オランウータンには出来ない殺人
@Chihayatowa
第1話
事件現場は郊外の建物だった。玄関には規制線が敷かれ、警察官が二人立っている。看板には『オランウータン研究所』と記されている。玄関には規制線が張られ、警官が立っている。女性警察官が二人、人混みをかき分けやってきた。一人は 燃えるような赤髪が目を惹く背の高い女性、その背に隠れるようにたたずむもう一人の女性は小柄で黒髪、分厚い眼鏡をかけている。
「お疲れ様っす。心霊課です」
長身の女性が胸ポケットから警察手帳を取り出した。二津結(ふたつむすび)と名が書かれていた。
「糸野ほつれです」
背後の女性もぴょこんと頭を下げる。二人は規制線をくぐり抜けた。玄関を開け、現場へと向かう。ここはオランウータン研究所、なんでも国内で知る人ぞ知るオランウータンを研究する場所らしい。建物内には壁際に檻が四つ、普段はオランウータンが飼われている。事件現場は中央の研究室だ。結は研究室の扉を開ける。酸鼻な匂いが鼻につく。隣のほつれが顔をしかめた。
壁も床も血だらけだった。棚はひっくり返されて、床にはガラス片や書類が散らばっていた。机の上にあるはずの、デスクトップパソコンも床に落ち、液晶もひび割れている。
「これ、なんですかね」
ほつれが指を差す。床の血だまりに金色の長い毛が数本落ちている。手に取ろうとするほつれを、結は手で制す。初老の鑑識がゆっくりとこちらに歩いてくる。
「心霊課の結ちゃんじゃねえか。今回も幽霊がらみなのか?」
警視庁心霊課。頻発するオカルト的事件、都市伝説の隆盛に対応するため、起きた事件が心霊的なものか人為的事件か判断する非公式な部署だ。人為的な事件ならば警察の他部署に、心霊的なものならばしかるべき機関へと引き渡す。
「源さんお疲れ様っす。状況きかせてもらっていいすか」
「ああ、このざまだ。血だらけの部屋と一つの死体。紛れもない殺人だよ」
死体はデスクわきにあったようだ。死体があったと思しき場所には白線が敷かれている。
「被害者は?」
「被害者は日本人。中肉中背で黒髪の四十代。名前は王蘭右蔵(おうらんうぞう)。ここのオランウータンの主任研究員だ。最近はずっと一人で引きこもって研究していたらしいぞ」
「発見状況は?」
「被害者は研究室に引きこもっているとき、食事の宅配サービスを利用していたらしくてな。定期的に料理が建物前に置かれることとなっていた。今朝、宅配員が新しい食事を持ってきたとき、前のがそのまま残っていたようでな。念のために110番したらこの有様ってわけだ」
「で、殺害方法は」
「致命傷は頭の傷。なんらかの強い力が頭部にかかったらしいんだが、遺体の状態が悪くてな。詳しいことは鑑識の結果待ちだよ」
「撲殺でこんな血まみれなんですか?」
ほつれが結の後ろからひょっこり顔を出す。
「この嬢ちゃんは?」
「源さんとは初めてでしたね。うちの新人です」
「糸野ほつれです。よろしくお願いします」
「おお、結の下にしては、丁寧な奴じゃねえか。この子が噂の名探偵か」
「ああ、三件ばかり、こいつが解決しちゃいました。って私も丁寧じゃないっすか」
「お褒めにいただき光栄です。結さんの丁寧は......どうっすかねえ」
「うるせえ、真似すんじゃねえ」
「先輩こわぁい。また部下に逃げられちゃいますよ?」
「おまえら、良いコンビだな.......」
源はため息をつく。そのまま現場の状況を話しはじめる。
「この血まみれの状況はだな。被害者は殺されたあとノコギリで切断されたみたいでな。ノコギリは死体の横に転がっていた」
「バラバラですか」
「ああ。通報をうけた警察が踏み込んだとき、床には生首が転がっていたらしい」
「わあ。猟奇的ですね」
ほつれは目をきらきらさせている。
「うちが呼ばれたっつうのは、猟奇的事件だからっすかね?」
今まで関わってきた事件は、どちらかというと予言殺人や念力殺人、ポルターガイストなどの一見まゆつばな事件ばかりだ。猟奇的なだけの事件ならば、心霊課の管轄ではないだろう。
