巫女さん 神藤彩乃の湧水ガイド

愛宕平九郎

巫女さん 神藤彩乃の湧水ガイド

 東京の郊外に位置する東久留米市は、昔から湧き水の多い地域として知られてきました。市の中央を横断します落合川流域の南沢地区では、一日に約一万トンの水が湧き出ておりまして、水辺の周りに豊かな森が広がっています。規模は小さいですが、クヌギやシラカシなどの広葉樹が生い茂る森の姿は、いにしえの武蔵野の面影を彷彿とさせていて、都内にいるとは思えない癒しの空間を私たちに与えてくれます。

 平成20年6月、この「落合川と南沢湧水群」が、環境省の「平成の名水百選」に選定されました。都内でも湧水を有する地域は多くありますが、これによって「水のまち東久留米」の名が全国に知れ渡ることとなりました。

 私は、その東久留米市に生まれ育ち、今も点在する湧水群の一地区を管理する神社の巫女をしております。


 巫女は巫女でも、アルバイト感覚で巫女をしている学生ではありません。母の代、祖母の代、そのまた……と代々受け継がれてきた家柄の末裔です。主な仕事は社務所での受付業務と境内の清掃、そして管理している湧水の広告宣伝活動です。せっかく都から「平成の名水百選」に選ばれたのですから、これを売りにして神社を盛り上げなくては勿体ないです。

 一族が集う宴の席で語られる話では、なんでも神社で管理している湧水が湧水として水が湧き出た……すいません、ややこしいですね。いわゆる湧水のの頃から手厚く祀っているのだとか。しかも、ここが湧水群の中でも一番古いとまことしやかに伝わっているのです。酒の席でしか口伝くでんがありませんけれども。

 一番古い湧水だけに、不思議な超常現象も体験できます。その現象は祖母の代でわかったことなのですが、当時はまだを上手く利用することができませんでした。しかし、私の代となった今はを利用して神社の存在感と収益を上げています。インターネットを利用した宣伝も始めてみようかと考えていたのですが、あまり知られて欲しくはないという年長者たちの意見で、この計画は流れてしまいました。それでも口コミだけで十分に効果はあるようなので、あまり欲を出してもいけませんね。今日も二組のお客様から体験の予約が入っております。


「すいません。予約していた佐藤ですが」

「はい、いらっしゃいませ、佐藤さま。お待ちしておりました」


 早速、ご予約の一組目がいらっしゃいました。事前の登録情報ですと、佐藤さんは文学を専攻していらっしゃる女子大生で、卒論の参考資料を求めに今回の体験をご所望のようです。卒論の資料集めで湧水のガイドを頼むなんて、なんて心の清らかな人なのでしょう。

 彼女の姿は勉学に励む生真面目な女子大生のイメージとは遠く、長髪をアップにして動きやすい服装を召した山ガールとでも言いましょうか。爽やかで快活なイメージしか浮かばない素敵な女性でした。私もまだ二十代ですが、彼女の眩しさには敵いません。


「ご予約の内容は、でよろしいですか?」

「はい。お願いします。すごく楽しみ!」

「ガイドを務めさせていただきます、神藤彩乃じんどうあやのです。よろしくお願いします。では、早速まいりましょう」


 神社で管理している湧水は二つあります。

 昔は名称などありませんでしたが、母と祖母が面白がって「過去の湧水」「並行の湧水」と命名しました。その由来は名の通り、から成り立っています。どちらも東久留米市(この神社の湧水がある場所)が起点となってます。なので、天下分け目の関ヶ原の戦いを見たいと仰られても、この湧水から岐阜の戦場へは行けません。あぁ、すいません……歴女の一面が出てしまいました。


 湧水から流れる細い沢を横目に上り、佐藤さんの所望する「過去の湧水」まで来ました。道の途中からは一般人の立ち入りを禁止としているので、仰々しい立札などはありません。沢を上った突き当たりに、小さな泉が静かに佇んでいるだけです。その泉の中心に湧水があります。私は専用の懐紙を取り出して、彼女に「何年前に遡りますか?」と聞きました。


「明治三十年頃というのは……大丈夫でしょうか?」

「はい、大丈夫ですよ。あっ、そうか。卒論のテーマは……」


 予約フォームの備考欄に「国木田独歩の『武蔵野』をテーマに卒論を書くので、当時の原風景を見てみたいです」とあったのを思い出しました。随筆『武蔵野』の作中に東久留米の文字はありませんが、隣接する田無(今の西東京市)や小平を逍遥しょうようしたと書かれてあります。当時の原風景を眺めるのでしたら、ここからでも十分に参考となるでしょう。

 私は筆ペンを取り出し、さらな紙の中心に大きく「遡」と書きました。続けて、右側の空いたスペースに「明治三十年」と書き足しました。具体的な日時も指定できますが、特に要望が無ければ今の季節で遡ることにしています。これで準備は完了です。投げやすいよう懐紙をクシャっと丸めて、泉の中心へと放りました。紙はスゥっと吸い込まれ、しばらくすると眩い光の筋が空へと上がりました。光の筋は跳ね橋のように私たちの方へゆっくりと倒れ、泉の中心から黒い鳥居が湧き出てきました。

