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その日から、おばあちゃんは黒いサングラスを外さなくなった。朋香が行った時は、いつも黒いサングラスをしていた。食事も、あまり食べないような気がする。朋香がいろいろ聞いても、おばあちゃんは「大丈夫、大丈夫」というだけだった。
それに、朋香が泊まっていくといった時には「今日はこれから出かけるから、次にしてね」という。一度だったら、変には思わなかったかもしれないが、何度も出かけるといって、朋香を帰そうとするのはおかしかった。
ある日、朋香は帰るふりをして、隠れておばあちゃんの様子を見ていた。
空が薄暗くなるころに、おばあちゃんは家を出てきた。朋香は後を付けた。
おばあちゃんは駅に向かっていた。切符を買い電車に乗るようだ。
(どうしよう、このまま電車に乗ってしまっていいかのな。どこまでおばあちゃんは行くのかしら)
朋香は迷った。でも、ここまできて、このまま帰ってしまうのは気持ちが落ち着かない。朋香は、最低料金の切符を買っておばあちゃんを付けていくことにした。
おばあちゃんは駅の終点まで電車に乗っていた。終点は街の真ん中だった。終点でおりて、どんどん歩いて行く。
朋香は、精算機で精算し、おばあちゃんを見失わないように小走りで追った。
大きな通りをおばあちゃんは歩いて行く。バスや自動車が行き交うから、朋香も普通に歩いていてもおばあちゃんには見つからないと思った。
角を曲がり、少し人通りが少なくなった。
ここはどこなんだろう?
大きなお屋敷が続いている。白い塀に沿って歩いていると、門の前でおばあちゃんは、立ち止まった。
ああ、ここの家に来ていたのか、と朋香は少し安心した。
やっぱり用事があって、私に帰りなさいといっただけだったんだ。
朋香は、もう帰ろうと思った。
けれど、おばあちゃんはその家の呼び鈴を押すことなく、裏の方に回って行った。なぜだろうと朋香は、もう少しおばあちゃんの後を付けた。
おばあちゃんは、塀の側でしゃがみ込んだ。そして、信じられないことに、ひらりと跳び上がった。そしてそのまま塀の上に乗り、跳び越えてしまった。
おばあちゃんが塀を跳び越えた!
そんなこと、あるはずがない。おばあちゃんがそんなことできるはずがない。塀を跳び越えるのもありえない。人の家に黙って忍び込むのもおかしすぎる。
朋香はごしごし目をこすった。これは見間違いに違いない。きっと、ちょっとだけ目を外したすきに、おばあちゃんはどこかに行ってしまい、今塀を跳び越えたのは、泥棒に違いないと朋香は思った。
朋香は、お屋敷のインターホンに飛びついた。何度も、何度も押し続けた。
「はい」
インターホンから、女の人の声がした。
「今、泥棒が塀を乗り越えました」
「え?」
「泥棒が入ったんです」
朋香は、インターホンにしがみつくようにして大声でいった。
「ちょっと、お待ちください。調べてみます」
少しして
「何かの見間違いだと思いますよ」
女の人の声は落ち着いていた。
「モニターには何も写っていませんから」
「でも、見たんです。誰かが塀を乗り越えたんです」
「あなた、どなた? 私どもは、しっかりセキュリティをしていますから、どうぞ、ご心配なく。いたずらだったらやめてください」
ガチャリとインターホンが切れた。
おばあちゃんは、どこへ行ってしまったんだろう? 塀を越えたのは、本当におばあちゃんだったんだろうか?
朋香は、何が何だか分からなくなっていた。気がつくと、帰りの電車に乗っていた。向かいに座っている人と人の間の窓ガラスに、朋香の顔が映っている。透明で現実味がない顔だ。目を閉じて背もたれにからだを倒した。
となりに誰か座った気がして、朋香は目を開けた。
「どうして、朋香ちゃんがここにいるの?」
おばあちゃんだった。
朋香は何もいえず、まじまじとおばあちゃんの顔を見続けた。
おばあちゃんは朋香の方は見ないで、真っ直ぐ前を向いていた。
「こんなに夜遅く出歩くのはよくないわ。もう二度と私の後を付けようなんて思っちゃダメよ」
おばあちゃんは、それだけをいうとさっと立ち上がって、違う車両に移っていった。
身体が震えだした。おばあちゃんは、私が後を付けていたのを知っているんだ。あの人は誰? 本当のおばあちゃんだったら、あんなことをいうはずがない。本当のおばあちゃんはどこへ行ってしまったんだろう?
その夜、朋香は勉強などする気にもならなかったので、早めにベッドに入った。しかし、少しも眠れそうになかった。
頭がズキズキと痛い。寝返りを何回もうって、時間の過ぎていくのを感じていると、家の電話が鳴った。
おかあさんの声がしている。すると、
「朋香、まだ起きてる? 有ちゃんが話しがあるって」
朋香を呼んだ。
有ちゃんというのは有二さんのことで、おかあさんの弟、朋香のおじさんでもある。大学にいっているらしいけれど、学生でも先生でもないらしい。研究者だと本人はいっているけれど、おかあさんにいわせれば、アルバイト先生よということである。まだ、独身だということもあって、みんなから有ちゃんと呼ばれている。
「何?」
朋香は、部屋を出て一階の居間に入っていった。
「何か、あなたに聞きたいことがあるんだって」
「有ちゃんが?」
おかあさんは、ちょっと肩を上げ受話器を朋香に差し出した。
「もしもし」
「ああ、朋香か? 遅くにごめんな」
有二の声だった。
「うん、何?」
「ちょっと聞きたいんだけど、ばあさん、どうかしたかなぁ?」
すぐにおばあちゃんの話しになった。
「どうかって?」
「電話したんだけど、何か変なんだ。このごろ、どんな様子だ?」
朋香は、あの朝からのおばあちゃんの事をもう一度思い出してみた。お稽古場で見た黒い影。金色に見えたおばあちゃんの目。そして、さっきの塀を跳び越えたおばあちゃん。でも、こんなこといっても誰も信じてくれそうもない。朋香の見間違いだというに決まっている。朋香は、受話器をにぎったまま何も話せなかった。
「もしもし、どうしたの? もしもし、もしもし」
受話器から有二の声が叫んでいる。
「あ、変って、何?」
朋香が聞いた。
「うまくいえないんだけど、話し方がね、何か変なんだ」
「うん……」
「何かあったんだね」
朋香の話し方が納得いかなかったのか、有二は朋香が何かを知っていると思ったらしい。
「私も、うまくいえない」
「そうか、じゃ、明日、ばあさんの家に来てくれるかな? ぼくも様子を見に行ってみようと思ってるから」
「うん、いいよ。でも、おばあちゃんは、私に家には来ないで欲しいと思ってるかもしれない」
「え、なんで?」
「なんとなく……」
「そうか……。じゃ、ぼくが、そっちへ行くか……」
「あ、でも、私も調べてみたいことがあるの。おばあちゃんの家に行きたい」
「ああ……。じゃ、何か用事を作ってばあさんが出かけるようにするよ。出かけたら電話する。それでいいか?」
「うん。待ってる……」
そういって、朋香は受話器を置いた。
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