「いや、現場にはもう一人、いや一匹いてな。真っ白いオランウータンが部屋の中をうろついていた」
「ポーの小説じゃないですか!」
傍らのほつれが声をあげる。ほつれはミステリが好きらしい。そのままエドガー・アラン・ポーからはじまるミステリの歴史を披露している。
「それで殺戮オランウータンは?」
ほつれは身を乗り出し、源に声をかける。
「殺戮オランウータンだぁ?」
「現場のオランウータン。これはオランウータンが犯人に違いないと私の中のデュパンも言っています。ああ、私は金田一派ですが......」
「容疑者の白オランウータンはどこにいるんすか」
「外の檻だ。今は神妙に座っているよ」
「やっぱり、オランウータンが第一容疑者ですか?」
「ああ、俺たちもその線で考えた。だが、ノコギリ使えるオランウータンなんて聞いたことないだろう」
「となると殺人事件っすか?」
「そうなると何者かが死体を斬るだけ斬って帰っていったんだよなあ」
源の言葉に結はうなる。
「被害者によほど恨みがあったんすかね」
「被害者の王蘭は敵を作りやすい性格だったらしい。勤務先の大学で研究のやりとりで同僚とも揉めて、引きこもりがちになったとか」
「住民の聞き込みや監視カメラの映像は?」
玄関先にカメラあったっすね。結がつけくわえた。
「三日前に黒髪の男が一人、入って行くのが写っていた。出て行く場面は撮られていなかったから、被害者本人じゃないか」
「ありがたいっす。情報感謝します」
「だろ、今度おごれよ」
源は手をひらひらさせて立ち去った。結は口座残高に思いをはせる。
「にしてもたくさんの血ですね。確かに人体の重さの十三分の一が血液ですが......ね。結さん。ここにも、ここにも、ここにまで」
壁の四方をほつれは指さす。血は部屋の広範囲に飛び散っていた。死体を何度も部屋の中で引きずり回したような有様だ。
「死体を斬ったんだろ。それで血が」
「それはそうですけど......結さん。オランウータン見に行きませんか」
「動物園じゃねえんだぞ」
研究室を出て、オランウータンの檻へと向かう。檻の前には警官が一人いた。檻の中には白い体毛のオランウータンが座っていた。野生なら長老扱いされていたような貫禄を誇っている。体毛には血の赤がわずかに飛び散ってところどころ縞模様を形作っている。
「この子が容疑者なんですか」
ほつれは牢の扉を揺さぶった。
「おい、ほつれ勝手に触るなよ」
「うーん、錠前は問題なしですね」
「何がだ?」
「この牢屋、南京錠みたいなのついているじゃないですか」
ほつれは牢の扉を指さした。南京錠のお化けのようなごっつい錠前には、特に目立った傷も付いていない。
「ああ、それが?」
「殺人オランウータンが出てくるなら、やっぱり牢の扉をぐしゃあって」
ほつれはオランウータンものになんらかの理想があるっぽい。牢にはオランウータンが一匹いる以外には、端の方に小麦色の干し草が積まれているだけだ。
「事件のときこの牢は?」
結は脇に立つ警官へ声をかける。
「開いていたようです」
「錠前の交換とかしました?」
「いえ、とくに」
「じゃあ、錠前は壊れていないと......」
ほつれは一人頷いていた。
「鍵は誰が持っていたんすか?」
「被害者のデスクの上にありました。一応施錠を......」
ほつれは格子を掴み、牢屋の一点をじっと見つめている。不意にほつれが口を開いた。
「あれ、なんですか」
「あれだぁ?」
干し草に紛れて、黒い髪の毛のようなものが覗いている。
「被害者のものですかね」
源さんを呼び、干し草から黒い何らかを引き上げた。警官が何人もより集まってきた。
「血がべったりついているな。これは髪か?」
「カツラですね」
「被害者の?」
「情報ではなにも」
ほつれは檻の前に座り込んでいた。結が声をかけても動こうとしない。
「髪の毛、監視カメラ、カツラ、壁の血」
「おーい、なに呟いてんだ」
