから散策に目的は変わり、日が暮れてしまうことと人目にだけ気を付けながら二体は鬱蒼とした山中を思い思いに歩く。


 竜人の頑強な鱗は木の枝や葉っぱ程度では傷も付かず、鱗の無い箇所こそその限りではないにせよ、そもそも山育ちの者が多少の傷を気にするはずはない。二体もそうだ。


「山から下りるなって、“竜狩り”のせいってのは分かるけどさ、だからっていい加減飽き飽きだよオレは」


 途中遭遇したイノシシを取り押さえ、巨体を横倒しにし頭部を地面へと押し付けながらベイクは、首へと爪を突き立て血抜きしようとしているレアへとぼやいた。


 乳白色に色付く長大な爪の切っ先で獣の頸動脈を引き裂き、噴き出した鮮血が顔に付着するのを嫌がるように背けながらレアは言った。


「でも捕まったら何されるか分からないんだよ? ジィジは連中は竜人を殺さないで虐め続けるんだって言ってたし。わたしはそんな目に遭うの、ヤだな」

「そんな連中、オレが残らずぶちのめしてやるよ」

「……じゃさ、下りてみる? コッソリさ、わたしたちだけで」


 思い掛けない返答に、イノシシの喉を開いていたベイクは固まった。血の付いた手を払いながらレアが彼からの反応を待つ。


 やがて動脈からの出血が止まったイノシシを無言のまま肩で担ぎ上げたベイク。すると彼はそのまま歩き出したので、急いでレアはその背中を追った。


 ねえと彼女がベイクへと声を掛ける。そして横に並びながら彼の顔を覗き込んだ。ベイクは顔を逸らし、これ以上の追求を避けるべくやむなくといった調子で言うのだった。


「まっ、しばらくは親父たちの顔を立てておいてやるとするか」


 甲斐性無しとすかさず突っ込んでくるレアにベイクは舌を見せるばかり。そうしてなんだかんだと言い合いをしながらベイクとレア、竜人の幼体二体は散策を終えて帰路につく。


 目指す先は森の奥、山を登ったその先だ。これが彼らの日常で、今日もなんら変わりのないいつもの一日。そう思ってなんの警戒もしていなかった。


 秘境へと帰り行く二体の背中を見下ろす二つの眼。一見すれば何処にでもいる野鳥の一羽。しかし日暮れである。鳥たちは既に皆、身を隠し休んでいる頃。だがその一羽ばかりは、日の落ちゆく黄昏の空へとその翼を広げ舞い上がった。



 1



 ――“竜骸山脈”七つ山、その三つ目の中腹より少し上。顎岩が見えたら東へとぐるりと山を回り込み、暗く怖ろしい森に臆せず飛び込んだならば、父母の言いつけをよく思い出すこと――


 そんな詩があった。“そこ”に住む者ならば誰でも知っている歌だった。もちろん、ベイクとレアも知っている。


 なので目が暗闇に慣れてもまだ暗い森の中を二体は件の言いつけ通りに進んでいった。


 ――固い柔らかい柔らかい固い。あまりに普通がすぎて普通でない、やっぱり普通の岩を見つけたら回れ右。柔らかい固い柔らかい固い。つるりと滑る石の上、ちょっと進むとすっぽ抜けるから気を付けな。落ちたら怪我じゃ済まないぞ――


「考えてみたらあからさま」

「人の話はよく聞けってさ、たぶん街や都の連中たちも言われてるだろ。だってのに意地の悪い……」

「誰だって怪我、したくないもんね」


 大怪我の危険性を示唆され、“落ちるな”と忠告されれば誰であっても注意して落下を回避しようとする。仮にこの詩をしるよそ者がやって来てもたどり着くことはできないであろう。


 あえて危険を冒し、忠告を無視する無謀さを以て、負傷を回避する身の熟しを誇る者のみが到る事の出来る“竜骸山脈”秘境が一つ――“骸骨村”。


 地面の硬度を頼りに木々の合間を抜け、辿り着いた目印の岩を回れ右して、再び地面の感触を追い、やがて床のように敷かれた苔生した石の上を進む。そしてある地点でベイクが足場を強く踏むと、石が傾いて出来た穴を二体は滑落した。


 苔のせいで傾斜はよく滑り、ベイクは肩に回したイノシシの四肢を片手でしっかと掴まえつつ空いた左手と両足で斜面を押さえ勢いを殺す。レアも同様であった。


 それでもかなりの速度。しかし彼らはむしろその恐怖を愉しんでいるようで愉快そうな声を上げていた。やがて傾斜が途切れ、二体の体が真っ暗な暗闇に投げ出される。


「今日はレアだ! お前、負けたからな」

「あなたイノシシ抱えてるじゃん!」

「軽い軽い!」


 もうと呆れながらレアが暗闇に手を伸ばすと太い木の根を右手に掴まえた。そして残った左手を差し伸べるとベイクがそれを掴む。彼女の鋭い爪も竜鱗を易々と引き裂くことは出来ない。故に怪我させることを案ずること無くレアはベイクの手を握り返すことが出来た。


 この世界には幾つかの人種が存在する。人間を始め守人や強人、小人などである。そして竜人は守人に次ぐ身体能力を有し、その膂力は強人にも匹敵しうる。女性であっても同じだ。


 ベイクを支えると筋肉が隆起を始め膨らむレアの両腕。木の根に突き立てた爪で落下速度を抑え、両足の爪も使い向きを修正して旋回。なるべく長く根を滑ってゆく。


 凡そ六十秒か、もう少し。二体が根を伝い降りて行くと暗闇に光が差した。頼りの無い松明の赤と菌類の碧色。そしてそれらに照らされて現れる広大な空間。骸骨村だ。


 土と数多の根っこに覆われた、文字通り山中に存在するその村は名前の通りとてつもなく巨大な骸骨により支えられている。村の天井部分、土や樹木の落下を防いでいるのは湾曲したアーチ状の、人や獣でいえば肋骨だろうか。


 その骨に吊された幾つもの松明が照らし出すのは土で出来たドーム状の家々。壁面や屋根部分に生えた菌類が碧色に淡く光を放ち、骸骨村全体を染め上げていた。


 到着を確認したレアが木の根から手を放す。既に地面はすぐそこ。ベイクは先んじて着地を済ませレアを待って見上げていた。


「女子を見上げない!」

「ンだよ……」


 ベイクへと落下の勢いを利用した蹴りを放つが、事も無げに回避されてしまう不服そうにするレア。それを見てベイクはうんざりして肩を竦める。


「大物だな。ベイク、レア」


 睨み合う二体の元へとそう声を掛けてやって来たのは額に一本の角を生やした竜人の男性だった。


 名前をゾルディンと云い、ベイクに近い赤毛をして顎髭を生やしていた。彼の存在に気付いたベイクとレアは得意そうな笑みを浮かべて同時に言った。


「楽勝っ」

「かははっ、頼もしいことだ!」


 小気味良い調子で笑うゾルディンと共に二体も笑い、ベイクは担いだイノシシとの格闘の様子をレアと語ったりした。


 そんな彼らを茶化したりせず、微笑を携えながら話を聞いていたゾルディンは、二体の話が一段落したところで口を開く。


「ただあんまり麓の方には近寄るなよ? 人攫いに遭うからな」

「毎日毎日、それ何度聞けば良いんだ?」

「何度でもだよ。お前たち二人は俺たちの宝。竜は決して宝物を誰かにやったりしないもんだ。窮屈な気持ちは分かるが、俺たちの気持ちも少しで良い、分かっておくれ」


 レアは言い付けに背く気など無く、ゾルディンの言葉にも何も言い返すことはしなかったが、ベイクは違うようでいじけたように足の爪で地面を掘り返したりしている。唇も尖っているし、眉間にしわも寄っていた。


 そんなベイクを見かね、彼らの前に屈み込んだゾルディンは肥大化して赤茶色い鱗に包まれた両手で二体の頭を撫でた。レアは嬉しそうにはにかみ、ベイクは下を向いていた目をゾルディンへと向ける。


「デカくなりゃあ山を出ることも出来る」

「ゾルディンはどうして出てかないんだ?」

「俺は此処が好きだからよ。お前たちのこともな」


 だからよ――ゾルディンがそう言って歯を見せて笑うと、ベイクは再び目を背けてしまう。しかしその表情から不服の色はもう無く、彼は鼻から吐息を抜くと「仕方ねえ、大人ンなるまでは居てやるか」と言うのだった。


 それを見てゾルディンは苦笑を零し、レアはくすり小さく笑う。するとレアはベイクの腕へ飛び付いて抱き締めると言った。


「じゃあわたしもそうしよっと! ベイクが居るならわたしも居る。これってトーゼンよねっ」

「マジかよ、暑っ苦しいだけだぜ……」

「なんですって?」


 抱擁はその瞬間に締め付けとなり、レアの鉤爪の切っ先がベイクの鱗が無い上腕へと食い込む。


 彼女の表情も笑顔でこそありながらその目は笑っておらず、口角も微かに引きつっているようだった。


 それを向けられたベイクは顔を彼女から逸らし、痛みを堪えながらなんでもないような顔をして強がった。


 これを見て千日手を連想したゾルディン。彼は溜め息を吐いて項垂れる。それから再び顔を上げては今日はもう遅いから帰るようにと二体に告げて無理矢理に引き離すのだった。

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