「これ椅子じゃないんですか?」「角川武蔵野ミュージアムですけど」「?????」

萌木野めい

正確には椅子というよりスツール

「あたし、代田だいだつかさっていいます! ガイさんの動画の大ファンで、全部見てます! で、昨日アップされた動画の最後の、一緒に動画制作してくれる人募集っていうの見て! ぜひあたしに手伝わせて下さい!!」


「え?……え、あー……」


 九月の秋晴れが如何にも心地良いところざわサクラタウン、角川武蔵野ミュージアムの周りは連れ立った友達グループや家族連れで賑わっている。

 笑顔で話しかけてくる眼の前の女子に、多摩川がいはトレードマークであるワックスを揉み込んだ金髪に制服姿で肩を落とし、歯切れの悪い返事を返した。

 

 がいは所沢に住む高校二年生で、動画共有サイトで「テレビむさしの」というチャンネルを立ち上げている。自分で言うのも何だが東京都下から埼玉あたりではそこそこ有名で、休日にイオンレイクタウンに出かければ三回くらいは声を掛けられる。

 ちなみに再生数トップスリーは、

「【どこ?】武蔵野で一番低い山に登ってみた【これ山?】」

「武蔵野のご当地マンホール全部踏む」

「立川崖線ママチャリ制覇」である。

 その中でも「立川崖線ママチャリ制覇」は本当にきつすぎて、実行後暫くは全身の筋肉が死んだ。教室移動で校舎の階段を上り下りする度に悲鳴を上げて同級生に爆笑されたので、もっと再生回数が延びて欲しいところだ。


 目立ちたいという理由で身近な武蔵野を題材に中二で始めた動画制作だったが今はまさにがいの生き甲斐であり、もしかしたら天職でもあるかもしれないと思い始めたところだ。進路を尋ねる担任には馬鹿にされるが応援してくれる友人や視聴者に応えたくて、制作を手伝ってくれる人の募集をしてみたのだった。


 そしてがいの目の前にいる、に座った彼女。

 がいは今朝、彼女の「多摩川がいさああああん! ところざわサクラタウンで待ってまーす!!!!」という叫びを聞いてここにやって来た。

 その信じられない位の大声で恐らく武蔵野中が起床したと思うのだが、武蔵野に住む人々は豊かな自然環境のお陰で大らかなせいか特に問題にならなかった。


 丸くて大きな黒い瞳に、それを縁取る長い睫毛が印象的な、目の前の彼女。艷やかな黒髪は綺麗に切り揃えられたボブヘアーで、紺のチェックのスカートと制服の半袖ブラウスを着ている。

 細い身体を包む白いブラウスのボタンはきっちり上まで留められ、首元には臙脂のネクタイがこれも緩みなく締められている。元気いっぱいらしい性格と裏腹に服装は清楚系だ。そのギャップが良い。

 ちょうど膝小僧にかかる、短すぎず長すぎずの絶妙なスカートの丈が彼女の清純な雰囲気を後押しする。そして何よりも、笑窪のある笑顔が眩しい。


 同じクラスにいれば、正直言ってタイプだ。ぴかぴかのブラウンのローファーに土が少なからずついていることを除けば、完全だとすら思う。

 動画制作仲間として自分と同じようなノリの男子高校生が名乗り出てくれればと思っていたが、まさかこんなに可愛い女子が現れるとは完全に想定外だった。しかも自分の動画のファンだと言うし。

 その点に関しては、最高だ。

 最高のはずなのに。

 そんな彼女の完璧さを根本から消し飛ばすような状況があった。


 彼女はダイダラボッチで、角川武蔵野ミュージアムに綺麗に足を揃えて腰を下ろし、足元の崖を笑顔で見下ろしていた。


 正直、彼女のサイズ感だとミュージアムは椅子にぴったりだ。

 しかし、そんな状況だというのにミュージアムは何時も通り開館し、ところざわサクラタウンは訪れた人々は彼女をスマホで撮影しつつも思い思いにほのぼのとした休日を過ごしている。これが武蔵野特有の大らかさなのかもしれない。


 がいはミュージアム前の大魔神像の前に立ち、こめかみを流れる冷や汗を感じながら改めて彼女を見上げる。


 とにかく、でかい。

 こんなにでかいもの(人だが)を真下から見上げたのは、これも動画制作のために行ったスカイタワー西東京以来だ。

 武蔵野台地に聳え立ち、通称「田無タワー」と呼ばれるその電波塔は、遠目に見ると小さそうに見えるが間近に行けばかなり大きい。彼女が立ち上がれば同じくらいだろうか。

 ちなみに田無タワーはライトアップの色が天気予報になっている。田無タワーが見える場所に住んでいる人だけの特典である。


(めちゃくちゃ可愛いけど、何でこうなった……?

 この子と一緒には無理だろ……)


 とにかく、ダイダラボッチに動画制作を手伝ってもらうのは不可能だ。今は奇跡的にどうにかなっているが、彼女が動く度に武蔵野の自治体が一つずつ消滅するだろう。動画制作どころでは無い。

 彼女には何とかしてお帰り頂くしかない。だが、単刀直入に切り出して機嫌を損ねれば踏み潰されるかもしれないので、ここは慎重に行くべきだろう。

 がいは長めの金髪の後頭部を掻きながら、つかさに、今最も気になっていることを聞いた。


「てか、何でそこ座ってるの?」


「座りやすそうだな、って思って! こういう椅子、この辺に全然無いんですよ。スマホで地図アプリ開いてもらえます? 表示を航空写真にして、見てみて下さい。あたしの言ったこと本当でしょ?」


「うーん、確かに……」


 確かに、改めて「ダイダラボッチ向けの椅子を探す」という視点で地図アプリを見ると、こういう建物は見つからない。武蔵野は森林や田畑、住宅が多いからだ。


「ダイダラボッチって普段は山の姿に変身してそこらじゅうで丸まってるんですよ。あたしは府中の浅間山公園の堂山やってたんですけど。ガイさんの動画見て、これは!と思って、所沢まで歩いて来たんです。ガイさんのプロフに所沢在住って書いてあったんで」


 必然的にがいの中に「山がどうやって動画を見ているのか?」という疑問が生まれたが、がいは敢えて突っ込まないことにした。話に水を差すとうっかり踏まれてぷちっと殺されるかもしれないからだ。がいは小さくため息を付いたが、つかさは特に気にしない様子で笑顔のままに話を続ける。


「で、興奮して一気に立ち上がったらふらついて、国分寺のはけで躓いちゃって。そのまま小金井公園で一歩、所沢航空記念公園で二歩、で、三歩ってきたところでちょうど、これがあって。この辺りは家がいっぱいで足の踏み場なくて困ったんですけど、ちょうどいいじゃん!って。前まで無かったと思うんですけど」


 彼女が、自身が腰掛ける椅子を指差して笑顔で言う。


「これ、ね……」


「これ」呼ばわりされた角川武蔵野ミュージアムに同情せざるを得ない。弁護のためにがいは口を開いた。


「ツカサさんが座ってんのは角川武蔵野ミュージアム。ちなみに、今はダイダラボッチに関する展示もやってる」


「へええそれは興味深いですね……! けど、あたしどうやっても入れないからなあ〜」

 

 つかさはそう言って、ぷうと頬を膨らませて唇を尖らせた。正直可愛い。何で巨大なんだ。

 眉間に皺を寄せていたつかさはポジティブな性格らしく、暫しの間の後にくるりと表情を変えて笑顔に戻った。

 もう一度がいに笑顔を向け、目を輝かせながら元気な声で言った。


「でっ! ガイさんといえば武蔵野! 武蔵野といえばダイダラボッチ! ダイダラボッチといえばあたし!! で完璧だと思うんですよ!」


「えーと、まあ、そんな気もしなくはない……かな……」


「でしょでしょ〜!! ガイさんとあたしは史上最強のタッグです! この武蔵野の素晴らしさを二人で、全世界に広めていきましょうっ!!」


 つかさがぐっと両拳を握り、如何にもという感じでやる気をアピールしたので、がいは失礼だと思われない程度に愛想笑いを添えた。


「じゃあ早速!! 立川崖線の次は国分寺崖線ですね!? ええ! 行きましょう!」


 つかさは間髪入れずにそう言うと、徐に立ち上がろうとした。


(あっこれは、パンツが見え……!)


 その僥倖にがいは頬を緩ませそうになったが、直ぐに思いとどまった。

 がいの喜んだ表情をつかさに悟られた場合、ビンタでもされたら確実に地面ごと抉られて潰れ死ぬ。

 迷いが生じた心を泣く泣くねじ伏せ、がいつかさに向かって声を張り上げた。


「ツカサさん座って! 俺にいい考えがあるんだ!」


「え? あ……はい! 動画のアイデアですね!? お聞かせ下さい!」


 がいの叫びを聞いて中腰のつかさはミュージアムに座り直した。

 どん、という重い衝撃により発生した地震で周囲の人々は一瞬わっと声を上げたが、すぐに何事も無かったように思い思いの時間へ戻っていく。

 がいはどうにかしてつかさを座ったままにするため頭に浮かんだことを咄嗟に口に出した。


「その椅子、座り心地悪くない?」


「え?……そう言われてみればまあ、硬いです。もうちょっとふかふかした素材だと助かりますね」


 ミュージアムに腰掛けたお尻をもぞもぞと動かして、つかさは言った。


「でさ、俺が武蔵野特有の色んな素材を集めて来るから、ツカサさんはそれの座り心地を判定してよ。それを動画にしよう」


「な、なるほど〜!! 流石ガイさん!! 素晴らしい企画です! 私のお尻も助かりますし!」


 がいはほっとしてつかさに親指を立てた。つかさも笑顔でそれに応える。

 取り敢えず、暫くは座っていてくれそうだ。


「で、その素材、って何ですか? どんなアイデアが?」


「うっ……」


 口から出るままに言ったのでアイデアは何も無い。こめかみに新たに滲み出てきた汗を感じながら、がいは笑顔を取り繕って答えた。


「えっと、そこはツカサさんのアイデアを使いたい。力量を知りたいんだよね」


 がいの言葉につかさは目を星の様に輝かせた。

 可愛いな。本当に何で、こんなに巨大なんだ。


「なんと! 早速あたしの力が試される訳ですね!

 それでは、武蔵野うどんの強力なコシを使うというのは!? 所沢の焼き団子のもちもちもありですね! あとは、狭山茶を敷き詰めるなんていうのはどうでしょうか!」


「何で全部食べ物なんだ……?」


 しかし、どんな形であれ、動画を作る以上は自分が納得できるものにしなければいけない。それが動画製作者としての自負だ。


(こうなったら、とことんやってやるか……!)


 前途多難な二人の動画制作はまだ、始まったばかりだ。

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「これ椅子じゃないんですか?」「角川武蔵野ミュージアムですけど」「?????」 萌木野めい @fussafusa

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