PART4

 翌日、早朝。ベイクとレアの二人は荷袋と山刀を担がされクマ狩りの用意を整える。荷袋はどうやら中のものが多いのか張り詰めていた。


 ベイクは背後にかかる重量感に不快そうに眉をひそめ唇を尖らせている。レアも同じだった。


「ンだよ。こんな大荷物無くったってクマくらい倒せるぜ」

「そだよっ、わたしだってついてるし。ベイクはクマなんかに負けたりしないし! てゆーか、なんでわたしまで?」


 文句を言う二人を前に、荷物を持たせたガンダーはその嗄声で以て喉を震わせながら言った。


「シシとクマは違う。ヤツは臆病だが追い込まれれば牙を剥く。そうなればまだガキのお前たちなんぞ返り討ちに遭うだけよ」


 だから時間をかけてじっくり追い込め――逃さないためにもそれが一番だとガンダー。レアはなんとなく納得してしまい口を噤んでしまうが、ベイクは納得出来ず「それこそ返り討ちにしてやるよ」と息巻いた。


 それを見てガンダーは小さく笑うと、ベイクの頭へと手を乗せて彼の結われた赤髪をくしゃくしゃに掻き乱した。

 その様子を隣でレアが珍しそうに眺める。


「その意気だクソガキ。思う存分テメェの技ァ叩き込んでやれ」

「ンだよこのっ、クソジジイ! なんか気色悪きしょいぞ」


 照れてると茶化すレアへと、ガンダーの手から逃れたベイクは歯を剥き威嚇する。するとレアの許へも歩み寄る者たちがおり、それは成体になって間もないと思しき雌雄の竜人二体だった。


 ガルグとベルンと云う番であった。鼻先が黒く硬質化し、白い総髪をした雄の成体がガルグ。左右の側頭部から本来後ろに向かい伸びる角を詰めた、やはり白い長髪の雌の成体がベルンだ。


 二体はレアのすぐ側で立ち止まると、ガンダーがベイクにしたように彼女の頭をガルグから順番に撫でた。


 ベイクのようにレアは逃げたりせずに二体からの愛撫を甘んじて受け入れ、嬉しそうに笑みを浮かべ頬を赤らめる。二体は彼女の育ての親なのだ。


 しかしそのとき彼女は何かおかしいなと違和感を覚えた。二体の優しさを彼女は知っていたが、甘いわけではない。たかだかクマ狩りに見送りに出てくるようなことはしないはずだと。


 それに気付くとガンダーがこの場に居ることはさらに珍しいと分かる。彼はこの骸骨村に住む竜人の中でもとびきりに厳しく、甘さとは無縁の存在だからだ。


 レアはベルンに頭を撫でてもらいながらちらと尻目でガンダーの様子を窺った。そっぽを向くベイクを彼はじっと見詰めている。まるで目に焼き付けでもしているようだった。


「父さま、母さま。なんか……」


 それが何か不安に思えて、レアが視線をガルグとベルンの二体へと向けて口を開く。するとそれを遮るようにして、微笑みをたたえたガルグが「決して気を抜くなよ」と告げた。


 彼の濃紺をした瞳に見据えられると、そこから醸し出される迫力にレアの気持ちが自然と引き締まる。そして彼女は口を噤み、二体に向けて深く頷く。


「チッ……もう行くぞ、レア」

「あっ、はーいっ」


 結局ベイクは乱れた調子を取り戻すことが出来ず忌々しげに舌打ちなどして、ガンダーにそっぽを向いたまま口頭でレアを呼んで歩き出した。


 その呼び声に気付き、返事して駆け出したレア。ベイクへと追い付くと彼の腕へとひしと飛び付きながら、ガルグとベルン、ガンダーへと手を振り行ってきますと天真爛漫に言うのだった。


 それを三人は静かに見送り、村の抜け道から二体の姿が消えた頃、彼らの周りにゾルディンを始めとした村に住む竜人たちが集結した。皆が浮かべているのはそれぞれ特徴を持った異なる笑顔。それを向けられるのはもう姿の見えないベイクとレアだ。


「さて……テメェら、出迎えの準備をしようじゃねえか」


 しばらくして振り返り、皆へとガンダーが告げた。それに対して皆は笑みを引っ込め表情を引き締めるとそれぞれ頷いた。


 それからの行動は速く、日常とは異なった動きを竜人達はし始め、そうして時間が過ぎてゆく。

 そして――



 1



「眼福なり。まだこれ程の竜人が残っていようとはな」


 骸骨村へと現れた集団は、皆一様に甲冑に見を包んでいた。

 そしてその一団の先頭に立った、朱色の甲冑を纏う人物が地鳴りの様な声で言った。その者の顔は“鬼”と呼ばれる怪物を象った総面で隠され、浮かぶ大きな双眸には金色の輝きを宿していた。


 すると村内へと散開していた一団の一人が鬼面の許へと駆け込み跪いた。その者の顔もまた、長い鼻の造形が特徴的な赤い総面で覆われていて、彼は言った。


「殿っ、この集落の長を捕らえましてござる」

「ソウジ! ご苦労である。他の竜人どもを纏めておけい!」


 ははぁっ――そう応えて天狗面ことソウジは素早くその場を去る。そして鬼面がその巨体を揺さぶり、腰を預けていた床几しょうぎから立ち上がると、ずんと広大な足で踏み出した。


 彼か踏み進める骸骨村では次々と物を破壊する音や怒号に雄叫び、そして悲鳴が上がる。崩れる家屋があり、地面へと叩き付けられる者が居り、竜人たちが次々と天狗面たちに捕らわれてゆく。


 その喧騒と狂乱の只中を鬼面は悠々と歩を進め、やがて足を止めた彼の目の前には二人の天狗面に両腕を拘束され膝を突かされたガンダーの姿があった。


 ガンダーに傷は無かった。ただ無力にも取り押さえられ、その顔は地面ばかりを向いていた。


 天狗面たちは何も言わず、鬼面からの支持をひたすら待つ。そして鬼面もまた無言で沈黙するガンダーを見下ろし続けていた。だがしばらくして、微かに身動ぎして甲冑を鳴らした鬼面が口を開く。


「老いたるものと、男に女ばかりじゃのう……」


 おそらくは装飾であろう、歯を剥いた鬼の口元を真似た面頬に生えた白い髭を撫でながら鬼面が述べた言葉は白々しいものだった。ガンダーは沈黙を続ける。


「……わっぱの姿が見えぬのう」


 そして鬼面がその台詞を吐いたとき、ガンダーのうつむいていた顔が跳ね上がった。彼に天狗面たちの意識が移った刹那、通りの左右にある家屋の屋根の影から二つの影が飛び出した。ガルグとゾルディンの二体であった。


 二体の手には槍が握られており、天狗面たちが対応する暇も与えず雄叫びと共に彼らはその穂先を鬼面へと突き出した。


「――この将軍いくさのかみ朱天シュテン”を見くびるでないぞ」


 しかし穂先は鬼面……シュテンの頭部の直前でぴたりと動きを止めてしまう。驚愕に口を開け広げ、目を剥き顔色を変えるガルグとゾルディン。彼らの目には朱色の五指が槍を掴み止める光景が映っていた。


 しかし驚愕以外の感情は無い。着地した二体は槍をさらに押し込みながら、それはまるでシュテンをその場に抑えつけるかのようだった。


「見くびってなぞおらんわ。だがテメェこそ、儂らを見くびってんじゃねえぞ……!!」


 シュテンは襲撃のとき確かに意識をそちらに向けた。それこそ刹那的にである。しかしその一瞬すら長いときの内にも、咆えたガンダーの口腔からは火の粉がちらつき、天狗面が異変に気付いたときには既に彼は火炎を噴いていた。ある特殊な竜の血を引く者が行使出来る力である。


 瞬く間にシュテンはその火炎に包まれ、天狗面たちは熱気にガンダーを拘束していられずたじろぎ。槍の穂先は蒸発しガルグとゾルディンは腰に掛けていた山刀を抜く。


 やがて火炎噴射が途切れ、口腔に炎の残滓を残しながらガンダーは立ち上がりいまだ燃えるシュテンを見据えた。


 如何に頑丈な鎧であろうが“竜の吐息”を耐えられるはずはない。ガルグとゾルディン、そしてガンダーすらそう思っていた。


「……大した炎だが、このシュテンを焼くにはちと温い」


 だが纏わり付く炎を引き千切り、シュテンの朱色が再び姿を現した。ガンダーが眉間にしわを寄せ、ガルグとゾルディンが舌打ちを鳴らす。


 そして怯んでいた天狗面が再度ガンダーを拘束しようと襲い掛かって、身を翻したガンダーの健脚が二人を薙ぎ払った。それと連動し、ガルグ及びゾルディンの山刀がシュテンを狙う。


「かっ、良きかな!」


 轟と風を断ち切り、シュテンの両腕が宙空を鋭く薙ぐと迫った二振りの刃が砕け散りガルグが、ゾルディンが弾き飛ばされた。


 その間にも跳び上がったガンダーの炎纏う正拳がシュテンの顔面を殴り付け、装甲と竜鱗の頑強がぶつかり合い鋭い音が響く。ガンダーの口から舌打ちが鳴った。シュテンが愉しげに笑う。


「――もらった!」


 そんなシュテンの背後から一つの影が姿を現し、握り締められた鋲の鋭利な切っ先が彼の装甲の合間を攻めた。首の可動部であり、急所である。影の正体はベルンであった。


「大した連携である、良いぞ! 面白いっ」

「なんで……っ」

「流体装甲である! 我が“鎧殻”、一分の隙も無しなり!!」


 常態は流動し動作に追従し、衝撃が与えられたときにのみ凝固し即座に装甲化を果たす超越の素材。シュテンが纏う“鎧殻・朱天”は竜の炎をもはね除け、急所すら覆い尽くした完璧な護りであったのだ。


 しかも、それだけではない。


「叫べ、“雷角らいかく”っ!!」

「ムッ!?」


 シュテンの雄叫びに呼応し、鉢金から伸びた二本の角に蒼い閃光がのたうち回った。


 その瞬きを認識したときには既にガンダーの身体は勢い良く弾き飛ばされ、地面へと激突していた。彼の身を強烈な痛みと痺れが襲う。


「我が角は雷を操作あやつるのだ。光の速度はやさ、逃れる方法すべは無いぞ」


 さらに――シュテンが続ける中、彼の背からベルンが逃れようとして跳んだ。一度体勢を立て直そうというのだ。ガルグ、ゾルディンと連携して攻め入るために。


 だが宙空の彼女を衝撃が襲い、圧迫感に呻きが上がる。復調したガルグが見たのはシュテンの腕に鷲掴みにされるベルンの姿。しかしシュテンは振り向くことすらしていなかった。


「これぞ“胤仔武いんこむ天狗腕てんぐかいな”。我が腕は宙空そら飛翔かけるのだ!!」


 言葉の通り、管に繋がれたシュテンの右の前腕部装甲が上腕部より分離し宙を飛翔、背後のベルンを拘束していた。


 あまりの光景に驚愕し顔面を蒼白させて言葉を失うベルグ。ゾルディンも、ガンダーも同じであった。

 “竜狩り”とはこれ程までに強大なのかと絶望が胸を穿った。


「童は何処かな!?」


 戦士たちが戦意を喪失したのを見計らい、ぎらりと双眸を金色に輝かせたシュテンが問い掛けた。するとそれとほぼ同時に四人の眼光が勢いを取り戻し、失った戦意が甦った。


 拘束から抜け出んとするベルン。山刀の砕けた刃を握り締め構えを取るガルグとゾルディン。そして口腔に炎を蓄えたガンダーを前にして、シュテンの鬼面に秘匿された素顔、その口元に笑みが浮かんだ。嘲笑とは違う、嬉々とした笑みである。


 そして特大の火炎が彼の視界を埋め尽くした。

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