第3話 傘屋龍神
できたばかりの傘の調子を、回したり眇めたりして確かめる。
骨組みにも変なところはない。傘紙に塗った油も、表面の絵も出来はいい。
士季はひとり頷くと、何本目かになる傘作りを一旦終えることにした。作り上げたばかりの傘をそっと床に置いた。
作業場から立ち上がると、見計らったように少女が飛び出してくる。
「士季、お仕事終わった?」
飛び込んできた少女を抱き留める。
「終わったよ、祥姫」
祥姫の顔がぱっと輝いた。勝気さが窺える吊り気味の眉をした祥姫は士季にしがみついたまま、士季が作業場から離れるままについてくる。士季は腰のあたりにある祥姫の頭を撫でた。しっとりと艶やかな黒髪を、流れに沿うように手のひらを滑らせる。
「ほら見て、また貰ったの」
祥姫の手には摘んだ月季花が握られていた。
「また翠のところに遊びに行っていたんだね」
「いけない?」
「いけなくないよ。翠はいい奴だろう?」
「とっても! でも、士季、翠に会ったことあったっけ?」
祥姫は目を丸くする。士季は苦笑しながら祥姫の頭を撫でた。そのうちうっかり口を滑らせてしまいそうだ。
活けておいで、と言うと、祥姫はここ最近よく花を飾っている小さな花瓶を取りに走った。
しばし静かになる。外の雨音が部屋を包み込むように聞こえてくる。部屋の片隅にはいくつも立てかけた、作った傘がある。
士季は子供の頃から傘を作るのが好きだった。傘紙の図案も自分で描く。
父は弟子を集めて工房を稼働させていた。製作の工程をそれぞれ担当する者がいたが、士季はひとりで傘を作る技術を学んだ。
小さい頃は弱虫で、元気な周りの子たちについていくのが苦手で、人交じりを避けていた。
ひとりで傘を作っている間だけは穏やかな気持ちで過ごすことができた。その時間さえ持てれば、それでよかったのに。
祥姫が花を活けた花瓶を両手で持って帰ってきた。彼女は座卓の上に花瓶を置く。ここ最近、この座卓が花瓶の定位置になっている。
傘の工房と化している雑多な座敷が、小さな花で色づくようだった。まるで祥姫のようだった。雨ばかり降る暗い村の中で、唯一光り輝くような明るさを持っている。
祥姫は、拾った子だった。
天門の前で倒れていた少女を士季が拾い、村の誰もが天女だと囃し立てながらも敬遠していた中、引き取ってずっとひとりで育ててきた。士季にとって、何よりも可愛くて大切な子だった。
「ねえ士季、またお話して。龍神伝説」
「この前も聞かせたのに、飽きないのかい?」
「いいから話して」
祥姫の両腕が、座り込んだ士季の首に回される。
祥姫を膝の上に座らせるようにして、士季は何度目かもわからない伝説について語り始めた。
昔むかし、天で罪を犯した天女がいました。
天女は友人の命を助けるために天では禁じられていた術を使ってしまったので、天は怒って、天女を天から追放してしまいました。
地上に降り立った天女は、ある龍神が起こした大雨と嵐に悩む村を訪れました。
村の人々は、龍神が怒って災害を起こすので困っていると天女に相談しました。
天女は龍を何とかすると請け負います。天女は龍神に話を聞こうとしますが、龍は怒って、村を滅ぼさねば気が済まぬと言い張り、とても話し合いでは解決できそうにありませんでした。
天女は、追放のときから一緒についてきた従者――命を助けた友人と一緒に龍神に立ち向かいました。天女は天の力を授かっているのですが、龍もまた天候を操る水神としての力を持っていました。
天女とその従者、そして龍神は空に舞い上がり戦いを始めました。
強い風を纏った雨が頬を打つように殴り抜けました。雨に濡れた鱗を光らせた龍神は水と風を操り、襲いかかってきます。美しい黒髪を嵐になびかせ、天女は銀色の剣を翳して襲い来る水や風を避けながら龍神に迫っていきました。
後方では従者の男が大きな弓に矢を番え、龍神を狙っていました。強い嵐の中、男が放った矢は真っ直ぐ龍神の脳天へと吸い込まれるように飛んでいき、龍神の額を射ました。
龍神が怯んだそのとき、天女の濡れた剣が翻りました。龍神の首の逆鱗を傷つけ、喉を切り裂かれた龍神は血の雨を降らせて地上へと落ちていきました。
そのとき、龍神は最期の力を振り絞って天女の腕に食らいつきました。天女と龍神はもつれあうようにして龍神池へと落ちていったのです。
天女の従者は急いで地上へ降り立ち、龍神池へと向かいました。片腕を失くした天女は肩の付け根から大量の血を流し、雨に打たれながら顔を青ざめさせていました。
龍は隣で尾や髭をばたつかせ立ち上がろうとしていましたが、逆鱗が傷つき、ほとんどの力を失くしていました。
従者は龍神池にある大きな石を要石にして、結界の中に龍神を封印しました。そして龍神の力を吸い取り、雨として降らせることで、石が朽ちていつか封印が壊れたとき、龍神に力が残らないようにしたのです。
雨が降る龍神池のほとりで、従者は息も絶え絶えな天女を抱きしめました。
雨に濡れた冷たい天女の身体からは、どんどん温もりが消えていきました。
従者は天女を死なせたくないと思い、村のはずれにあった天門の存在を思い出したのです。
龍神池のほとりには、もうひとり、冷たくなった少年の遺体がありました。この少年は、龍神が怒った原因。村人たちに掟破りを責められ暴行され、死んだ少年です。
従者は天女と少年の遺体を担ぎ、天門へと向かいました。
