「これ椅子じゃないんですか?」「角川武蔵野ミュージアムですけど」「?????」
萌木野めい
正確には椅子というよりスツール
「あたし、
「え?……え、あー……」
九月の秋晴れが如何にも心地良いところざわサクラタウン、角川武蔵野ミュージアムの周りは連れ立った友達グループや家族連れで賑わっている。
笑顔で話しかけてくる眼の前の女子に、多摩川
ちなみに再生数トップスリーは、
「【どこ?】武蔵野で一番低い山に登ってみた【これ山?】」
「武蔵野のご当地マンホール全部踏む」
「立川崖線ママチャリ制覇」である。
その中でも「立川崖線ママチャリ制覇」は本当にきつすぎて、実行後暫くは全身の筋肉が死んだ。教室移動で校舎の階段を上り下りする度に悲鳴を上げて同級生に爆笑されたので、もっと再生回数が延びて欲しいところだ。
目立ちたいという理由で身近な武蔵野を題材に中二で始めた動画制作だったが今はまさに
そして
その信じられない位の大声で恐らく武蔵野中が起床したと思うのだが、武蔵野に住む人々は豊かな自然環境のお陰で大らかなせいか特に問題にならなかった。
丸くて大きな黒い瞳に、それを縁取る長い睫毛が印象的な、目の前の彼女。艷やかな黒髪は綺麗に切り揃えられたボブヘアーで、紺のチェックのスカートと制服の半袖ブラウスを着ている。
細い身体を包む白いブラウスのボタンはきっちり上まで留められ、首元には臙脂のネクタイがこれも緩みなく締められている。元気いっぱいらしい性格と裏腹に服装は清楚系だ。そのギャップが良い。
ちょうど膝小僧にかかる、短すぎず長すぎずの絶妙なスカートの丈が彼女の清純な雰囲気を後押しする。そして何よりも、笑窪のある笑顔が眩しい。
同じクラスにいれば、正直言ってタイプだ。ぴかぴかのブラウンのローファーに土が少なからずついていることを除けば、完全だとすら思う。
動画制作仲間として自分と同じようなノリの男子高校生が名乗り出てくれればと思っていたが、まさかこんなに可愛い女子が現れるとは完全に想定外だった。しかも自分の動画のファンだと言うし。
その点に関しては、最高だ。
最高のはずなのに。
そんな彼女の完璧さを根本から消し飛ばすような状況があった。
彼女はダイダラボッチで、角川武蔵野ミュージアムに綺麗に足を揃えて腰を下ろし、足元の崖を笑顔で見下ろしていた。
正直、彼女のサイズ感だとミュージアムは椅子にぴったりだ。
しかし、そんな状況だというのにミュージアムは何時も通り開館し、ところざわサクラタウンは訪れた人々は彼女をスマホで撮影しつつも思い思いにほのぼのとした休日を過ごしている。これが武蔵野特有の大らかさなのかもしれない。
とにかく、でかい。
こんなにでかいもの(人だが)を真下から見上げたのは、これも動画制作のために行ったスカイタワー西東京以来だ。
武蔵野台地に聳え立ち、通称「田無タワー」と呼ばれるその電波塔は、遠目に見ると小さそうに見えるが間近に行けばかなり大きい。彼女が立ち上がれば同じくらいだろうか。
ちなみに田無タワーはライトアップの色が天気予報になっている。田無タワーが見える場所に住んでいる人だけの特典である。
(めちゃくちゃ可愛いけど、何でこうなった……?
