〈後編〉

 思い切って後ろを振り返るとそこには何もなく、一般教室、視聴覚室、美術準備室が続くだけ。用務員か先生の姿でも見えれば良かったのにと、振り返った事を後悔していた時、ポロンというピアノの音が聴こえた。空耳かと思っていたら、またポロン。変な間があり、メロディーにもなっていない。何かが鍵盤に落ちるような音だ。さっきは真っ暗だった視聴覚室に今では照明がつき、そこから聴こえてくる。

 思わず駆け出して、教室の教科書も諦めようと思った時、ヘンな事に気付いた。


「このメロディーって確か……ヒゲダン? え? おかしくない? 怪談で出てくる無人の部屋のピアノのメロディーってショパンとかベートーヴェンのはずだよね!!」


 そう思うと怖さもトーンダウンし、視聴覚室へと向かった。そこには確か、音楽室で使わなくなったピアノが無造作に置かれてあったはずだ。窓からのぞくと、そのピアノの前に女子生徒が一人いる。ただし怪談の定番の長い黒髪の少女ではなくて、見覚えのある茶髪のボブショートだった。


――まりんだ!――


 瞬間、脱力した。と同時に苦手な相手という事を忘れて、部屋の扉を開けると一気に話しかけた。


「なんでこんな時間にこんな所でピアノ弾いてるのよ。怖いじゃない!」


「やっぱ沙都子ちゃんだったんだ。前を行く子の後ろ姿が沙都子ちゃんに似てるなって思ったけど、ズンズン先に行くんだもん。独り言とか言ってるし。私、二学期の整備委員、無理矢理ならされたから、掃除を週二回しててさ。それでこの際、ピアノを練習して上手くなりたいって思ったの」


「思った? どうせあんたの事だからとっさの思いつきでしょ? 楽譜もないじゃない」


「知ってるメロディーを鍵盤で探して弾いてる」


「あきれた。そんなんで上手くなれると思ってるの? あんたって本当に十年前、学習発表会できらきら星を弾いた時から変わってないのね」


「きらきら星?」

まりんは首を傾げた。


「あんた、憶えてないの?」


うわ! この子、まじで忘れてるんだ。忘れられるのね、自分の失敗した事。


「沙都子ちゃん、今日のお昼休み、なんか私、気を悪くさせたみたい。ごめん」


「なんで腹が立ったか分からない相手に謝られてもうれしくないよ」


「台風で飛ばされた鶏の事を話したのがいけなかったんだよね?」


「どうせ、あの後、気難しいヤツだって噂してたんでしょ、私の事」


「私は言ってないから」


――ばか正直なコ!――

「でもあんたの仲間が言ってたんじゃない。もういいわ。私、そんなの無視するよ」


「そうよ。気にする事ないよ」


「まりんが言うな!」


「久しぶりに聞いた。沙都子ちゃんが『まりん』って呼ぶの」


「だってまりんでしょ? 名字が別所なんて呼びにくいからよ」

 心がチクッと痛む。それも、まりんを相手にするのがイヤになる理由だ。



「沙都子ちゃん、言ったでしょ? 『鶏たちがどれだけ怖かったか想像できる?』って。

私ね、自分なりに想像してたんだよ、鶏の気持ち。確かに怖かっただろうけど、きっと鶏にとってすごい経験だったんだろうなぁって。飛べない鳥が飛んだんだもん」


「そっか。あんたはきっとそう考えるよね。だってまりんは飛んじゃう鳥だもん」


「飛んじゃう鳥?」


「そうよ。外国のマンガとかでよくあるじゃん。飛べないクセして、飛べるとかん違いして間違って飛んじゃって、そして落ちる鳥。あれよ」


「かもね」


「何、納得してんのよ。めてないから。でもうらやましいかもね、ある意味。勇気あるもん。きもすわってるよ」


「勇気? 私にある?」


「まりんにはあるよ。私にはない。飛べない鳥だから必要ないの。

考えた事ある? 飛べない鳥に勇気は要るか? いらないよね?」


「そんな事ないよ。じっとしてて勇気あるって場合もあるよ」


「あるかぁ? そんなの」


「あったじゃん。、ほら小三のドッジボールよ」


「何? その細かな記憶。憶えてるわけないでしょ?」


「え! 憶えてないんだ……」


「日常の事なんていちいち覚えてないよ」


「だけど沙都子ちゃんが私の前から動かなくって代わりにボール受けた時だよ」 


 突然、ぼーっとした記憶が強い輪郭を持って、記憶の中から掘り起こされた。そう言えば、ドッジボールをしていて、ボールの直撃を受けて倒れた時があったっけ。保健室に運ばれた時だ。なぜあの時、あんな事になったのか、理由があったような。いや、元々体育が苦手な私だから、理由なんてないか。


