薬局に行ったのはあくまで薬を買うためであってトイレは二の次であって全然やましいことはないし癖を治す薬は売ってなかった。
「あ、私家近いんで行きますよ」
どうせ誰も返事なんてしないだろうと思っていた矢先、俺の前の席の女子がさも当然かのようにそう答えた。
「おおよかった、大事な資料だからなくさんよう気をつけてな」
「届けるだけなのになくすわけないじゃないですか」
「わるいわるい、一応だよ。ありがとな佐伯。じゃ、頼むな。先生出張だから」
「はーい」
それから慌ただしく担任が教室を出て行き、下校のチャイムがなった。挨拶もそこそこに散らばっていくクラスメイトたち。俺はほとんど無意識的に、前の席の女子の肩を掴んでいた。
「え、な、なに?」
「それ、俺が持ってくから。貸して」
「え、それって七原くんの?でも私家近いし……」
「俺の方が近い」
「そうなの?私七原くんと同じマンションだけど……」
「……俺も同じ」
「嘘だぁ。いつも帰る方向逆じゃん」
「とにかく、七原に用があるから俺が持ってく」
「じゃあお願いするけど……。これ、大事な資料らしいから、」
「うん。さっき聞いた」
「そうだよね、はい」
「さんきゅ。えっと……」
「佐伯叶だよ」
「あぁ、佐伯。確か去年も同じクラスだったよな」
「うん。出席番号近いから、覚えてくれてると思ってたけどね」
「わりぃ。名前覚えるの苦手なんだ」
「いいよ、そんな感じするし」
「なんだよそれ。じゃ、さんきゅな」
「うん」
佐伯から半ば強引に七原への届け物を受け取り教室を出た。階段を降り、正面玄関に着いたところでふと思い出す。俺、七原の家知らなかった。仕方がないのでまだ学校にいた佐伯に頼みついていくことにした。
なんだって俺はこんなに必死になって七原のとこに行こうとしてるんだ。乗りかかった船だし、見舞いぐらいしてやったってバチは当たらないだろうけど、ほとんど喋ったことのない女子に話しかけてまで。幸い佐伯は無理に話しかけて来ずバスの中で静かに読書していた。スマホ社会の現代には珍しいタイプだ。
「高峰くん、ここだよ」
佐伯の声で浅い眠りから覚めた。どうやら40分以上バスに揺られて眠ってしまったらしい。俺は徒歩10分のところに住んでるから寝坊しても大概間に合うけど、こんなに遠いと1分でも死活問題だろう。七原はアラームなんてかけず決まった時間にバシッと起きれるタイプっぽいな。
「お客さん、10円足りませんね」
「え、」
カードの残高が足りてなかったらしい。慌てて現金で支払い、運転手に会釈してバスから飛び降りた。佐伯が半笑いの顔で俺を見ていた。
「…いつもはこんなことねぇんだけど」
「あはは、うん、そうだよね。ただちょっとびっくりしちゃったの」
「何が?」
「さっき読んでた小説の登場人物とおんなじことしてたから」
「へー。なんて本?」
「え、えっと、鶏口滑稽先生の"雛鳥、青を知らず逝く"」
「ケイコウコッケイ?変な名前だな」
「だよね。実はこれ、七原くんに貰ったんだ。面白くて、もう読むの5回目なの」
ピンポーン
ピンポーン
ピンポーン
何回鳴らしても人のいる気配すらしない。病人のくせにまさか出かけてんのか?サボり魔の七原なら十分あり得る。はるばる来たのにポストに入れるだけで帰るのも腹が立つから待つことにした。
10分ぐらいすると呑気にコンビニの袋を手に帰ってきた。俺を認識すると袋をドサっと落としベタな反応をする。
「高峰くん?僕が恋しくて会いにきてくれたんですか?」
「語弊があるけどな。大事な資料らしいから届けにきてやったんだよ」
「…でも高峰くんのお家って、学校のすぐ近くですよね?」
「そうだけど?あれだ、乗りかかった船ってやつ。お前にとことん貸しを作ってやろうと思ってな」
「ふふ、そうですか。ありがとうございます。高峰くん。では。」
「……なんでドア閉めようとしてんだよ」
