戦場のオーケストラ

JN-ORB

戦場のオーケストラ

 二十一世紀も終わりに差し掛かろうとしている二〇九八年、アジア統一機構の一兵士として俺が働き始めて数年が経った。北ユーラシア連邦国がヨーロッパ連合国とアジア統一機構に挑発的な威力偵察行動を頻繁に取るようになり、世界が第二次世界大戦から数えて何回目になるかわからない、きな臭い空気で覆われ始めていた。


 北ユーラシア連邦国と陸続きになっている国境線沿いへの威力偵察へ対応するために編成された国境警備隊に、俺が所属している部隊が配備された。俺と同じ部隊の仲間たちは煙草を吹かしながら指定されたルートを巡回していた。


「なぁ、俺にも一本くれよ。」

「なに言ってやがる。支給されたカートンどうしたんだ。」

「とっくに吸いきっちまったよ。いいから一本くれよ。まだあるんだろ。」

「バカ言うな、俺だってコレが最後の一箱なんだよ、来月まで待てよ。」


 同期と俺でそんなやり取りをしていたところ、呆れた顔をした部隊長が同期に向かって煙草の箱を投げ渡してくる。

「お前ら、ちゃんと警戒しろ。仮にもここは前線だぞ。煙草はそれを吸え。銘柄についての文句は受け付けん。」


 渡された箱を見る。OCHIBAオチバだった。国内で一位二位を争うほど不味いと有名な煙草だ。そんな煙草を渡されて全ての感情が抜け落ちたような顔になった同期を見ながら俺は笑みを浮かべる。

 愛飲のCASTAROLLキャスタロールを吸い込み、同僚にかかるように紫煙を風上に吐き出した。恨めしそうな顔でこちらを睨みつけてくる同僚を横目に、携帯灰皿に吸い終わった煙草を捩じ込む。

 人のささやかな不幸を感じながら吸う煙草は美味い。存外、俺は性格が悪いらしい。



 そんなきな臭さでピリついた空気と、仲間たちとの下らないやり取りで生まれる和やかな空気が混在する国境線沿いで、今日も俺は仲間たちと偵察任務にあたる。

 偵察区域の端までついたとき、同じ偵察部隊に所属する同僚の一人が口を開いた。

「本日も異常無しっと。俺らが来てから威力偵察なんて一回もないな。…部隊長、警戒レベルが上がったせいで相手さんもビビってるんじゃないですか?」

 そんな軽口を叩く同僚に部隊長は気難しい顔をしながら注意する。

「気が抜けるタイミングが一番危ないって訓練で教えられなかったか?いつ何が来てもおかしくないんだ、気を緩めるな。」

「そんなこと言われましてもね、我々が来てからもう三ヶ月ですよ。三ヶ月もナンもないとさすがに気も緩みますって。」

 部隊長の言いたいこともわかるが同僚の言いたいこともわかる。さすがに俺も気が緩んできそうだ。



 そんな会話をした三日後の警備任務中、突然に空襲警報が鳴り響いた。


 見上げると、俺らが配備されている街に向かって二筋の白い線が空を走っている。




 遠くから砲撃音が聞こえる。そう遠くない場所からは銃撃音、悲鳴までも。体を揺さぶるような衝撃を含むものから、耳をつんざくような破砕音を伴うものまで、突如として現れたこの戦場では様々な楽器が鳴り響き、国境周辺に戦場の色を塗りたくっていく。


 部隊長はすぐにHQ司令部へ無線を飛ばし、銃声の聞こえる方へ部隊を走らせる。少しばかり走り、交戦中の偵察部隊と合流した。合流した味方とともに敵部隊の侵攻に対して遅滞戦闘を仕掛けながら街の近くにある防衛線へと後退しようとしたところ、街の近くの上空でさっき見上げた二筋の白い線ミサイルが街に配備されている迎撃ミサイルに迎撃され、爆発した。迎撃に成功したことに喜び安心を覚えつつ、防衛線まで損耗無く撤退した。