「あの日、みんな、私を狙ってボールを投げてたの。それで須崎さんが私めがけてボールを思いっ切り投げた時、前に立ちはだかった沙都子ちゃんに、もろ当たったんだよ」


「私が運動神経鈍いからよ」

 違う。みんながまりんをいじめて楽しんでるのをみて腹が立っていたんだ。あの頃、女子の中でまりんがウザいって共通認識ができてた。私は自分ではまりんをうっとおしいと感じながらも、そんないじめみたいなやり方には反感を感じてた。


「違うよ、私をかばってくれたんだよね? だってその前から私がみんなから陰口言われてたら、沙都子ちゃん言ってくれてたじゃない、『あんなの無視しなよ、気にする事ないよ』って」


「……ただあんたがクヨクヨしてるの見るのがうっとおしかっただけよ」


「沙都子ちゃんがケガして保健室に運ばれて、私、あの後、しばらくみんなから白い目って言うのかな、それで見られてた。悲しかったよ」


「なんでまりんが白い目で見られなきゃいけないの?」


「沙都子ちゃんがケガしたのは私のせいだって言うの。男子たちまで」


「バカね。そんなの無視しなよ」


「そうなんだけど、あの事件の後、沙都子ちゃんはすぐ転校して行っちゃったし、私のせいかなって感じてたの」


「バカね。うちの両親が離婚したから、私とママは引っ越さなきゃいけなかったのよ」


 そうだった。あの後わが家の事が大変で、クラスのやなムードの事とか、まりんの事とか、ドッジボールの事とか考える余裕もなく忘れていった。


 飛んじゃう鳥もタイヘンだったんだ。みんながウザがって悪口言ってる事、気にしてるようでもあり、それでいてマイペースなあのコは飄々ひょうひょうと平気みたいに振る舞ってもいたけど。



「そう。ずっと私のせいでごめんねって言いたかった。あと、私の中では、逃げずにボールを受けて勇気ある沙都子ちゃんってヒーローだった」


「勇気なのかな。ボール受けとめるのって」


 ボールばっか受け止めなきゃいけない時代があったもんな。両親の離婚前、離婚後。



 その時ポケットの中のスマートフォンが鳴り出した。叔母さんからだった。

「もしもし……」


――沙都ちゃん、どしたん?

帰るの遅いから心配しとったんよ!――


「叔母ちゃん、大丈夫よ。学校に忘れ物したんだ。それで途中で引き返して、学校で友達に偶然会って話したりしたから遅くなったの。今から帰るからね。

いいよ、待たなくて。夕食、先に食べとって」




「家族が待ってるんだね。沙都子ちゃん、早く帰らなきゃ」


「あんたもね。あ、それから、まりん、今度ピアノの弾き方、教えてやっから、ちゃんと先生の許可とってここで練習しよ。ヒゲダンの楽譜も探しとく」


「やった! ありがとう! 何となく思い立ってここで練習してて良かった」


 それでまりんと鍵を職員室に返して、学校の近くの交差点で別れた。空は真っ暗だったけど、そこに散りばめられた星はいつになく青や赤にきらめいて見えた。私は心の中で、きーらーきーらーひーかーるーとそっと歌った。


 そして「じゃあね」と素っ気なく。


「うん。こんなふうに沙都子ちゃんと途中まで帰るのも十年ぶりだね。何かうれしい」


「そう? あ、それと……あれ、きっとキレイって思ったよ」


「何が?」


「風で飛ばされた鶏たち、海を見てキレイって思ったよって言いたかったの」



〈了〉

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飛べない鳥の見た海は 秋色 @autumn-hue

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