「体重の十三分の一、白いオランウータン、荒れ果てた部屋,,,,,,」
「そこ捜査の邪魔になってんぞ」
「ちょっと黙ってください」
ほつれが結を手で制した。嘆息する。このモードになったほつれは止まらない。
「あー。こいつのことは放っておいてください」
怪訝な視線をほつれに向ける警官たちに声をかける。一時間経ち、二時間経った。源がやってくる。
「おう、心霊課。収穫あったか」
「もうすぐでありそうっすね」
結はほつれを顎でしゃくる。ほつれは仏像のようにじっと動かない。
「これが探偵モードか」
「待たされるこっちの身にもなってほしいっすね」
「わかりました!!!」
ほつれが叫ぶ。源は思わず飛び退いた。
「はじまったっすね」
「源さん、ちょうどいいところに。わかりました!わかりましたよ!!!」
「犯人がわかったのか?」
「わかりました!犯人は......」
結と源、付近の警官の視線が集まる。
「このオランウータンです!!!」
ほつれは檻の中のオランウータンを指さす。オランウータンは喧噪を意にも介さない。ただ壁をぼんやりと眺めていた。
「オランウータンが被害者の王蘭を襲ったっていうのか?」
結が問う。
「結さん、何言っているんですか。オランウータンがノコギリを使うわけないじゃないですか」
「お前がオランウータンを犯人と」
「結さんはちょっと待ってください」
「わかったよ」
結が口をつぐむ。ほつれは話し続ける。
「この事件には不審なところが三つありました。一つ、バラバラの遺体が放置されていたこと。一つ、現場にオランウータンがいたこと。一つ、荒らされた室内。具体的には現場に残された髪の毛と血痕」
ほつれは聞きいっている警官たちをぐるりと見回した。反応に満足したように言葉を続ける。
「突破口を開いたのは、まずこの檻です」
ほつれは錠前を指さす。
「この錠前、壊れていませんよね。丁寧に使用されています」
「壊れていないなら問題ないんじゃないか」
源が口を挟む。
「今回は壊れていないのが問題です。可能性が二つあります。一つ、被害者がオランウータンの鍵を開けていた時に何者かに殺された。こちらは通ります。もう一つ、犯人がわざわざオランウータンの檻の鍵をあけた。そして、犯人は檻の鍵を丁寧に机に置いていった。人を殺すためでもない。殺人を隠すわけでもない。非合理的な行動です。こちらは通りません」
ほつれは言葉を切る。
「じゃあ、事件が起きたときに」
「オランウータンは屋敷の中を闊歩できる状況だった」
「それで何が起きたんだ」
「次に荒らされた現場です。知っての通り、部屋は血まみれでした。犯人がノコギリで体を切り分けたとしても、壁にまで血が散らばるのは少し変です。しかも、部屋の血だまりには金色の長い毛が浸っていました。被害者は黒髪、オランウータンは白い体毛。それならば、この髪の毛はなんなのでしょうか」
「その髪の毛はどこに」
「血だまりにありましたよ」
「おい、見てこい」
源は配下に指示を飛ばした。警官が二人慌ただしく部屋を出て行く。
「ええ。現場には三人、いや、二人と一匹存在しました。被害者とオランウータンと犯人です。それでは、犯人は何処へ消えてしまったんでしょうか」
ほつれは一息つき、また言葉を続ける。
「監視カメラに写っている黒髪の男がいた。源さんはそう言っていましたね。黒髪の男です。だから、はじめわたしも被害者だと考えておりました。しかし、これが見つかりました」
源の手に持つジップロック、具体的にはその中にしまわれたカツラを指す。
「金髪の人間がこれで変装していたのです」
「じゃあ、犯人はどこに?」
源は思わず問いかける。
「そうです。研究所に来た犯人は霞のように消えてしまいました。残ったのは血だらけの部屋とオランウータンだけ。さあ、もう一度言いましょう。この殺人事件の犯人はこのオランウータンです」
オランウータンが大きくゲップした。
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