15
次の日、おばあちゃんの家で朋香は有二とおばあちゃんと三人でテーブルを囲んで話していた。朋香はきのうの出来事を語っていた。
「ふうん。それで、そういう結末だったんだ」
有二が納得したようにうなずいた。
「不思議だわ。本当にそんなことがあったなんて、今思い出しても夢だったような気がするわ……」
おばあちゃんは、頭を振ってやっぱり信じられないというようだった。
「ちょっと待ってね」
おばあちゃんは、部屋を出て行った。
帰ってきた時は、謡本を持っていた。
「これね」
表紙には『安達ヶ原』と書いてあった。
「ちゃんと中も書かれているわ。これが、真っ白だったの? 不思議ね」
「中の主役が二人とも出て行っちゃ、本として成り立たないからなぁ。そういうこともあるのかなぁ」
有二は、ちょっと出たお腹をさすりながらいった。
「それにしても、どうして、ぼくはこんなにお腹が出ちゃてるんだろう?」
「鬼女のおばあちゃんが、いっぱいおいしい物を作ったからじゃない」
朋香がいった。
「太らせてから、食おうと思ってたのかな……」
有二がぽんとお腹をたたいた。
「あら、いやだ。身体は私だったのよ。あなたなんて食べたくないわ。きっとね、私の身体にご飯を作らなきゃという本能みたいなのが残っていたのよ」
「そういえば、母さんは、飯を食え、食えっていつもいってるよな」
有二が笑った。
「能の中の話でも、安達ヶ原の鬼女も、本当に佑慶達ををもてなそうとしてたのかもしれないわ」
おばあちゃんがいった。
「どうして?」
有二が聞いた。
「山に薪を拾いに行ったでしょう?」
「あ、その時に見てはいけないといわれていた部屋を見たんだ」
朋香がいった。
「そうね。その後、鬼女に変身するんだけど、鬼女になっても拾ってきた薪はちゃんと持ってるの。祈り伏せられそうになっても、ちゃんと薪を背負ってるのよ。食べちゃおうとしたら、薪なんて取りにいったりしないし、まして追いかけるのに薪を持って追いかけたりしないと思うわ」
「ふうん。じゃ、おばあちゃんの身体をを乗っ取った鬼女も、本当に有ちゃんが細くって可哀そうだと思ったから、一生懸命お料理して食べさせていたのかしら。私は、鬼の作った食べ物を食べたら、もう元には戻れないんだと思っていたんだけど」
「どっちかなぁ。ぼくは、そこのところは全然覚えていない。どちらともいえるような気がするな。まあ、どちらにしても、ぼくは食べられなくてよかったよ」
有二の言葉に、朋香達は笑いあった。
「こんにちは」
庭から、おとなりの内田さんがのぞいていた。
「こんにちは。どうしたの、こんなところから」
「いえね、さがしていたねこちゃんが帰ってきたのよ。ほら」
内田さんは、真っ白のフワフワしたねこを抱き上げて朋香達に見せた。
「まあ、それはよかったわね」
「おさわがせしました」
内田さんは、頭を下げて帰って行った。
有二と朋香は、顔を見合わせてうふふと笑った。
「ねこは、単なる家出だったみたいだね」
「うん。鬼女に食べられちゃったかと思ちゃった。そんなタイミングで行方不明になるんだから、みんな変な方に考えちゃって……」
「それがよかったのかもしれないけどね。そうじゃなかったら、鬼女の話なんてだれも信じないもの」
有二は苦笑いをした。
「おばあちゃん、安達ヶ原の鬼女は、一人で本当に寂しかったのよね。だから、佑慶さんをさがしたかった」
「そうね」
「でも、どうして鬼女はおばあちゃんに乗り移ったのかしら」
「どうしてかしらねぇ」
「かあさんが、『安達ヶ原』が好きだったからじゃないかな」
有二がいった。
「そうかもしれないわねぇ。私たち、いい友達になれるような気がするわ」
「どちらも、ひとり住いのばあさんだもんな」
「何いってるのよ。私は、たくさん友達がいて楽しく暮らしてるわよ」
おばあちゃんは、わかってないわねというように有二をにらんだ。
「『安達ヶ原』は、最近、演じられなかったらしいんだ」
有二が指先を見つめていった。
「それは、佑慶がいなかった時期と合わさってるのかしら?」
おばあちゃんが聞いた。
「そうなるね」
「まあ、それは寂しかったでしょうね。能の中の人物は、やっぱり演じてもらうのが一番うれしいんじゃないかしらねぇ」
「うん。そうかもしれないね。これで、二人とも本の中に帰ったんだから、だれかがきっと演じてくれるね。よかった。よかった。それにしても、ぼくの記憶が飛んでしまっていて残念だったなぁ。この経験を覚えていたら、いい論文が出来上がっただろうになぁ。こんな経験は、もうできないだろうしなぁ。うーん、かえすがえすも残念だ」
有二のしかめた顔を見て、おばあちゃんと朋香は顏を見合わせてふふふと笑った。
「でもさ、おばあちゃんが鬼女に最後にいった言葉、あれは何んだったの? あの言葉を聞いたとたんに、鬼女の力が抜けたような気がしたけど」
朋香が聞いた。
「私が?」
「そうよ。最後に誰を食べたの? っておばあちゃんが聞いたんだよ。そしたら、鬼女は、泣き出したの。鬼女が最後に食べたのはだれだったの?」
「さあねぇ……。私、そんなこといったかしら?」
おばあちゃんは何も覚えていないという顔をした。
「民話では、最後に食べた人間が自分の娘だったということになってるね」
有二がいった。
「え、自分の娘?」
朋香は、驚いて両手で口をおおった。
「話としては、よくできてるよな。散々旅人を食らっておいて、最後に娘を食らって、改心するという……。改心したってそれまでのおぞましい自分が消えるわけじゃない。より人として孤独を感じるわけさ。そこに佑慶が現れるんだよな。佑慶は仏門に入った人間だから、そんな自分を救ってくれるかもしれないと思った。けれど、救って欲しいという前に本性を見破られてしまうんだよな。その怒りは凄まじいだろうな」
有二は一人で納得しながらうんうんと首を振っていた。
朋香は、鬼女は自分は一人で生きなきゃいけないと思っているのだろうなぁと思った。
「一人ぼっちって、可哀そうすぎる」
朋香はつぶやいた。
「そうね」
おばあちゃんが朋香の手に手を重ねた。
「そう感じてあげれば、きっと、それだけでいいのよ。それにいつかは山姥になれるかもしれないし」
「山姥?」
「山の中で一人で暮らしているって、いうお能なのよ」
「あ、思い出した。『山姥』は『安達ヶ原』の続編、そういう論文を読んだことがあるなぁ」
有二が素っ頓狂な声をあげた。
「山姥は一人でもさびしくないの?」
「さて、どうかしらね。お能の中では、自由に楽しんでいるようだけど」
おばあちゃんがさびしげに笑った。
了
*実際の能楽の流派とは関係ありません。
安達ヶ原 麻々子 @ryusi12
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