「……ねえ、続きは? どうしていつもここで切ってしまうの?」
祥姫が士季の顔を間近で睨む。
「いっつもこの辺で終わりじゃない。従者はその後どうなったの?」
大きな瞳がじっと士季を問い詰める。
「そんなに知りたいの?」
「だって中途半端なんだもの。今日は最後まで聞きたい」
祥姫の顔は真剣だ。今日はいつものように話を逸らすことも難しそうだ。
まあいいか。隠しているわけではないし。
「……その後、従者は天門を開き、天女と少年の遺体を門の中へ流しました。遺体の時間が巻き戻って、まだ生きている頃に戻って、再び門を潜れるように」
「どうやって門を開けたの? どうやっても開かないって聞いたことあるよ」
そう。あの門は天に縁のある力を持つ者ではないと開けられない。だが、時間を戻る門を開けることは、天界の者にとっては掟破りになる。いかに下天した者であっても、門を開けた者は天界に捕まってしまう。
従者はその罪でやってきた天界の者に捕えられ、おそらくは百年経った今も天界の牢に繋がれているのだろう。そのことを話すと、従者の末路を知った祥姫は、悲しそうな顔をした。
「門を潜った二人は、どうなっちゃったの」
「時間が巻き戻った者は、過去か未来か、どちらかに飛ばされる。どれくらいの年齢になるか、いつまた天門を潜って現世に戻ってこられるかは、そのときにならないとわからないんだよ」
「けっこう不便な門なのね」
士季は「不便」の部分に噴き出した。
「そうかもしれないね」
どうして士季にこの記憶があるのかはわからない。けれどはっきり覚えていた。
村人に殺された後、村で何が起こり、自分が何故、どうやって天門を潜ったのかを。
これも龍神だった翠の力の影響なのか。それとも天女と従者の力の影響なのか。
天門を潜り、あのときより少し大人になった姿で、士季は百年後へと飛ばされた。このとき天門を潜ってやってきたところを誰にも見られなかったから、士季は変な噂をされることなく、この村で普通に暮らせているのだ。
そうしたら、まさか祭りの後に要石が壊れて翠が復活し、天門を潜ってあのときより随分幼くなって戻ってきた天女の祥姫も現れた。
あの頃の、弱虫で龍神池に逃げ込んで泣いていた少年は、今は天女だった頃の記憶も失くした少女の父親だ。そして幼い頃夢見た、傘屋になった。
百年前、よく龍神池に逃げて翠と語っていたことを思い出す。
――将来は、立派な傘屋になって、父さんの跡を継ぐんだ。
――それだけの意志があって努力を続けられるなら、お前の夢はいつか叶うだろう。
翠は、そう言って士季を励ましてくれた。それがとても嬉しかったのだ。
――僕、傘に龍神様の絵を描くよ。龍神様の傘屋になる。
龍神の御姿を描いた傘を作ろう。龍神への信仰と友情を傘に込めよう。
あのとき士季は本気だった。
翠はやや興奮気味の士季に、見守るような優しい眼差しを向けてくれていた。
その優しさが士季の死によって怒りに変わり、彼を悪龍へと貶めてしまった。同じ村にいるのに、会っていない。どんな顔をして会えばいいかわからなかった。
祥姫が士季の胸に背をもたれた。純粋な天女の瞳と目が合う。
「士季は、龍神はやっぱり悪いと思う?」
翠は何も悪くない。元はといえば、士季が龍神池に出入りしていることを村人に知られたのがいけなかったのだ。彼が怒り狂ったのは、彼の優しさの証だったのだから。
士季は祥姫を後ろから抱きしめた。
「龍神様は、昔も今も、この村の立派な守り神だよ。雨が潤いと川の氾濫をもたらすように、龍神様は優しさと荒ぶる魂を持っている。人もそうだろう。誰も悪くないんだよ。龍神も天女も、村人もね」
罪人を探したところで、自分を責めたところで、すべては百年前に終わったことなのだ。だから忘れないように伝説を作り、語り継ぐ。それが龍神を貶め、天女を崇拝するものであっても、村人たちにとっての真実は、伝説の中ですべて語られている。
すべては百年前の傘屋と、龍神から始まった。
雨戸が控えめに叩かれた。すぐに祥姫が立ち上がって雨戸を開ける。月季が咲く庭先に、傘を差した翠が立っていた。翠は差しているものとは別の、畳んだ傘を突き出した。
「祥姫、忘れ物だ。この村で傘を忘れると、あっという間にずぶ濡れになるぞ」
「忘れてた。ありがとう、翠」
祥姫は差し出された傘を受け取り、その場で傘を開いた。一度翠に向け、そして頭上へ傘を差しかける。白い傘に士季が描いた図案が浮かび上がる。
昔見た、雨を降らせる龍神の絵。青い鱗に覆われた胴体と威容のある龍神の顔が、傘の中に収まっている。祥姫には、士季が作った龍神の傘をあげたのだ。
翠は傘紙の絵を、それから士季を見て、小さく笑った。
「……立派な傘屋になった」
そうして翠は雨の中、立ち去っていった。
翠は百年前に、士季のために怒ってくれた。そして今も士季のことを見守ってくれている。
「翠、何のことを言ったんだろうね」
祥姫は小首を傾げながら、彼が去った方向を見つめている。
士季は微笑みながら、祥姫の肩に手を置いた。
士季は降りしきる雨の音に耳をそばたてながら、濡れた月季の花を見下ろした。
傘や龍神 葛野鹿乃子 @tonakaiforest
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます