またあした
「僕って何のために生きてるんでしょうか」
夜、無性にアイスが食べたくなってコンビニに行った帰りの公園で、たまたま七原を見かけた。七原は地面すれすれのブランコに座って、揺れるでもなくただじっとどこかを見つめていた。七原の白い髪が月明かりに照らされて、時たまキラリと輝いた。それが涙の雫みたいに見えて、胸がざわざわした。
「落ち込んでんのか?」
「いいえ。悲観してみたんです。生きてる意味や価値を模索するふりをしてみたんです。落ち込んでるように見えたのなら、きっと僕は落ち込んでいるふりをしてるんです。高峰くん」
「……そうかよ。で、何でこんなとこにいんだ?俺の家の近くだぞ、ここ」
「散歩してたんです。どうやら、随分な距離を歩いたみたいですね」
「何かあったのか」
「いいえ?なぁんにもないです。今日は、至って普通な1日でした。高峰くん」
「でも何か変だぞ、お前」
「あはは、高峰くん、いつも僕のこと変だって言うじゃないですか。だったらいつもと同じでしょう。高峰くん」
「いつもも変だけど今日はいつもより変だから一般的に見れば変じゃないってことだ!」
「じゃあいいじゃないですか。高峰くん」
「お前は変なのが普通なんだから変じゃなかったら変だろ」
「自分でもこんがらがってますよね。高峰くん」
「んなことはどうでもいんだよ。9時過ぎにブランコ乗ってぼけーってしてる奴いたら心配するだろうが」
「心配してくれたんですか?高峰くん」
「だからそうだっつってんだろ」
「……変なの。心配しなくても心配ご無用ですよ、高峰くん」
「おい頭痛が痛いになってるぞ」
「あれですよ、いま僕、センチメンタルなんです。センチメンタルスチュデントです。感傷に浸りたい気分なんです」
「ふぅん。寒いからか?」
「そうですそうです。センチメンタルオータムなのでほっといてください、高峰くん」
そう言って七原はプイッと俺から目を逸らした。お菓子を買ってもらえず拗ねた子供みたいに口を尖らせ、そのくせやけに強がった表情をしている。
「センチメンタルは1センチメートルにしとけってよく言うだろ」
「言わないです」
「食い気味に否定すんじゃねぇ!お前がいつも言いそうなことだろうが」
「今日は言いません。センチメンタルボーイなので」
「最近覚えただろそれ」
「僕だってそういう気分の時はあるんです!……もう、帰りますよ帰ったらいいんでしょう」
「はぁ?いきなり何拗ねてんだよ、七原」
「拗ねてません、ただの自己嫌悪です。高峰くん」
「……どうしたんだよ?」
「君の家の近くだって知っててここにいたんです。君が通りがかったりしないかなって、期待してました。本当に会えて、もう運命以外あり得ないと思ってます、高峰くん」
「それのどこが自己嫌悪なんだよ」
「だって、ストーカーみたいでしょう」
七原はヘラッとぎこちなく笑って俺を見たけど、微妙に目が合わない。いつもは吸い込むみたいにぐっと見つめてくるくせに、今日は何だか弱々しい。
「……お前、チョコ好き?」
「え、まぁはい、嫌いではないです」
「嫌いじゃないは大好きだっけか?ん、」
「……咥えろってことですか?高峰くん、青姦なんて大胆ですね」
「何言ってんだ、やるってことだよばか原!」
「え、ヤる?やっぱりそういうことじゃないですか、高峰くん」
「ちげぇ!あげる、ギブだギブミーだよ馬鹿!」
「ギブミーチョコレート?戦時中ですか、高峰くん」
「うるせぇ!」
勢いよく七原の口にチョコアイスを突っ込んだ。秋限定のちょっと高めのやつなのに、七原ときたら三口、それもシャクシャクシャクと飲みこむような早さで食い終わってしまった。俺は悔しさでくぅっと唇を噛み締めた。350円もしたんだぞ。七原は残った棒をぶらぶらさせながら、(何か卑猥な言い方な気がしなくもないから訂正するけどアイスの棒を口で咥えてただけだ!)そんな俺を女神みたいな余裕綽々といった表情で眺めている。
