殺りくオランウータン殺人事件 -遺された血文字の謎-

破壊神1/4《シヴァ・クォーター》

ダイイングメッセージは『殺りくオランウータン』

「被害者が残した『殺りくオランウータン』のダイイングメッセージが示す犯人は……この中に居るのです」

 探偵は関係者たちの前で、堂々と告げた。

 ただし、小声で。

 古風な屋敷に集まった、血なまぐさい因縁を持つ人々。剣呑な空気の中起きた、屋敷の主である資産家「海野十三」の殺人事件。しかもそれは、人間には不可能と思われる犯罪──密室殺人だった。

 しかし今、全ての謎は、名探偵の明晰な頭脳によって白日の下にさらされようとしていた。

 

 探偵の告発に、集められた関係者たちに緊張が走る。 

 居並ぶ面々は殺された資産家の息子「海野森人」、若く美しい後妻「海野由紀」、借金漬けで首が回らない資産家の弟「海野十四」、被害者のビジネスパートナー「野田省吾」、老齢の執事「吉良幸助」、食客として宿に逗留中の、気功で壁越しに人を殺せる格闘家「小竜ケン」、たまたま居合わせたインド人の蛇使い「マダラ・ノヒーモ」、いかにも妖術を使いそうな中国人「王十戒」、そして何の変哲もない殺戮オランウータン。

 この中に犯人が居る……その言葉に対するリアクションは様々だった。不安そうな顔を見せるもの、ばかばかしいと舌打ちするもの、無表情を貫くもの、蛇にミルクをやるもの、そして殺戮オランウータン。


 最初に口火を切ったのは被害者のビジネスパートナーだった、野田省吾であった。

「キミィ! ふざけたことを言うのもいい加減にしたまえよ! あれが殺人? あそこは完全な密室だった。一体誰があいつを殺せたと『ウキャアアアアア!!!』グアアアアアアアアアアアア!!!!」

 唐突な殺戮オランウータンの襲撃!!!! ビジネスパートナーの男は無残に死んだ!!!

 無残な肉塊と化したビジネスマンを見ながら、だから殺戮オランウータンを刺激しないように小声で指摘したのに……と探偵は嘆いた。嘆いたが、それよりも謎解きの方が優先なので死んだ男のことはすぐに忘れた。

「……話を続けましょう。そう、現場は一見完全な密室。人間の手による犯行は不可能……そう見えました。しかし、違ったのです」

 小声で続ける探偵に、狼狽した後妻が尋ねる。

「で、でも一体どうやって!? 現場には内側から鍵がかかっていたし、キーはあの人のポケットの中! 破壊の痕跡はもちろんなかったし、部屋の中にはあの人と殺戮オランウータンだけ! そんな状況をどうやって『ウキャアアアアア!!!』ギャアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 無慈悲な殺戮オランウータンの襲撃!!!! 若く美しい後妻は無残に死んだ!!

 肉塊になっては美人も形無しだな……と探偵は美貌が失われたことを束の間惜しんだが、それよりも謎解きの方が優先なのですぐに忘れた。

「それについて話す前に、被害者の遺したダイイングメッセージ……『殺りくオランウータン』について解き明かしましょう」

「はっ、ダイイングメッセージだと!? あんな血文字がなんの役に立つと『ウキャアアアアア!!!』ウグオオオオオオオオオオオオオ!!!!!????」

 冷徹な殺戮オランウータンの襲撃!!!! 借金漬けだった被害者の弟は無残に死んだ!!

 探偵は中年男性の死骸に一瞥をくれ、これで借金取りに怯えることももうあるまい……とだけ思うと、すぐに忘れて謎解きへと戻った。

「『殺りくオランウータン』……確かに一見無意味な文字列です。だが、被害者が死の間際にわざわざ無意味なことを書き記すなどありえない。そう、これは被害者がその命を乗せて託した、告発だったのです」

 探偵の言葉に老齢の執事が言葉を挟む。

「……となると、旦那様が記したこの血文字……『殺りくオランウータン』こそが、犯人を示す暗号であったと、そういうことですかな?」

「…………」

「…………」

 しばし、沈黙。

「…………あの、探偵様? 何故黙っておいでで?」

「ああ失敬、今までの流れ的にまた死ぬんだろうなと思って一拍置いてしまって……」

「ちょっと!? その発言は私が死ぬのを一旦黙って待とうとしていたと、そういう『ウキャアアアアア!!!』グゲエエエエエエエエエエエエエ!!!!!」

 緩急つけて殺戮オランウータンの襲撃!!!! 有能だった老齢の執事は無残に死んだ!!

 うんうん、と探偵は頷き、話を続けようとする。

「そこの執事さんだった肉塊が言った通り、このダイイングメッセージは……」

「アイヤー! ワタシ分かったアルヨ! つまりこのメッセージは密室トリックにそこの殺戮オランウータンが関わっていたことを示そうと『ウキャアアアアア!!!』アイエエエエエエエエエエエエ!!!!!」

 至極当然の殺戮オランウータンの襲撃!!!! 妖術を使う暇もなく中国人は無残に死んだ!!

 しかし懲りないのか学習能力がないのか、探偵が次の言葉を紡ぐ前にまた発言を差し挟むものがいる。

「今の発言で俺も分かったぜ! つまり犯人はそこの殺戮オランウータンにテグスを持たせて、それを支点に内側から鍵を『ウキャアアアアア!!!』あっちょっ、まだ人が話してる途中だろうが……はどーけん! ふんっ、はっ……何っこいつ小足見てから昇竜っ……『ウキャアアアアア!!!』すとふぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!????」

 ウメハラじみた殺戮オランウータンの襲撃!!!! 結構粘った格闘家も無残に死んだ!!