この子と一緒には無理だろ……)
とにかく、ダイダラボッチに動画制作を手伝ってもらうのは不可能だ。今は奇跡的にどうにかなっているが、彼女が動く度に武蔵野の自治体が一つずつ消滅するだろう。動画制作どころでは無い。
彼女には何とかしてお帰り頂くしかない。だが、単刀直入に切り出して機嫌を損ねれば踏み潰されるかもしれないので、ここは慎重に行くべきだろう。
「てか、何でそこ座ってるの?」
「座りやすそうだな、って思って! こういう椅子、この辺に全然無いんですよ。スマホで地図アプリ開いてもらえます? 表示を航空写真にして、見てみて下さい。あたしの言ったこと本当でしょ?」
「うーん、確かに……」
確かに、改めて「ダイダラボッチ向けの椅子を探す」という視点で地図アプリを見ると、こういう建物は見つからない。武蔵野は森林や田畑、住宅が多いからだ。
「ダイダラボッチって普段は山の姿に変身してそこらじゅうで丸まってるんですよ。あたしは府中の浅間山公園の堂山やってたんですけど。ガイさんの動画見て、これは!と思って、所沢まで歩いて来たんです。ガイさんのプロフに所沢在住って書いてあったんで」
必然的に
「で、興奮して一気に立ち上がったらふらついて、国分寺のはけで躓いちゃって。そのまま小金井公園で一歩、所沢航空記念公園で二歩、で、三歩ってきたところでちょうど、これがあって。この辺りは家がいっぱいで足の踏み場なくて困ったんですけど、ちょうどいいじゃん!って。前まで無かったと思うんですけど」
彼女が、自身が腰掛ける椅子を指差して笑顔で言う。
「これ、ね……」
「これ」呼ばわりされた角川武蔵野ミュージアムに同情せざるを得ない。弁護のために
「ツカサさんが座ってんのは角川武蔵野ミュージアム。ちなみに、今はダイダラボッチに関する展示もやってる」
「へええそれは興味深いですね……! けど、あたしどうやっても入れないからなあ〜」
眉間に皺を寄せていた
もう一度
「でっ! ガイさんといえば武蔵野! 武蔵野といえばダイダラボッチ! ダイダラボッチといえばあたし!! で完璧だと思うんですよ!」
「えーと、まあ、そんな気もしなくはない……かな……」
「でしょでしょ〜!! ガイさんとあたしは史上最強のタッグです! この武蔵野の素晴らしさを二人で、全世界に広めていきましょうっ!!」
「じゃあ早速!! 立川崖線の次は国分寺崖線ですね!? ええ! 行きましょう!」
(あっこれは、パンツが見え……!)
その僥倖に
迷いが生じた心を泣く泣くねじ伏せ、
「ツカサさん座って! 俺にいい考えがあるんだ!」
「え? あ……はい! 動画のアイデアですね!? お聞かせ下さい!」
どん、という重い衝撃により発生した地震で周囲の人々は一瞬わっと声を上げたが、すぐに何事も無かったように思い思いの時間へ戻っていく。
「その椅子、座り心地悪くない?」
「え?……そう言われてみればまあ、硬いです。もうちょっとふかふかした素材だと助かりますね」
ミュージアムに腰掛けたお尻をもぞもぞと動かして、
「でさ、俺が武蔵野特有の色んな素材を集めて来るから、ツカサさんはそれの座り心地を判定してよ。それを動画にしよう」
「な、なるほど〜!! 流石ガイさん!! 素晴らしい企画です! 私のお尻も助かりますし!」
取り敢えず、暫くは座っていてくれそうだ。
「で、その素材、って何ですか? どんなアイデアが?」
「うっ……」
口から出るままに言ったのでアイデアは何も無い。こめかみに新たに滲み出てきた汗を感じながら、
「えっと、そこはツカサさんのアイデアを使いたい。力量を知りたいんだよね」
可愛いな。本当に何で、こんなに巨大なんだ。
「なんと! 早速あたしの力が試される訳ですね!
それでは、武蔵野うどんの強力なコシを使うというのは!? 所沢の焼き団子のもちもちもありですね! あとは、狭山茶を敷き詰めるなんていうのはどうでしょうか!」
「何で全部食べ物なんだ……?」
しかし、どんな形であれ、動画を作る以上は自分が納得できるものにしなければいけない。それが動画製作者としての自負だ。
(こうなったら、とことんやってやるか……!)
前途多難な二人の動画制作はまだ、始まったばかりだ。
「これ椅子じゃないんですか?」「角川武蔵野ミュージアムですけど」「?????」 萌木野めい @fussafusa
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