「え?だってもう届け物は貰いましたよ、高峰くん」
「いや俺が何のためにお前のこと待ってたと思ってんだよ!」
「僕にこれを手渡しするためじゃないんですか?高峰くん」
「んなわけねぇだろ。だったらわざわざ来ないで佐伯に任せてるわ」
「あぁ佐伯サン。確かにそうですね。じゃあ何のために…」
「看病してやるってこと!昨日は熱下がってたのに、またぶり返したんだろ。病院には行ったのか?」
「行ってないですけど…。君ってそんなに親切でした?高峰くん」
「はん、俺は病人と子犬には優しいんだよ」
「へぇ、じゃあ怪我人と子猫には優しくないんですね、高峰くん」
「うるせぇ!お前はまじで余計なことしか言わねぇな。とにかく早く中に入れろ」
「でも移ると悪いですし、お気持ちだけで大丈夫ですよ。僕は高峰くんが来てくれたってことだけでご飯三杯は食べれます。高峰くん」
「人をおかずにすんじゃねぇ、ばか原。移ったら学校休めるし気にしねぇよ」
「……君ってほんとに不良ですか?高峰くん」
「紛れもなく不良だ」
七原の手から袋を取り上げて鍵を開けるのを待つ。平気そうに見えるが顔は赤いし少し話しただけなのに息が上がっている。
「お前、薬は飲んだのか?」
「飲んでないですね。高峰くん」
「は?熱あるよな?お前」
「はい。ありますね、この体の怠さは38度後半ぐらいでしょうか。高峰くん」
「38度後半ぐらいでしょうか、じゃねぇよ。ばか原。なに、薬飲めねぇの?」
「いえ、飲もうと思えば飲めると思いますけど。高峰くん」
「じゃあ飲めよ!」
「生憎この家には存在しないので飲めませんね。高峰くん」
「何が存在しないだよ。コンビニ行った時に買えばよかっただろうが」
「だって、興味がなかったんです。高峰くん」
「……薬に興味もクソもないだろ。ばか原」
「そうですか?僕にとって一番大事なのはそこなんですよ、高峰くん」
「飲まなきゃしんどいままじゃねぇか。ドMか?しんどいのがいいのかよ、ばか原」
「そういうわけじゃないですけど…。今まで飲まずに生きて来られてるんで、大丈夫だと思いますよ。飲まなくても」
「あー、そういえばお前、昨日もそんなこと言ってたな。最悪なことなんて起こらない、だっけか?」
「ふふ、そうそう。僕のモットー。だから、心配してくれなくても大丈夫ですよ。高峰くん」
「……親は?いねぇの?」
「地球上にはいますね、高峰くん」
「なんだその屁理屈は」
「まぁ、いいじゃないですか。それより、看病ってナニしてくれるんですか?高峰くん」
「何か言い方がネットリしてねぇか?」
「あ、分かります?やっぱり君も同じこと考えてたんですね、高峰くん!」
ほざく七原を無理やり寝室まで案内させ寝かせた。大胆ですね、なんて言いながらいつも以上にヘラヘラした顔をしてやがる。もちろん無視して布団を頭まで被せた。七原の部屋は必要最低限の物以外全くある気配がせず、静かだった。
「体温計どこ?」
「ありませんね、高峰くん」
「なんでねぇんだよ」
「必要ないからです。高峰くん」
仕方がないので俺のおでこと七原のおでこをくっつけて大体の温度を測る。まぁ熱があるかないかぐらいしか分からないんだけど。七原のおでこは予想以上に熱く、こんな状態で出歩いたのかと驚いた。
「お前、これで薬飲まないとか頭おかしいだろ。買ってきてやるから……って、何睨んでんだよ、七原」
「…………ました」
「あ?なに、なんて?」
「……されるのかと思いました、」
「だから聞こえねぇって」
「キスされるのかと思いました!!」
そう言ったっきり七原はさっき俺がしたように頭まで布団をかぶって狸寝入りしてしまった。なるほど、だから異常なほど顔が真っ赤だったのか。
「なんだよお前、キスぐらいでそんな照れるか?つかしてねぇけど。平気であんなことしたくせに」
「……僕からするのとはわけが違います。高峰くん」
「そうかよ。……いやしてねぇけど」
「分かってます。ただほんとに、急に顔近づけるのはやめてください。止まります、身体中の血をポンプ式に流してる器官が」
「いやきもいな、心臓って言えよ……」
「じゃあ、薬買ってくるから。大人しく寝とけよ、七原」
「行かないでいいですよ、高峰くん」
「お前な、ただの風邪だって舐めてたらそのまま死んじまうぞ」
「それならそれで、別にいいですよ。高峰くん」
「……七原それ、本気で言ってんのか?」
「まぁ、僕の人生あわよくば、って感じなので。今君がそばにいてくれるだけで十分なんですよ。高峰くん」
「……お前ほんとは、俺のこと好きじゃないだろ」
「どうしてそんなこと言うんですか。高峰くん。好きですよ。好きに決まってるじゃないですか。高峰くん」
「そうか?お前は、自分の大事なとこは全部隠してるだろ」
「……えっとそれはつまり、乳首と股間、とかそういうことですか?高峰くん」
「んなわけねぇだろばかが!それだと俺が丸出しってことになるだろうが!」
「君の言い方が絶妙なのが悪いんですよ、高峰くん。確かに僕は君に言ってないことがありますけど、それとこれとは関係ありません。好きなのには変わらないでしょう?高峰くん」
「分かんねぇ?人生あわよくば、の奴に好かれたって迷惑だって言ってんだよ。七原」
「…………くせに」
布団の中で何か呟くと、七原はいきなり俺の両手を掴み勢いで上半身を起こした。それから俺のゆるゆるのズボンを引き下げた。デジャヴだ。
「……?お前……。おい、何すんだ、ばか原!やめろ!」
いつのまにかがっちりと腰をホールドされ、七原は口で俺のパンツを下げ始めた。いやいやいや、俺がやらしてるみたいに見えるだろうが。
「お前病人だろ、大人しくしとけって言っただろ!いや病人じゃなくてもこんなことすんな!」
「うるさいですね。1回も2回も変わんないですよ、高峰くん」
「変わるわ、ばか原。大体いきなり何でこんなことすんだよ?発情期の猫かよ」
「あは、いいですね、それ。精液くれなきゃ死んじゃうにゃー」
「きめぇぇぇぇぇ!」
「そんなにですか?高峰くん」
「そんなにだよ、ばか原」
「いいじゃないですか。僕にされるのが嫌ってなら、誰か気になる女の子でも思い浮かべればどうですか?まぁそんな子いたら許しませんけどね。高峰くん」
「どっちだよ。お前な、まじで意味わかんねぇぞ。からかうのも大概にしとけよ」
「からかってなんかないです。高峰くん。僕はただ、君に気持ち良くなってもらいたいからしてるだけです」
「頼んでねぇよ」
「どうせ流されますよ、高峰くん」
「んなわけ……んっ、おいやめっ、あっ、んっ、ななっは、らっ、」
いつもより(語弊だ。断じていつもこんな事しているわけではない。)熱い七原の口の中で溶けてしまいそうなほどの快感に襲われる。
「ほらね。君は気持ちいいことが好きなんですよ。僕と初めて話した時もそうだったじゃないですか。高峰くん」
「あっれ、は、ちがっんっ、ん、」
「何が違うんですか?高峰くん」
「や、りながらっ、しゃべん、なぁっ、ばかっ、んあっあっ、んっ、、」
「あはは。どうですか?好かれて迷惑な奴にフェラされて、可愛く喘いじゃってる高峰くん」
「ん、んんっ、あっ、なな、はらっ、」
「なんですか?高峰くん。……痛っ」
上目遣いで見つめてきた七原に思いっきりデコピンをしてやった。七原は仰向けのままベッドに倒れこんだ。何が起きたか分からない、というようなぽけっとした表情で天井を見ている。
「……そんなに嫌でしたか。高峰くん」
「嫌なのはお前だろ、ばか原」
「どういう意味です?」
「泣くぐらいならこんなことすんなって意味だよ」
こいつは、布団から出て俺のズボンをずらした時から既に泣いていた。泣いてたって言っても目から涙がボロボロ出てるだけで、喋り方はいつも通りだったけど。まるで、七原の心のどっかが決壊したみたいに、ずっと涙が出続けていた。
