PART5
「ごぉおおおぁっ」
気合い一閃。気息を調えた一直線に上昇するベイクの蹴りに顎を撃たれ、かち上げられた黒毛の大熊が後ろ肢で後退した。
ベイクは追撃しようとその身を屈めて両脚に力を込めた。
「ちぇりゃあーっ」
そんな彼の頭上を飛び越えて、レアの勢い良い跳び蹴りがクマの喉に直撃する。ただの跳び蹴りではなく、命中する直前に蹴り込む致命的な威力を持つ蹴りである。
クマは呻き声を上げて仰向けに倒れた。呼吸を遮られその巨体が地面を飛び跳ねる。復活するかは五分かもう少し低いだろう。
着地を成功させたレアは両手の爪をぎらつかせ、暴れるクマへとにじり寄った。すると彼女の、白銀の鱗に覆われた尻尾が揺れる背中に声が掛けられた。
「横取りすんじゃねえよ」
ベイクであった。どうやらクマを仕留めるつもりでいたらしい彼の不服さが多分に含まれた声に、何やらゆったりと尻尾を揺らしたレアが振り返り、舌を出しながら「油断大敵っ」と言った。
彼女のその言葉にベイクは舌打ちをする。
「つまり美味しいとこかっさらうために遅れてきたってワケね」
「アっタリ〜。さっすがベイク、わたしのことわかってるぅ」
分かっていたら出し抜かれたりしないだろうと、頬を赤らめてはにかむレアを見ながらベイクはそう思いつつも遂には口にしなかった。きっとレアは冗談でそれを言っていない。胸に秘めた言葉を言えば彼女は怒り出すであろうことをベイクは察していたから、だから言わないのだ。
ヘソを曲げたレアほど厄介なものはない。これも当然ながらベイクは口にしたりしない。これに関しては絶対だ。
レアからのでれでれとした熱視線に堪え切れず、ベイクが顔を逸らそうとすると、その視界に起き上がったクマの姿が映った。
「レアっ、伏せろ!!」
突如として放たれたベイクの指示にしかしレアは従順に従い、地面へと飛び込むようにして伏せた。そんな彼女の頭上を今度はベイクが飛び越える。
ベイクの影を追ってうつ伏せから仰向けへと体勢を変えるレアは、クマへと飛び掛かったベイクがその腕の逆鱗で以て巨大な獣を引き裂くのを見た。
崩れ落ちる巨体から噴き出した深紅の鮮血を浴びて佇むベイクの背中。それを見てレアの胸が高鳴り、口許が自然と緩んでゆく。
「……悪ィな、レア。トドメはオレが――」
「やぁ〜んっ、ベイクかっこいーっ!!」
「おおおうっ」
「やぁ〜んっ!?」
クマの沈黙を確認したベイクが振り返ると、そのときには既に飛び込んでくるレアがいた。
そしてレアがベイクへと抱きつく瞬間、しかしベイクは彼女を受け流し自らも倒れ込みながら彼女の腹に足を当て、すると巴投げで投げ飛ばす。
驚きに満ちたレアの声が響き、彼女の姿が倒れたクマの影に消えた。ベイクが立ち上がりながら、血塗れた呆れ顔をして言う。
「お前がそうくるのは分かり切ってんだ」
何も前例の無い行動ではないのだ。むしろレアがベイクに取る行動としては通例とも言える。
これ見よがしに両手の埃を払うような仕草をしながら熊狩を果たしたベイクが一息吐こうとして、突如クマの影から飛び出たレアが何処かを指差してベイクを呼んだ。
彼女の鉤爪を伸ばした指先の指し示す方角を向いたベイクの双眸が見開かれ、金色の瞳が揺れる。その瞳に映ったのは立ち昇る火の粉を含んだ煌めく煙だった。
「親父、お袋……ッ」
煙を視覚が感知し脳がその意味を理解したとき、ベイクの胸の中心に熱いものが広がった。
居ても立っても居られずに駆け出そうとした彼の手を、しかしレアが掴まえ引き留めた。ベイクが振り返りもせずに離せと怒鳴るが、レアは彼の手を放さない。
「分かってるでしょ? 戻っちゃダメ!」
「知ったことか! 親父たちやジジイを助けねえと――」
「わたしたちまで捕まっちゃったら、それこそ父さまや母さまたちを裏切ることになるんだよ? そんなの、ベイクだって分かってるでしょ!?」
レアの言う“裏切り”とは村の竜人たちの“想い”に対しての言葉であった。最後と呼ばれる竜人であるベイクとレアが“竜狩り”の魔の手から逃れ、平穏に生きてほしいという皆の想い。
その言葉にベイクは反論することが出来なかった。ただ食い縛った歯が軋みを上げ、掴んだ手から小さな震えをレアは感じ取っていた。
「……分かるよ、わたしにもベイクのことならなんだって分かるもん。わたしだって、ホントは――」
分かってる――絞り出したような声でベイクがレアの言葉を遮った。レアが恐る恐る彼の手を放すと、ベイクは彼女に振り返り、そして言うのだった。