 光の筋が安全な橋の代わりであることを見せるために、まずは私が先に足を乗せます。振り向けば、佐藤さんが驚いていました。それはそうでしょう、口コミばかりで本当かどうかも定かでなかった眉唾ものの超常現象を目の当たりにしているのですから。でも、さすがは今どきの女子大生です。目の前の出来事を受け入れるスピードは速く、徐々に強張っていた頬が緩んできました。目から好奇心という光が輝いています。私は彼女に手を差し伸べ「さぁ、こちらへ」と声をかけました――。


 鳥居を抜けた先は、私たちがいた景色と何ら変わりがありませんでした。まぁ、ここは木々に囲まれた泉と神社ですから、明治くらいでは大きな変化はありません。恐る恐る目を開けた佐藤さんも、この景色に「あれ?」と言うしかありませんでした。


「ここが……明治の東久留米……ですか?」

「はい。神社の辺りは、それほど変化が無いのです。ですが、ここを出れば舗装された道は無く、家もまばらで今の市内とは見違えますよ。少し北へ向かうと高台がありますので、そちらへ行ってみましょうか」


 ここからが、ガイドとしての真骨頂です。今まで何度も色々な年代を行き来していますので、ある程度は利用していただいた方々の要望に応えられるよう、変化に合わせた適切なアドバイスを差し上げることができるかと。随筆『武蔵野』の原風景を検証したくて予約をされたのですから、見晴らしの良い場所から当時の景色を眺めてもらうのが一番ではないでしょうか。

 私も『武蔵野』を読んだことがあります。確か原文の中に「武蔵野にはけっして禿山はない。大洋のうねりのように高低起伏している。それも外見には一面の平原の様で、むしろ高台の所々が低く窪んで小さな浅い谷をなしているといった方が適当であろう。この谷の底は、大概水田である。畑はさらに高台にある」というのがあった気がします。案内しました見晴らしの良い広場からは、それにあるような景色を眺めることができました。段々と低きにわたって見える水田と、その周りにポツポツと建てられた民家。遠くには広大な森林が広がっていて、現代に無い自然の色と匂いを感じ取ることができました。


「わぁっ! すごーい! これが明治なんだぁ!」

「ここから見えるのは南西の方角で、右手の奥に見えるのが富士山です。今よりも大きく見えますでしょう? 左に寄って正面に見える広大な森が、今でいうところの小平霊園ですよ」


 佐藤さんはスマホを取り出し、わぁわぁはしゃぎながら色々と撮影し始めました。気分が高揚するその気持ち、すごく分かります。私も初めてこの景色を見た時は、同じような行動をとりました。

 ひとしきり撮影した後は、スマホから何かを呼び出して私に見せてくれました。それは『今昔マップ』という時系列地形閲覧サイトで、明治三十年の頃の古地図を見せてくれるものでした。画面には当時の東久留米市が描かれています。


「あの小平霊園のところ、ぴったり合ってます! この古地図だと、東久留米の辺りも南沢から落合川にかけて水田が伸びてるんですよ。『武蔵野』の中には書かれてないけど、地形の様子や水田の地図記号を見てたら、もしかすると東久留米の光景を表現してた可能性もあるかなって! それを卒論に書いてみたくて、この体験を予約したんです」

「まぁ! そうなのですね。そう言われると、私もそんな気がしてきました。すごいです! 独歩が実際に歩いたのは、玉川上水とか小金井公園の辺りっていう解釈もありますから、すっかり東久留米の南側ばかりだと思ってましたわ」


 どこがどうだと色々な解釈が成り立っていますけど、佐藤さんのような探究者が昔の武蔵野を実際に目の当たりにして新しい仮説を出そうとしているのが、私はとても嬉しく思います。超常現象の体験ガイドをやってて良かったなと感じる瞬間です。どのような卒論に仕上がるのか、出来上がったら見せてもらいたいくらいですわ!


 次の予約の方がいらっしゃる時間が迫ってきましたので、私は「そろそろ帰りましょう」とうながし高台を後にしました。佐藤さんの興奮は冷めやらぬようで、卒論の資料が増えたことよりも過去へ行けたという実感に酔い痴れているみたいでした。きっと「今度は別の過去を見てみたい」という好奇心にかられて、卒論の課題を終えた頃にリピートしてくれることでしょう。

 今回の体験料をいただき、お土産としてお付けしている「柳久保まんじゅう」をお渡ししました。江戸時代の頃から東久留米の土地で作られている希少な小麦を使ったおまんじゅうです。佐藤さん、またのお越しを!


 さぁ、二組目のご予約の方がいらっしゃいました。今度は「並行の湧水」をご所望でしたわね――。

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