「泣いて、ないです。高峰くん」
「泣いてんだよ、お前は。」
「泣いてないです」
「どっからどう見ても泣いてる」
「泣いてないです」
「泣いてる」
「じゃあ君は泣いてる相手にフェラさせたんですか?高峰くん」
「お前が勝手にしたんだろうが!」
「そうですよ。だから、泣いてないです。高峰くん」
「泣きながらしてたんだよ。七原」
「何で僕が泣くんですか?高峰くん」
「……俺のせいだろ」
「どうしてそう思うんです?僕は今更、君に何言われたって傷付いたりしません。しない、はずです」
「じゃあ何だよ、これは」
七原の目の下を撫でるように拭う。いつもバッチリ見開かれている真っ黒な瞳が不安定にぼやけ、揺れていた。
「癖みたいなものです、多分」
「はぁ?泣くのが癖なのかよ」
「きっとそうですね。だって、もし僕が傷付いたから泣いてるんだとしたら、勝手すぎますよ。ね、そうでしょう、高峰くん?」
「勝手なのはいつものことだろ。いや、いつもなんて言葉じゃ足りないぐらい毎度毎回常々年中」
「つまりそれぐらい僕と君は蜜月を重ねている、ということですね。高峰くん」
「きもい言い方すんな、鳥肌立ったわ」
「そんなことより、そろそろ離してくれませんか。高峰くん」
七原の頬はさっきよりも赤みを帯び、熱も増していた。思わず、俺がいたら逆効果なんじゃないかなんて、小っ恥ずかしいことを考えてしまった。
「わるい。じゃ、俺薬買ってくるから泣き止んどけよ」
「お願いがあるんですけど、高峰くん」
「……何だよ」
「僕が眠ってから行って欲しいんです、高峰くん」
「ぷっ、おいおい七原くんよ」
「何ですかニヤニヤして。飼い主が間違えて2回目のご飯を持ってきた子犬みたいですよ、高峰くん」
「俺がお前をばかにする前に俺をばかにするんじゃねぇ!」
「ややこしいですね。高峰くん」
「いやそんなことはどうでもいいんだ。お前、寂しんだろ!」
「僕が寝てから行ってって言ったからですか?高峰くん」
「そうだよ。バブ原」
「そんなこと言って、いいんですか?僕が赤ちゃん言葉で話すようになっても。」
「断固拒否する。じゃあ行くからな?」
「だめです」
「だから何でだよ!」
「……癖ですね」
「お前何でも癖で済ませると思うなよ、七原。難癖が多すぎんだろ。いくつあるんだよ」
「……難癖の使い方間違ってません?高峰くん」
「難しい癖って意味だろ?」
すると七原はわざとらしく俺がさっき吹き出したのを真似てニコニコし出した。普通だったらニヤニヤの方が正しいんだろうが、高級猫のような顔立ちの七原はニコニコとしか表せない、上品な笑みを浮かべるのだ。どうせ俺は野良の子犬だよ。
「ふふっ、いいですね、それ。七原難癖なくて七癖、ってね」
「ここぞとばかりに馬鹿にしやがって。難癖なんか直せよ」
「うーん……。直ってワン癖」
「……ろくなこと言わねぇな。六原」
我ながら上手いこと言えたと思いドヤ顔で次の言葉を待っていると規則正しい寝息が返ってきた。しかも壁の方を向いている。怒鳴りたい気持ちを押し殺して、薬を買うため部屋の扉を開け、振り返った。七原はまだ背中を向けている。
扉を閉める直前、呟くように言った。
「直すなら、俺のこと好きな癖、直せよ。七原」
「……難癖ですね。薬でもないと」
お揃いの呟くような声に苦笑して、扉を閉めた。七原はあの部屋の静寂に呑まれてしまわないだろうか?ふと、いつもいるはずなのにそんなことを考えてしまった。それから、下半身に妙な熱を感じた。いや、思い出したの方が正しい。
……トイレのある薬局を探さないと。
タイトルは高峰くんの言い訳です。by七原
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