「冷た」
「食べるの早すぎんだよ」
「溶けちゃうといけないですから」
「こんな肌寒いのにすぐ溶けるわけねぇだろ」
「ふふ、君が僕の口に突っ込んだんでしょう。高峰くん。真夏ぐらいの温度はありますよ、人間の口の中って」
「お前が変なこと言うからだ」
「慌てる高峰くんって何であんなにも可愛いんでしょうね、高峰くん」
「意味わかんねぇ。どっちかっていうとお前の方が可愛いだろ」
言ってから、しまったと思った。確か七原は転校してきた初日ぐらいに、女子にそんな感じのことを言われブチギレていた。地雷を踏んでしまったかもしれない。恐る恐る七原の様子を伺った。七原は暗闇でもはっきり分かるぐらい、熟れたりんごぐらい真っ赤な顔をしていた。やはり怒らしてしまったらしい。
「いや、かわいいってそう言う意味じゃなくて、あれだ、皮がいいってことだ。皮、つまり皮膚だ。皮膚が頑丈でいいなってことだよ」
「……あぁ、はい。……分かってます」
え、分かってんのか?まさか誤魔化せるとは思ってなかったからラッキーだ。七原は真っ赤な顔のまま、小さな、遠慮がちな声で俺の名前を呼んだ。
「高峰くん」
「なんだよ、七原」
「君、前にあわよくばで生きてる奴に好かれても嬉しくないって言いましたよね。高峰くん」
「……言ったよ」
「今も変わらないですか?高峰くん」
「お前は?……七原は、ちっとは変わったのかよ」
「質問を質問で返さないでください。高峰くん」
「何でだよ、ずりい。んなの先に言ったもん勝ちじゃねぇか」
「世間の大体がそうですよ。高峰くん」
「……俺が言ったら言えよ」
「いいですよ。高峰くん」
「嬉しくなくても、否定はしねぇ」
「……つまり、一線は引くってことですね」
「で、お前は?」
「変わらないですよ。高峰くん」
「ふぅん。じゃあ、いつ死んでもいいって思ってんのか?」
「そうですね。多分、きっとそう」
「でも怖いんだろ」
「……何がですか」
眉をひそめながらもまだアイスの棒を口に含む七原に一歩近付いて、ポッキーゲームみたいに差し出されている棒の端に齧り付いた。七原は目をまんまるにして、威嚇する猫のように小さく飛び跳ねたのでその隙に引き抜いた。
「っ、いきなり何するんですか!高峰くん!」
「キスするかと思ったか?ばか原くんよ」
「……そんな主人を騙すのに成功してふんぞり返る犬みたいな顔しないでください可愛い」
「はぁ?お前だって猫みたいにびっくりしてただろ!」
「驚くのは当たり前でしょう。君は一体何がしたいんですか、高峰くん」
「まぁ今のは特に意味はねぇ」
「へぇ。高峰くんもそういうことしたくなる時あるんですね。似たもの同士ですねぇ」
「ふん、俺がやったアイスだろうが。自分で回収しただけだ、勘違い野郎め」
「どうせ僕は勘違い野郎ですよ。ふん、もう放っておいてください。高峰くん」
「……拗ねてんじゃねぇか」
「君のせいです。高峰くん」
「お前がセンチメンタルなせいだろ」
「さっきはそうでしたけど、今は君のせいです。君は僕の純情を弄びました」
「お前だって同じようなこと散々やってきただろ!」
「もうしないです。高峰くん」
「……ほんとか?」
「……はい」
「お前が何落ち込んでんのか俺は知らねぇけどよ」
「だから、季節のせいです」
「俺は思うよ。七原が、元気になればいいなって、そんだけだけど」
俺の言葉は数秒遅れで七原に届いて、泣きそうなのを我慢してるみたいな顔で、「どうしてですか」とぽつりと呟いた。
「どうしてですか。どうして高峰くんがそんなこと思うんですか。高峰くんは、僕に好かれたって嬉しくないんですよね。否定はしないってだけで」
「ガタガタうるせぇな。んなことどうでもいいだろ。俺がそう思うってだけで、それでいいだろうが。それに俺は別に、お前に好かれても嬉しくないとは言ってねぇし」
