黒猫のおんな

真砂 郭

夜に這うモノ

 街はずれの裏通りの片隅で、黒衣の装束に身を包み、黒髪の女はさえない若者(チンピラ)に言う。


「死んだって駄目よ、逃がさないんだから」

 別れ際に彼女が言った。


「”死んだ”ぐらいでアタシから逃げ切れた男はいないんだから」

「なんだか怖い」

「それに、あんたの”秘密”の”隠れ家”ぐらい、みんな知ってる」

「三軒全部?」


 オレは震える声で聴き返すが、彼女は笑って返す。

「その手には、ひっかからないわよ…”四軒”よ」

 アカン、全部バレてる…。そんなオレに追い打ちをかけるように、

「合鍵なんか換えてもダメ、アタシが錠ごとそっくり取り換えたから」

 コレ合鍵だけどいる?と彼女は四軒分の鍵束を投げてよこす。

(ひぃいいい…)

 だけど、下さいと懇願するオレ。やっぱり無いと困ります…。


「逃げきれても、逃げられないのヨ、油断してちゃダメ」

 ホラー映画かよ、それ。

「やっぱりダメですか」

「ここで試す勇気があればずっとラクになれるわよ、スグ安心したい?」

「いえ、結構です。このくらいのスリルでちょうどイイです」


 残念と彼女は無邪気に笑った。

「チャレンジ精神を試したい気はないのかなぁ?若いのに…」

 やったら面白いかもよと彼女は口を尖らせる。


「貴重な人生は大切にしたいです…やっぱり」

 慎重な口調でオレは言葉を選ぶ。

 ”それ”が残り僅かでも?と、彼女はワザと真剣な口調で問い直す。


 だ・か・ら、誰のせいでだよ!それ?オレは身体の震えが止まらない。


 へぇ、震えてるのね…温めてあげようか?ちょうど「焼夷弾」が手元に余ってるから。


「し、焼夷弾?!」

 ナニ持ってるのアンタ?

「だって今時、それが普通よぉ」

 それのどこが?それがコンビニで売ってるってわけデスカ?

「当たり。と、言いたいけど、そこはご近所の特売セールでね…」

 どこの?何の店でなの?。そんなわけないでしょ、オレはもう涙目だ。そんなオレに委細構わずセリフが続く。

 「”焼却”用の特注品だから一発で”ホカホカ”よ、骨の芯までコンガリと温まることアタシが請け合うわ」

 ここで使うの?そうしたらどうするの?

 だからさっきも言ったでしょ。

「それでも逃げられないんですよね?」

 ウンウンと頷いて微笑んだ。もう駄目だ。死んでもダメなんて…

 どうするんだか知らないけど、彼女には出来るんだろう、きっと。それをオレの表情から察してか大真面目に彼女は言う。


「知り合いに”ツテ”があるの」


 「…!?」”誰”なんだソレ、それって人間じゃないよね、たぶん…。


「ご名答、察しがいいのね。お・利・口さん」


 ああああああ!やっぱりー、そうなんだ。それでいいのか?

 これでいいのか、それはやっぱり理不尽すぎるゾ。

 叫ぼうにも、もはやうなだれて声もない。ウソだと言って、頼むから…。


「アタシってこう見えても世間には顔が広いの、みんな素敵なオトモダチなの、よ」

 そういう”意味”じゃないだろ、その言い分。

「そのうちアンタにも、お似合いの”いいヒト”紹介したげる」


 うふふ、と。そんな微笑む貴女はサイコパス、チクショー!

 そこに携帯の呼び出し音。陽気な調べでベートーヴェンの「運命」の一節が…ちゃちゃちゃちゃ~ん。


 あら?、ちょっと待ってと腰のポーチからスマートフォンを取り出して一言。すごく普通すぎて逆に違和感ありすぎ。


 アハハとお気楽な調子で、彼女は呼び出してきた相手に答えながら、だったらぶっ殺してイイ?と物騒なセリフが会話の合間に混じってくる。とても妙齢の(美)女のセリフとは思えない。


 そんな彼女の相手はシッポが生えているかもしれないなとオレは思った。もう何だかそれが普通な気がしてくる。そんな想像もしたくない光景がまざまざと脳裏に浮かぶ。ああ、もう帰りたい…。


 「あ、急の用事ができちゃったから、ゴメンね」

 呆然とするオレに申し訳なげにバイバイと手を振ってサヨナラする。


 腰まで届く黒髪をなびかせながら、軽快なパンツルックにフード付きのマントをまとった、黒づくめの意味深な彼女はサッと跳躍すると天高く舞い上がる。


 そのまま、黒のマントは風を巻くと、ひらめき乍ら音もなく夜風に消えた。闇夜に紛れるコウモリのような彼女の退場だった。


「ああ、助かったのか?」

 彼女の立っていた場所からは何の気配もしない。女は宙に消えたのだ。オレにはそう見えたが、本当のところはわからない。


 その場に脱力してへたり込むオレだったが、そんな彼女に観念してもいた。アレを見てはもうイケナイ。


 逃げ切れるはずもないことは、もはや疑いようもなく明らかだ。その諦念がオレを慰めるはずが…無いに決まっているだろ!


 もう…もう開き直るほどの度胸もないオレはヨロりと立ち上がる。その足元にはオレの影が落ち着けなげに揺れていた。

 その影の中から彼女の声がした。


「ホッとした?かな」

 クスクスと女の笑い声が混じる。オレはのけぞった。

 足元の影から一匹の黒猫がヒョイと飛び出した。その黒猫は軽やかな足取りで通りの向こうに行くと、肩越しに振り返って、”それ”は言った。


 「キミは甘いねぇ」

 聞いたこともない”猫の声”。

 そしてオレの災厄は始まったばかりだった。

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黒猫のおんな 真砂 郭 @masa_78656

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