箏の音色の猫
木谷日向子
箏の音色の猫
私の家には、猫が一匹住んでいる。
数ヶ月前、春の宵にゆらりと我が家に迷い込んできたメスの猫だ。
一人暮らしだった私にとって、暖かく柔らかな愛らしい同居人が増えたことは確かな幸運であった。
だが、二点、普通の猫とは違うところがあった。
それは彼女の毛色、そして声である。
彼女の柄は、斑や虎ではなく、辻ヶ花なのだ。つまり、着物の柄をしている。
そして、その声は箏の音色をしているのだ。
不思議な猫だったが、その他の点は普通の猫となんら変わりがないので、私は彼女との暮らしを楽しんでいた。
だが、近所の人の目は、猫を飼ってから変わったように思う。
それはそうだろう。私は箏なんて弾けないのに、箏の奏者だと思われてしまっているのだ。
正直困る……。
この前なんて、隣の吉野さんに、「ねえ、きよちゃん! あなた、箏なんて弾けたのねえ。それもプロ並みに上手! 今度私の開く夏のパーティで、弾いてくれない? お願い! 」 と言われた。
いやいやいや、困る困る……。
私はなんとか理由をつけて断ったが、このままだと、様々な人に箏の奏者だと思われてしまうではないか! どうすればいいんだ。
私が困っていると、猫は私の顔をじっと見つめて、またポロン、と鳴いた。
私はその声を聞いて、心の波が静かになった。本当に私は、この猫の美しい鳴き声が好きなんだろう。
屈んで、猫を撫でる。
猫は嬉しそうに顔を擦り寄せ、瞳を細めて喉を鳴らす。
自分が勘違いされるのが嫌だからって、猫と離れるなんて考えられなかった。この子はもう、私の家族なのだ。
私は、どうしようかと一日悩んだ。お腹に猫を乗せて眠ってしまい、次の朝目覚めた時に、私のお腹の上で丸くなって、すうすうと小さな寝息を立てて眠る柔らかく美しい、小さな命を改めて目にして、静かに決意をしたのだ。
私は箏を習うことにした。本当に自分が弾けるようになってしまえば、近所の人から勘違いされても大丈夫だろう。これでも手先は器用で、昔ピアノを習っていたので、音感は頑張れば取り戻せるだろうと思っている。
最近我が家では二つの箏の音色が響いている。ずいぶん上手い奏者と、新米の奏者だ。
その共演を聞いて、近所の人はどう思っているだろうか。私が誰かと結婚して、箏の共演をしているのかもしれないと思っているかもしれないね。ああ、次は、なんて弁明しようかなぁ……。
箏の音色の猫 木谷日向子 @komobota705
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます