12



 立花さんの話が終わり、辺りが静かになった。


「ユウケイ」

 朋香はつぶやいた。


「だから、ぼくの名前は、ユウケイなんですね」


「それが、今度の事件とどう関係があるのかは、私にはわからない。こちらのお嬢さんのおばあさまとの関係もわからない。しかし、おばあさまが安達ヶ原の女に取りつかれているというのは、全く否定することは私にはできない。あの時、佑慶が私の中に逃げてきたと言われれば、そうだとしか言えない……」

「それから、おとうさんの身に何か変わったことはおこらなかったのでか」  

 佑慶が膝を進めて聞いた。


「名前を差し出してから、私はすぐに自分が何をしているのかわかった。衣装も脱がずにおかあさんのベッドの横に立って、私は何をしているんだと思ったけれど、みんなが、よほどうれしかったのね、といって笑ってくれたので、私も笑ってごまかしたよ。それからは、何も変わったことはなかった。不思議なことがあるもんだと思っただけだ」 

「もしも、おとうさんに安達ヶ原の佑慶が乗り移ったとしたら、その佑慶はどこにいったんだろう」

「待ちなさい。私に安達ヶ原の佑慶が乗り移ったと決めつけるのはよくないよ」

「そうですね。でも、朋香ちゃんのおばあさんは人が変ってしまって、先生も普通とは言えない容貌になっていることは確かなんだ」


 三人は押し黙ったままだった。何をどう考えれば、変わってしまった二人を助けることができるのかわからなかった。


 朋香はふと思った。

「どうして、佑慶さんは、おばあちゃんの写真を持ってるの?」

「ストーカーだ」

 佑慶が顔をくもらせた。


「ストーカー?」

「そう、ぼくは、ちょっと前から、誰かにつけられているような気がして気持ちが悪かったんだ。気づかないふりをしていると、何回かこのおばあさんの姿を見た。だから、ぼくをつけているのはこのおばあさんだということが分かったんだ。何かあれば警察に行こうと、写真を撮っておいた……」

 立花さんと朋香は、佑慶の中に安達ヶ原の佑慶を探すようにじっと見た。


「え、ぼくですか?」

 佑慶は、目をパチパチさせてからだをを引いた。

「おばあちゃんに乗り移った鬼女は安達ヶ原の佑慶さんを探していたのかもしれない。それらしい人を見つけた。それが、立花佑慶さんだったということじゃないの? 安達ヶ原の佑慶は立花佑慶さんに乗り移ったんじゃない?」

「いや、そんなことはないと思うよ。生まれてこの方、変わったことなんか何も……」

「おばあさんが、佑慶をつけまわしていたということなのか。私の中ではなく安達ヶ原の佑慶はこの佑慶の中に逃げ込んだということか……」

「でも、ぼくの中にはその佑慶さんの影響はなにもないよ」

「隠れているだけのかもしれない。おばあさんいや鬼女にはそれが分かったに違いない」

「そんなぁー」

 佑慶は両腕を抱きかかえてぶるっと体を震わせた。


「私もそうだと思う。おばあちゃんは、一度この家に来たことあります。どうしてこの家に来たのか、その時には分からなかったけど、今なら分かるような気がする。安達ヶ原の佑慶さんを探してここへ来たんだわ」

「この家に来た?」

 立花さんが聞いた。

「私が後を付けてきたの。おばあちゃんはこの家まで来てこの家の塀を跳び越えて……」

「ああ、前に、家内が変な女の子が泥棒が入ったといって聞かないといっていたことがあった。それが君だったんだね」

「そう、それ私です。私、本当におばあちゃんがこの家に忍び込んだのを見たんです。でも、それは、本当のおばあちゃんじゃない……」

 朋香は悲しかった。おばあちゃんと鬼がいっしょだと思われるのがいやだった。


「もちろん、忍び込んだ者は君の本当のおばあさんじゃないですよ」

 立花さんは、朋香を安心させるように微笑んだ。

「やっぱり、ぼくにかかわりがあるのか……」

 佑慶は考え込んでうつむいた。


「おとうさん、ぼく達の流派に『白本』というのがあるでしょう?」

「ああ」

 立花さんは、どうして今その話が出てくるのか分からないというように、眉をひそめた。

「でも、それはないのです」

「ない?」

「そうです。ぼくも、朋香ちゃんに会うまでは、先生が何をいってるのかわからなかった。でも、話しがこんなふうに繋がってくると、それは正しいかもしれないと思ってきました」

「どういうことだ」

「先生が、朋香ちゃんにそんな物はないと伝えたそうです。先生は、ぼくに『黒塚』の謡本を持ってきてくれといいました。ぼくは、うちの流派の『黒塚』をさがしたけれどどこにもなかった。おとうさんは、うちの流派の『黒塚』を見たことがありますか?」

「そう言えば、見たことが無いなぁ。なのに私は、『黒塚』を演じたことだけははっきり覚えている。なぜ無いものを演じられたのか……。そこが思い出せない」


「それが『白本』だと思いませんか?」

「何?」

「ぼく達が『白本』だと思っていたのは、『黒塚』と同じ物だったんじゃないんですか? 安達ヶ原の鬼女を主人公にした能。それだけが、ぼく達の流派にはない。なぜですか? なぜないのですか? でも、おとうさんはそれをぼくが生まれた日、演じたんですよね」

「ああ、そうだ」

「女主人公の鬼女が、本を抜け出したから本がなりたたない。だから真っ白になってしまった。ついでにぼく達の頭の中からも消えてしまった。はじめから『白本』はなかったんですよ。不思議な話で信じられないけど鬼女が朋香ちゃんのおばあさんに乗りうつったと考えれば、おばあさんの変化も『白本』の謎も説明がつく。そう思いませんか?」


「本から鬼女が抜け出す。そんな事が本当あり得るのか」

「でも、おとうさんは、不思議な体験を実際にしたのでしょ? あり得る事を一番知っているんじゃないですか」


「その時、私は安達ヶ原の佑慶と一体となったと感じた。確かに感じた。それは、鬼女が恐ろしいという恐怖だった。逃げなければ、逃げなければ、それしか私は覚えていない。『白本』の謎か……。確かに、何かおかしい」

 立花さんは、腕を組んで目を閉じた。


 朋香たちは、次の立花さんの言葉を待っていた。


 立花さんは、カッと目を開いていった。

「行きましょう。おばあさんに会えば、何かわかるような気がする」

 佑慶も大きくうなずいて、すくっと立ち上がった。


「あ、少し待ちなさい」

 立花さんも立ち上がり、板戸を開けてとなりの部屋に入っていった。

 出てきた時には、手に数珠を持っていた。

「これは、山伏が舞台に上がる時持っている数珠だ。お前がこれを持っていなさい。何かあればお前の身を守ることができるだろう」

「お父さんは?」

「鬼女が探しているのは安達ヶ原の佑慶だ。私たちは大丈夫だよ」

 佑慶は、古びた長い数珠を受け取った。

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