「言ったじゃないですか!」
「俺が言ったのは、お前みたいなのに、だ」
「……君ってあれですか?弱みにつけ込むタイプです?奥までしっかりほぐすタイプですか?漬物に塩塗り込むタイプなんですか、高峰くん」
「後半2つは意味わかんねぇよ。なんだ奥までしっかりほぐすタイプって」
「詳しく聞きたいですか?つまり、おし、」
「いやいい喋んじゃねぇ馬鹿」
「高峰くんが聞いたのに」
「んな話だと思わねぇだろ!」
「他に何があるんですか。魚の身をほぐすみたいな?骨の髄まで搾り取って的なことです?そっちの方が過激だと思いますけど」
「どうしようお前の頭が真面目に心配になってきた」
「そんなに心配なら家まで送ってくれたらいいじゃないですか、高峰くん」
「最初からそのつもりだ。お前を夜に野放しにするなんて危険すぎる」
「……そうですか?あぁでも、やっぱり大丈夫です。高峰くんが帰り1人になっちゃいますし」
「あぁ?なに急に遠慮してんだよ、ばか原」
「君こそ急に優しくしないでください。高峰くん」
「俺は元から親切なんだよ!」
「へぇ。もう不良ぶるのはやめたんですね、よかったです。成長を見守るのってこんなに感動的なんですね。高峰くん」
「……不良だって親切な奴もいるだろうがよ」
「せいぜい捨て犬を拾うぐらいです」
「ふん、じゃあ俺はそれだ。お前なんか猫みたいなもんだし、拾ってやるよ」
「えぇ!養ってくれるんですか、高峰くん」
「……お前、俺の顔の上陣取って尻乗せて寝そうだからやっぱやだ」
「ふふ。猫の話でしょうけど僕で想像したら割とすごい絵面になりますね、高峰くん」
「吐き気してきた」
「……で、さっきの続きですけど」
「あ?なんだったっけ」
「でも怖いんだろって、言ったじゃないですか。高峰くん」
「あぁ、言ったな」
「……何がですか?高峰くん」
「だから、死ぬのは、だ」
「僕が?君、僕の話聞いてました?高峰くん」
「聞いてたに決まってんだろ、お前じゃねぇんだから」
「……僕はいつ死んでもいいって言ったんですよ」
「うん。でも死んでねぇだろ、今は」
「そうですけど、でも……」
「勘違いすんなよ、別にお前を責めてるわけじゃねぇ。ほんとの瞬間はな、怖いんだよ」
「死ぬ時がほんとの瞬間なんですか?高峰くん」
「まぁ、そうだ。死ぬ時だけじゃねぇとも思うけどよ」
「高峰くんは、僕がそれを越えて死んだとしたら、悲しむでしょうか?」
「……ふっ、変な質問。国語の問題文みてぇ」
「どうなんですか、高峰くん。少しは泣いたり、僕のこと思い出したりしてくれるんですか」
「言っただろ。俺は、お前が元気になればいいって思ってんだよ。なのに何で、お前が死んで俺が悲しまないと思うんだよ?ばか原」
「……じゃあそれでも死んだら?それを聞いてもなお、僕が死を選んだら?」
「俺も死んでやるよ、ばか」
「……はい?」
「つかめんどくせぇな。ないものねだりなんだよ。今自分が生きてるから、生しかないから逃げ道みたいに死にたくなりやがって」
「違います、アイウォントゥーデス」
「アイウォントゥーなんだよ」
「だから、アイウォントゥーデス」
「アイウォントゥーです?」
「I want to death.です」
「バス来んの?こんな夜に」
「はい。あと15分ほどで来ますね。高峰くん」
「そうか。ま、気つけて帰れよ。お前目立つ頭してんだから」
「高峰くんこそ、そのキューティクルフェイス隠して帰ってくださいね」
「はぁ?なんだそのプリキュアみたいな語感は」
「ふふ、あながち間違ってはないです。今日は君のおかげで元気が出ましたし。高峰くん」
そう言って七原はバス停の寂れたベンチにポスンと腰を下ろした。寒そうに、ポケットに手を突っ込んで顔を引っ込めるように服の中に
「高峰くんのえっち」
「えっ、ちじゃねぇし……。つかお前、いつから外にいたんだよ」
「さぁ。あったかいですね、高峰くんのおてては。気持ちいいです」
「んなわけねぇだろ、お前の首が冷たすぎんだよ」
「そうですか?あ、じゃあ温めてくれませんか?高峰くん」
「カイロもマフラーも持ってねぇけど」
「そんなのいらないです。あれですよ、女子がキュンとくるあれ!」
「……壁ドンか?」
七原は俺が捻り出した答えをこれでもかというほど馬鹿にして笑った後、「ぎゅっですよ、ぎゅっ。ぎゅってしたらキュンとくるんですよ」とかなんとか俺より寒い言葉をしれっと言ってのけた。
「何がぎゅっだよ、ばぁか」
「えー。僕に元気になってほしいって言ったじゃないですか。高峰くん」
「はん、お前さっきもう元気になったって言ってただろうが」
「でも君がぎゅってしてくれたら僕の体の真ん中あたりのモノが元気になります。高峰くん」
「俺の全部がお前を拒絶してる、まじで近づくな」
「ひどいです、僕はただ人肌恋しいだけなのに」
「自分で抱きしめてろ、ばか原」
「あぁ寒い寒い。高峰くんのせいで凍えて死んじゃいます」
投げやりに言う七原を無視して、もう数分でバスが来るのは承知で隣に腰を下ろした。七原をチラリと盗み見ると、何かに怒っているかのような、我慢しているかのような、俺には読み取るのが難しい表情をしていた。七原の整った口から、白い息が空に消えていく。
「……なぁ」
「なんですか?高峰くん」
「……ポケットに手いれちゃだめなんだぞ」
「ふ、小学校の先生みたいなこと言いますね。高峰くん」
「いいから出せ、ばか原」
「えぇ。これ以上僕を冷やしてどうするつもり……」
差し出された左手を、ぎゅっと握った。七原の手はポケットに入っていたというのにやはり冷たかった。それでも首よりは幾分かましだったけど。
「……こっちの方があったかいです」
七原は俺に手を握られたまま引っ張って、自分の左ポケットに収めた。俺は何となくバランスが悪いから、肩が触れるぐらい、近付いた。
しばらくの沈黙は、七原のくっくっくという控えめな笑い声で破られた。
「自分でやっといて、照れないでくださいよ、高峰くん。あぁもう、本当に可愛いなぁ」
「照れてねぇ!」
「ふふ。……あ、バス来ましたね」
七原は名残惜しそうにポケットの中で一度だけ恋人繋ぎをして、パッと手を離した。
「じゃあ、行きますね。送ってくれてありがとうございます。高峰くん」
「うん。寝過ごすんじゃねぇぞ」
「あは、君じゃないんですからそんなミスしません。高峰くん」
「うるせぇ、早く帰れ!」
「はいはい。あ、家に着いたら連絡してください。心配なので」
「ぜってぇしねぇ」
「では連絡が返ってくるまで電話かけ続けます。高峰くん」
「……変なスタンプ送ってやる」
「ふふ、楽しみにしてます」
七原はそう言うと手を振りながらバスに乗り込んだ。プシューッとドアが閉まって窓際の席に座っても、まだ手を振っている。しょうがないから小さく振り返してやった。発車する直前、七原の口が言葉を紡ぐように動いた。
バスが去った後、自分でさっきの七原の口の動きを反芻してみて、その言葉が思ったよりも子供じみた、可愛らしい挨拶だったから思わずひとり、呟いてしまった。
「またあした」
なんだか歯痒くて、ポケットに手を突っ込んで、そそくさと家路についた。落ち着かなくて、ポケットの中でグーパーとせわしなく手が動く。
きっと、七原の乗ったバスの窓はこの寒さに白く曇って、七原はつまらなさそうに犬でも描いてるんじゃないだろうか、なんてことを、ふと思った。
「……さみぃ」
吐く息が白い。何がセンチメンタルオータムだ、もう冬じゃねぇか。
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