 防衛線に到着し国境線を越えて侵攻してくるであろう敵部隊を見つけんと警戒している最中、ふと街の方を見ると街の色が変わりつつあることに気付いた俺は同僚に声をかける。


「なぁ、がおかしい。」

「ん?……あぁ、確かにおかしいな。少し…いや、だいぶ茶色いな。」

「なんだろうな。」


 HQ司令部に確認をしてもらうように部隊長に無線で声をかけ、視線を防衛線に戻す。

 耳を澄ますとあたりからはうめき声や楽器の音が聞こえ始めている。

 異変は残念なことに街だけで起きているわけではないらしい、街の手前にあるここ防衛線にも出始めていた。そして、俺にも。






 近くにはスコップを一心に振るい、塹壕のような穴を掘る同期がいた。

 そんな彼を見ながら俺は胸ポケットから煙草を取り出し火を点ける。

「間に合いっこないさ」


 彼はスコップを振るう手を止めることなく、俺の呟きに答える。


「間に合うか、間に合わないかじゃぁない。これは俺の矜持プライドの問題だ。これで助かる矜持プライドがあるんだ、お前も掘れ。早くしろ。」


 うるせーよ。手遅れだよバカヤロウ。吸い終わった煙草を同期が掘った穴に投げ、もう一本に火を点け、紫煙を空に吐き出しながらあたりを見回す。


 阿鼻叫喚である。


 ここを開けろとドアを叩きながら叫ぶ部隊長。一心不乱にスコップで塹壕のような穴を掘る同期。涙を流しながら垂れる鼻水にも涎にも気を遣うことなく、地面に膝をつき空を見上げながら不気味に笑う後輩。早く別のところに逃げようと荷物を抱え走り出す非戦闘員。全員が全員ズボンは茶色に染まっている。




 先程迎撃されたミサイルに搭載されていたものの正体が判明し、メディアが騒いでいる。西側にある大国ウンダス帝国が生んだ鬼才、ボインスキー・ウッデルが開発したと言われている新型生物兵器だ。



 実験中に起きた小さな事故で研究所内の多数の人間が死んだ、そんな凶悪な爆弾らしい。

 ビルに張り付く大型のビジョンの中でニュースキャスターが脂汗をかきながら爆弾の名前を連呼している。


 その爆弾の名前は【イッヒホイテ=フンバランクト=モデッルウンコ】。


「一時間ほど前、首都を含む各都市にイッヒホイテ=フンバランクト=モデッルウンコが落とされました!イッヒホイテ=フンバランクト=モデッルウンコの影響範囲から大至急離れてください!!イッヒホイテ=フンバランクト=モデッルウンコが各都市に落とされました!!市民の皆様!すぐに都市部を離れて安全な場所に避難してください!!これはイッヒホイテ=フンバランクト=モデッルウンコです!!イッヒホイテ=フンバランクト=モデッルウンコが各都市にヴァッッブリュリュンヒルデッ!!!!!」


 画面が茶色一色になったかと思えば、すぐに緊急速報はカラーバーに変わった。カラーバーの下には白文字で各都市から山間部もしくは海抜の高いところに避難するようにとの案内が流れている。



 もう死んだも同然だ。



 そう独り言ちながら俺は茶色に染まった防衛線を後にした。俺のケツが奏でる豪快なラッパ音が止まらない。ビルに反響しオーケストラの一員として音楽を奏でている。


「きたねぇ音楽オーケストラだ」



 奏でられている音楽オーケストラは、最高に最悪だ。


 我々の矜持プライドは死んだ。俺の下半身も茶色一色に染まっている。


 同僚が必死に掘っていた穴は塹壕ではなく排泄用の穴で、上官が開けろと叩いていた扉はトイレのドアだ。全員が全員同じ状況なのに開くわけがないし間に合うわけがない。


 イッヒホイテ=フンバランクト=モデッルウンコ、命だけは奪われてはいないが、人としての尊厳を殺す、史上最悪の兵器だった。




 数日後、防衛線で国境警備の任務を変わらず続けている俺は、スマートフォンでとあるライブ配信を見ている。アジア統一機構は領土の一部を割譲するという条件で停戦協定が結んだ。アジア統一機構側の上層部は全員スーツのズボンのケツの部分が不自然に盛り上がり、軽快なラッパ音を鳴り響かせている。


 不自然な盛り上がりはオムツだろうな。そして現在進行系で漏らしているんだろう。


 俺はもう既に無駄な抵抗をやめて、毎日ラッパ音とともに茶色い物体を垂れ流しながら生活をしている。一体この量の茶色い物体クソはどこで生成されているんだろうか。街を染めるほどの量が出てくるんだ、オムツ程度で間に合うはずがない。出しても出しても出し終わる気配は無いし、どれだけ出しても体に不調が出るとかそんなこともない。ただただケツからラッパ音と茶色い弩級の量のクソが捻り出されてくる。


 今日も俺のケツからはラッパ音が鳴り響き、街のどこに行ってもラッパ音が聞こえない場所はない。



 戦場のオーケストラはラッパ隊だけで構成されている。

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