『ウキャアアアアア!!!』

「カリイイイイイイイイイイイイイ!?」

 あと横に居た蛇使いの男もピロピロと笛がうざかったせいか特に見せ場もなく無残に死んだ!!


 沈黙が支配する部屋の中、探偵は小さく、小さく咳ばらいをして仕切りなおす。

「……ようやく静かになりました。そこの肉塊たちが言ったように、これは密室トリックの告発……ではなく普通に犯人を示したものです」

 探偵は、殺戮オランウータンを刺激しないよう、音を立てず慎重にホワイトボードを持ってきて、『殺りくオランウータン』と書き込んだ。

「なに、簡単なことですよ。問題はダイイングメッセージが何故『殺戮』オランウータンではなく『殺りく』オランウータンだったかということです。『殺りく』……今わの際に遺すにしては、少し間抜けが過ぎる字面ではありませんか」

 そこで探偵は言葉を切り、ちらっと殺戮オランウータンに注意を向ける。まだ『ウキ……』程度ですぐに襲い掛かってくる気配のないことを確認し、探偵は言葉を続ける。

「わざわざ平仮名にしたのは、「りく」が別の字を示すからです。殺りく……つまり「陸」を殺す。陸が無くなれば残るのは……海。そしてオランウータンはインドネシア語で『森の人』という意味……つまり」

 そこで名探偵はペンをなるべく静かに置き、鋭く犯人に指を突き付けた。


「犯人はあなたですよ……海野森人さん」


 告発された被害者の息子……海野森人はにやりと笑い、そしてゆっくりと拍手を……しようとしたところで『ウキャ……』と呟く殺戮オランウータンと目が合ってやめた。

「見事な推理だよ、探偵さん。よく俺が犯人だと分かったな……それで? 密室トリックは?」

「そちらも実に初歩的なこと……解説したいところですが、それを話すには時間が足りなすぎる。何せ先ほどから殺戮オランウータンがこちらを襲撃しようと身構えていますからね」

『ウキャア……』

 定理の証明を書く余白のなかったフェルマーの気分ですよ、と探偵は漏らした。

「なるほどね……まあいいさ、どうせそのご高説はもう俺しか聞いてないしな……。せっかくだから教えてやるよ。俺の犯行動機……あの男が、俺の母さんに一体どんな酷いことをしたのかをな!!



『ウキャアアアアア!!!』ギャアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 容赦のない殺戮オランウータンの襲撃!!!! ついうっかり感情的になった犯人は死んだ!!


 残されたのは……探偵と殺戮オランウータン、一人と一匹。

 つんとした血の匂いだけが、部屋に満ちていた。

「やれやれ……犯人まで死んでしまっては私も立つ瀬がないな……。しかし、私はお前に簡単にやられてやるほど優しくないぞ?」

 推理を終えた探偵はもはや遠慮することなく、音を立ててコートを脱ぎ捨てる。衣服の下から現れたのは、その頭脳に比例するかのように鋭く鍛え上げられた筋肉だ。

「オマエなら知っていよう。何故、かの世界一の名探偵が東洋の格闘術であるバリツを修めていたか……。それは名探偵の宿敵、世界初の密室殺人犯であるお前たち……バリツと同じくボルネオから来た殺戮オランウータンに対抗するためだ!」

『ウキャア……』

 探偵は一分の隙もなく、バリツの構えで殺戮オランウータンに正対する。それに呼応するかのように、殺戮オランウータンも得物である剃刀を光らせた。

「さあ、死合いと行こう……探偵と殺戮オランウータン、どちらが生存いきるか死滅くたばるか!!」

『ウキャアアアアア!!!』



   △      △      △



 ──それから、数刻。


「しくじった……室内では、バリツの必殺奥義『ライヘンバッハ落としフォール』が使えない……まさか、ここまで読んでいた……と、は……」

 それが、探偵の最後の言葉だった。

 壮絶な激闘の末、最後に立っていたのは殺戮オランウータンであった。

 体中から流血を迸らせ満身創痍の殺戮オランウータンだったが、しかしそんなことを感じさせないほど不敵にニヤリと笑い、探偵の持ち物であったパイプを奪うと、勝利の余韻に浸るようにゆったりと味わう。

『さて、これで全員死んだか……』

 スペイン語でもフランス語でも、ドイツ語でも英語でもロシア語でもましてやイタリア語でもない、恐ろしく高い知能を持つ殺戮オランウータン特有の言葉(何せ世界最古の密室殺人を行った種族なのである。言語を介する程度の高度な知能を持たないと考えるほうがおかしくはないだろうか? 先程までウキャアアアアアしか言ってなかっただろって? 気にすんじゃねえあれはカラテシャウトだよカラテシャウト)で殺戮オランウータンは呟く。

 そしてもはや誰も自分を妨げるもののいなくなった屋敷を、まるで主人が如く眺め。


 しばらくして、意気揚々と扉を開けて出ていった。


 全ては自らの目的……人類種を殺戮し、地球の支配者にとって代わるために。



   △      △      △



 ……映像は、そこで途切れていた。

「そんな……こんな、こんなことが……」

 漂着した惑星に遺されていた映像記録を確かめ終わった光速宇宙船の乗組員(数百年のコールドスリープ明け)は、その結末にがくりと膝をついた。

「なんてことだ……それじゃあ……それじゃあ……!」

 残酷な真実に辿り着き、遥か過去からの旅人は声を震わせる。

 すなわち、それは。




「ここは、地球だったっていうのかよ────!!!!!」

 殺戮オランウータンの支配する星となった地球に、たった一人の人類となった男の叫びが空しく響いた。









『ウキャアアアアアアアアア!!!!!!』

「グワアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

 そして大声を聞きつけてやってきた殺戮オランウータンの襲撃!!!! 人類は絶滅した!!(完)

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