「山を下りよう。きっとすぐ山狩りになる」
ベイクの表情は険しく、おそらくは村の皆に背を向けることへのやるせなさに眉間にしわを寄せ必死に何かを我慢していた。
それを見てレアは自らが間違ったことをしたのではないかという疑念に駆られ、思わず面を伏せてしまった。
するとそんな彼女の前髪を掻き分けて、鱗に覆われたベイクの指が額に触れる。そして彼女の顔を上げさせた。
「……オレはバカだからな」
鱗に覆われた指は冷たく硬い。しかし、レアは額に温かく柔らかな感触を覚える。ベイクが額を合わせたのだった。
より近くになった彼の顔を、金色の瞳をレアは七色の瞳に映し、ベイクは彼女のその瞳を映す。
ベイクが鼻で笑いながら告げた言葉を受けて、レアの沈みかけた表情に小さな笑顔が咲いた。そして彼女は言う。
「うん、分かってる。だから、わたしがしっかりしないとね……。ホント、ベイクはわたしがいないと――」
ご歓談中、失礼しまぁ〜す――間抜けた声にベイクとレアが弾けるように離れ、声のした方角へと向いて構えた。二人の前に現れたのは濃紺の鎧殻を纏ったにやけ顔の男だった。
「初めまして諸君。私はゴウテン――なぁんて、クソみたいな名前じゃあない。ゴルドン・ブルマアク。どうかよろしく」
不自然なまでに丁寧に頭を下げるゴルドン。彼が垂れ下がった長い金色の前髪を跳ね上げながら再び顔を見せたとき、そこにある笑みはより色濃く深いものに変わっていた。
彼に敵意を向ける二体にゴルドンは「くふんっ」と笑声を零した。
「どうして居場所がって顔をしているな? 如何にお前たちが小さく木陰に紛れようとも、空を駆ける小さな密偵からは逃れられんさ」
両手を開き、装甲で盛り上がった肩を更にそびやかせ、背をしならせながら得意そうに語るゴルドンの背後から錫杖を右手に持った白い衣と軽装を身に纏った者が現れる。
頭巾で目元以外を覆い隠したその人物は大きな袖に隠れた左手を持ち上げた。その、やはり白い手袋に包まれた手に茶色い羽毛に覆われた小鳥が留まった。
ゴルドンはそれを指し示しながら「この小鳥さんのことだよ、ボクたち」とあからさまにベイクとレアを小馬鹿にして補足を述べる。
彼の挑発にベイクが噛み締めた奥歯を軋ませる。その瞬間を逃さず、ゴルドンは「くはっ」と歯を見せ
「竜人の幼体は金になる。あの粗末な棲み家の老いぼれとは違ってな。ツイてる、実に私はツイているよ! アッハッハッハッ」
思わず込み上げては飛び出してくる笑い声にゴルドン本人が困ったように片手で顔を覆った。だがその合間にも踊りかかったベイクの拳が彼に迫っていた。
「シュテンなんて変わり者にゃあ勿体ない。お前たちは私の手柄として頂くとしよう」
「なっ!?」
「無駄な抵抗はよしたまえ。お客様は完品をお望みだ」
ベイクと、そしてレアの両名が目をみはる。ゴルドンの左手がベイクの拳による渾身の殴打を受け止めていた。
ゴルドンはいまだ笑いを堪え切れず肩を震わせている。獣の分厚い頭蓋すら砕くベイクの拳は人の身で到底受け止められるものではない。異様さを覚えたベイクはその場から飛び退った。
「ハハッ、はぁーぁ……さぁ、大人しくしたまえ」
傷付けたくない――ようやく笑いを抑え込んだゴルドンは、前髪を指で視界から退けつつベイクたちの許へと歩み寄る。彼の背後では白ずくめが懐から何やら細長く小さい筒のようなものを取り出している。
じりじりと後退するベイクは裸の背中にひやりとした硬い感触を覚えた。レアの手のひらであった。レアはすぐにひしとベイクの背に体を寄せる。
「ベイク……っ」
「くそったれがっ、逃げるぞ!」
叫び、ベイクは足元にあった荷物をゴルドンへと向けて蹴り上げた。向かってくる飛翔物をゴルドンは片腕で軽々跳ね除けるが、その際に中から飛び出してきた食料や山刀を始めとした野営道具などがゴルドンを鬱陶しがらせる。
それらが全て地面へと落ちた頃、その場を動かなかったゴルドンは腰に手を当て、前髪を首の動作で跳ね除けながらふむと鼻を鳴らした。既に彼らの前にベイクたちの姿はなかった。
「まさか見失ってなんか、ないよな?」
「勿論でありまする」
「ほっ、良かった。私はすっかり見失ってしまったからな」
では、狩りを始めよう――白ずくめに先導され、前髪を弄っていたゴルドンは笑みを携えようやく歩み出す。その軌跡はベイクらの軌跡をぴたりとなぞるものであった。
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