飛べない鳥の見た海は

秋色

〈前編〉

 小学五年生の時、近所の商店街の夏祭りで、大きな水槽に入ったビー玉の数を当てるゲームがあった。

 一番近い数を書いた人には、賞品として タブレットが当たると知って張り切った。

それで大体の水槽の直径と高さを推測し、容積を計算した。それに推測したビー玉の直径を割って……と色々してたら時間切れで、一等賞のタブレットは一つ年下の、足は速いけどあまり計算の得意そうでない男子に贈られた。ただの当てずっぽうで書いた数字が偶然ビー玉の数に近かったんだと自慢していた。

 私はただただ頭の中に残った幾つもの計算の残骸と青いビー玉の山をどうしていいか分からず、一人取り残された気分のまま。まるで終わってしまったパーティーに一人遅れて到着した気分だった。




 それから六年。


 クラスメートのまりんはその時タブレットをもらっていった男子――私の中では自分がもらうはずだったタブレットを横取りされたような気になっていた――に似ていていつもイライラさせられる。


 今日もいつもの仲間達と中庭でお弁当を広げてお喋りしている。離れた木陰のベンチで一人で昼食をとっている私にもイヤでも声が耳に入る。



「ねえ知ってる? こないだの台風の話。台風で南が丘町の養鶏場の鶏たちが三百メートル以上先のブルーパークまで飛ばされたんだって。飛べない鶏たちが初めて飛んだんだよ。どんだけびっくりしたかなぁ、鶏たち。ブルーパークの芝生で初めて遠くの海を見てビックリしたのかな? ねー?面白いでしょ?」



 イライラがつのる。


 まりんとは小学校の低学年の時同じクラスだった。それから私が転校して高校で再会するまでずっとその存在を忘れていた。いや、忘れる事ができていた。別に何かされたわけじゃない。

小学一年生の時、学習発表会で、みんなで「きらきら星」を歌う事になった。担任の先生が「オルガンでこの曲を演奏できる人は手を挙げて」と言った時、手を挙げた四人のうちの一人があのコ、まりん。


 演奏なんてもんじゃない。片手で鍵盤を探して叩いてっていうレベル。私はその頃はまだ両親の離婚前でピアノを習える余裕もあった。だから左手で複雑な伴奏をつけながら弾くこともできた。それでも完璧には弾けてないと自覚していたから手を挙げなかったのに。

 結局、先生に頼まれ、私も学習発表会では、他の四人とオルガンを演奏する事に。でもってやっぱあの子はモタモタ弾いて、みんなの足を引っ張った。思わず横からにらんだけど、気が付いていただろうか?


 最近、色々な事で心にさざ波が寄せ、苛立っている。この記憶は私に輪をかけた。



「ねぇ、鶏たちにとっては初めての旅でビックリしたよね、きっと。海を見てキレイと思ったかなぁ」



 イライラがピークに達する。大体こんな女子の意味のないお昼休みのダベリが苦手なんだ。今日の占いとか、パワースポットとか、無人の音楽室からピアノの音が聴こえてくるとか。


 私はそこで思わずキレて、まりんの声を遮った。


「あんたは鶏たちがどれだけ怖かったか想像できる?」


 あとにはあ然とした女子達。サンドイッチを手にして、呆気あっけにとられたまりん。またやってしまった。そうして私はいつも孤立してしまう。




 鶏たちがどれだけ怖かったか……私には分かる。飛べないのに風で全然知らない土地に飛ばされた気持ちが。

 なぜなら私は最近、母と二人暮しの生活から、母の兄である叔父家族と一緒の大家族での暮らしへと変わったばかり。

 叔父が祖父の死後、広い敷地にある屋敷を譲り受け、一家五人で移り住み、祖母と同居する事になった。そして、母子二人でアパート暮らしをしていた私達にも、一緒に暮らそうと声が掛かったのだ。それで久し振りに幼い頃を過ごしたこの町に戻ってきた。


 叔父は家族経営の自動車整備工場の工場長だ。お人好しで、家族は皆、叔父の意見を尊重し、私達母娘を歓迎してくれた。基本的に、細かい事を気にしない、あれこれ考えたりしない家族だ。


 私とは違いすぎてる。


 母は気丈に私を養うため、タクシーや送迎バスの運転手をして頑張ってきた。コミュニケーション能力もあって叔父さんの家族、つまり叔母さんと三人の姉弟いとことも仲が良かった。



 だけど私は自分との違いを乗り越えられなくて、気が引ける。これまでは食事もほとんど一人で済ませていた。だからみんなと過ごす朝食や夕食の時間が面倒。塾のある火曜と金曜は遅れて一人で食べるけど、そんな時でも誰かしら声をかけてくる。

「塾、どうやった?」とか、「一人で食べると詰まらんやろー」とか。


 離れが私の部屋となった。定期試験前、一人で勉強していたら、だんだん庭の辺りが騒がしくなって笑い声がしたかと思うと、従姉弟いとこたちが誘いに来た。

「沙都ちゃんも花火しない?」って。試験前だって知ってるのに無神経だけど、わざとじゃないからめんどくさい。従姉弟たちは試験前でも、私みたいには勉強しない事を知った。


 悪い事ばかりじゃない。急に降り出した雨が豪雨に変わったこの間の水曜日の事。もう社会人で近所に住む従兄が姪っ子と車で駅まで、迎えに来てくれた。叔父から言われたらしい。これまではちょっとチャラそうでお喋りな従兄弟が苦手だったけど、この時、助かったのは事実。

 今までなら雨が急に降り出した日は、誰も迎えに来ないから、一人図書館で雨が止むまで待っていたり、強行突破で雨の中を走って帰っていた。

 この日も強行突破しようと考えてたら、後ろから合図のようなクラクションの音がして、ぎょっとしていると従兄弟のお兄ちゃんが窓から顔を出していた。


 「沙都ちゃん、迎えに来たよ。不審者じゃないから。ミナトと楓も一緒だ」


「さと姉ちゃん、一緒に帰ろ」


「ありがとう……」


 窓から見える舗道には、さっきまでの私のように雨粒を気にしながら走る学生の姿がちらほら。


 こういうのが家族、こういうのが一家団欒いっかだんらんっていうのかな、と何だかフワフワした思いが胸の中に芽生える。でもやっぱり複雑。いきなり変わったいろんな風景。また奪われるんじゃないかって、つい身構えてしまう。


 クラスの女子達の前で爆発してしまった日の放課後、私は自己嫌悪に陥っていた。また一段と嫌われた事は間違いない。

 そんなウツな思いの帰り道、あと、一区画で駅に着くというところだった。「しまった、英語のリーダーのテキストを忘れた」と気が付いたのは。リーダーの授業では、席順に当てられ、和訳を言わされるので、予習が必要だ。だからいつも翌日の授業に備えて、夕食後に予習する事にしていた。


 仕方がない。これから学校に戻るとするか。


 学校を出る時はまだ薄青色で明るさの残っていた空に、今ではもう一番星が瞬いていた。


 この夏の感染症対策で部活は禁止となっていたため、校内はひっそりとしていて、人一人いない暗い長い廊下は何だか不気味に感じられた。

 いつもはクラスメート達の話す怪談を、どうせ作り話と冷ややかに聞き流していたが、その一番馬鹿にしていたような話ですら、思い出すのが恐ろしい。

 階段の踊り場にある古い鏡は夕暮れを過ぎると、月光仮面のようなライダーの姿が大きく映るとか。

思い出しただけで、その踊り場に向かう足取りは重く、全身が緊張しこわばって仕方ない。


「バカじゃない?私って。そんな事あるわけないじゃん」

 わざと声に出して踊り場を乱暴に小走りで、でも鏡は見ないようにして通り過ぎた。

 でもその時からふっと後ろに気配を感じる。追いかけてくる足音まで聞こえるような。

 ますます早歩きで歩くと後ろのどこかの部屋の戸が開き、閉じる音がした。誰もいない校舎で、そんな事あるわけ無いと思いながら、でも、もしこのまま今日を終えたらますますもやもやした恐怖心は続き、何年後までも憶えてそうな気がした。

 それで思い切って後ろを振り返った。

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