世界最終カレー論
菅沼九民
世界最終カレー論
──カレー星人来襲
突如各国の主要都市上空に現れたグレイビーボート型の飛行物体に、人類はなすすべなく制圧された。
グレイビーボートから降り立った異形の怪物たちは自らを「カレー星人」と名乗りアトランダムに各国の国民を捕獲した。
カレー星人が各国政府に要求したことは、「人類文明最高のカレーを作り提出せよ」ということだった。
各国の提出したカレーを捕獲した人質に食べさせ、その「満足度」を計測し、基準に満たなかった場合は人類を滅ぼす。
同類を満足させるに足るカレーを生み出せない文明に価値はない。
猶予は3ヶ月。
人類の存亡をかけた世界最終カレーの模索が始まった。
* * *
最初にカレーを提出したのはインド政府であった。
「インド立つ」
そのニュースに世界は安堵した。
カレー文化の祖。
すべてのカレーの父。
インドこそ世界の救世主だと誰もが確信した。
人類は初手で最強のカードを切った、と言ってよかった。
しかし、人類の最初で最後の希望は無惨にも打ち砕かれた。
捕獲されたインド代表が厳密なバラモン家系の人物であったからである。
これはインド史上最悪の失策であったと歴史に刻まれることになるのだが、インドは不覚にも何をトチ狂ったのかチキンコルマを提出してしまった。
インド代表は菜食主義を何世代にも渡って守り続けてきた家系の生まれであり、提出されたチキンコルマを口にすることすらできなかった。
仮に彼が彼の信条を破ってチキンコルマを口にしたとしても、カレー星人が納得するほどの「満足度」は得られなかっただろう。
* * *
インド散る。
それは地球におけるカレー文化の終焉を意味するかに思われた。
しかし、インド敗北の衝撃のいまだ消えやらぬうち、第二の巨人が立った。
イギリスである。
かつて日の沈まぬ国といわれたイギリスは全世界にカレーを広めたとも言われるカレーの伝道師である。
地球におけるカレー文化を一層発展させたのはイギリスであると言っても過言ではない。
救世主の名誉はジョン・ブルにこそ相応しい……。
そして料理によって世界を救うことでメシマズ国家という謂れなき汚辱を雪ごう。
紳士の国がカレー星人に挑んだ。
結果は惨敗であった。
しかしそれは時の運が、紳士たちに向かなかったからである。決してイギリス式のカレーの質が悪かったからではない。決してイギリス人の作るカレーが不味かったのではない。決して紳士が料理下手だったのではない。
虫歯だった。
虫歯だったのである。
提出されたカレーはイギリス史上最高と言える出来であった。
しかし食べたのが虫歯を患った男だった。
不運にも虫歯の治療中にカレー星人に攫われた彼は、今度はカレーを食べさせられるという憂き目にあったのである。
苦痛以外に1ミクロンの満足感も得られなかったことは言うまでもない。
余談だが、後日イギリスの提出したものと同じカレーを食べたという他国の外交官が語ったことには、「あれはカレーの匂いがする汁」だったとのことである。
* * *
巨星堕つ。
インド、イギリスのカレーが立て続けに破れていく中、極東のカレー狂国家、日本は何をしていたか。
会議をしていた!
「そもそもカレーとはなんだ?」
「カレー星人の言うカレーが我々の思うカレーであるという保証はない」
「カレー星人にとってカレーとは食べ物と同義なのではないか?」
「ハヤシライスを提出した場合どうなる?」
「むしろラーメンを人質に食べさせてもいいのではないか」
「ラーメンを出してカレー星人を怒らせたら誰が責任をとるんだ!」
「その時は内閣総辞職すればよろしい」
「ラーメン解散だ!」
会議は踊り一ヶ月が過ぎた。
その間にタイ、ベトナム、スリランカ等の有力なカレー国家が果敢にカレーを作ったが、揃ってカレー星人の合格を得ることはできなかった。
地球の命運は風前の灯火であった。
* * *
カレー星人たちは落胆していた。
天の川銀河に有史以来カレーを食べ続けている知的生命体があるという情報を得て遥々やってきたというのに、地球人のなんとお粗末なことか。
カレー文化を正しく発展させることのできる文明を求めて、カレー星人は宇宙を旅している。
カレーはその文明の価値を測る試金石である。
そもそもカレーを持たない文明にはカレー星人は興味を示さない。
優れたカレーを生み出す文明には敬意を払う。
しかし駄カレーしか作れない文明をカレー星人は蛇蝎のごとく憎んだ。
地球文明は今にもカレー星人の裁きを受けようとしていた。
何千年もの間カレーを食べ続けてきて、この程度か。
カレー星人が怒りの鉄槌をくださんとしたその時、最後のカレー国家がカレーを届けた。
* * *
杉山真司は目覚めると自分が拘束されていることに気づいた。
「なんだ……これは……」
さっきまで公園のベンチに座って求人広告を読んでいたのに、いつの間にか両手両足を冷たい金属の輪で拘束されて寝ていた。
「夢かな」
実のところ拘束される夢を杉山はよく見ていた。
上司の失態を押し付けられて職場を追われて以来、杉山はろくな夢を見ていなかった。
縛られる夢、追われる夢、崖から落ちる夢、海の底へ溺れていく夢。
将来への不安と閉塞感にさいなまれる日々を送っていた彼は悪夢を日常的に見ていた。
「最近は落ち着いてたのにな……」
数週間前、絶望の日々にちょっとした光明を見つけた彼はしばらく悪夢を見ていなかった。
しかしここに来てとっておきの悪夢を見ることになった。
杉山は目覚めようと体を動かした。
手足に食い込む拘束具の感覚が、これは夢ではないことを告げている。
もがいていると、なにかカツンカツンという音が近づいてきた。
杉山は音のする方に顔を向けて絶句した。
近づいてくるのは異形の怪物だった。
タコの頭に猿の体、足はトカゲか恐竜のように見えた。
怪物の足が床につくとカツンと音がした。
足には鋭い爪が生えていた。
「▲○ス▽✕◆○f▽!」
タコの口から金属が擦れるような音が出た。
杉山の耳には不快な雑音としか聞こえなかったが、何故かタコが自分に喋りかけていることが理解できた。
「お前の番だ!」
杉山の手足の拘束が解けた。
「▽ツ☓!□ァ◎◎∴!(たて!ついてこい!)」
杉山は立ち上がってタコについていった。
長い廊下を歩いていくと、部屋があった。
タコに続いて部屋に入ると真っ白な空間にポツンとテーブルとイスが置かれていた。
「ヘa●丿!(すわれ)」
異常な状況に杉山の感覚は麻痺し、恐怖も驚きもなくなっていた。
ただ深い絶望を感じていた。
小さな希望に触れて拭い去ったはずの絶望が、再び彼の心に満ちていた。
なんで俺ばっかり?俺が何かしたのか?
何万回と繰り返した問、問うことを止めたはずの無意味な問が、再び彼の思考を支配していた。
しばらくして、別のタコが何かを持ってやってきた。杉山の鼻をかぎなれた匂いがくすぐった。
「k∴▽(食え)」
杉山の目の前に皿が置かれた。
「なんだ、カレーじゃんか」
杉山は無表情に目の前のカレーライスを眺めた。杉山の様子を見た2体のタコは顔を見合わせた。
「5m◎❏c……(これはだめそうだな……)」
杉山はタコたちが何やら残念がっているのを感じながら、スプーンを手に取った。
こいつらは何がしたいんだろう。
俺を使って実験かなにかするのかな。
最後に何か食わせてやろうってことか?
最後の晩餐がカレーかあ……まあ、悪くはないか。
杉山はスプーンを動かした。
なんの変哲もなく見えるカレーを杉山は口に運んだ。ひとくち食べてやはりその辺のスーパーで買ったルウで作ったカレーと変わりなかった。
だが杉山の手は止まらなかった。
「やっぱりうめえなあ」
周囲のタコたちが何やら騒ぎ出したのにも気付かず。杉山はカレーを口に運び続けた。
「うまい……もっと食いてえなあ」
杉山はいつしか涙を流していた。
あの日、暗い部屋に差し込んだ一筋の光を思い出して泣いた。
差し出されたタッパーに入ったカレーを思い出して泣いた。
もう一度彼女に会いたい。
会ってあの日のカレーの礼を言いたい。
杉山が最後のひとくちを食べたとき、気づくと彼は元の公園のベンチに座っていた。
* * *
──数週間前
窓から差し込む日がやけに赤く見える。
男はビニール袋に穴が空いていないか確かめていた。
もう何度も水につけて確認したのだから、穴などあるはずもなかった。
一旦袋をおいて、ガスボンベの蓋を捻ってみた。
ガスの漏れる音がする、臭いは特にしない。
アドバルーン用だからかボンベはピンクに塗られていた。
念の為に35リットル入りを買ったが、さっきから何度も確認作業したせいで中身は殆どなくなっているような気がした。
ためらっているうちに日が暮れてきてしまった。なんだか気分が悪くなって窓を開けた。
どこからかいい匂いが漂ってきている。
隣人がカレーでも作っているらしい。
そういえば冷蔵庫に卵が残っているのを思い出した。
もう必要ないのに一昨日1パック買っていた。
その時には既に車にピンクのガスボンベが積まれていたのに。
男は窓を閉めた。
ビニール袋をかぶろうとして、なかなか口を開けられない。
手が震えていた。
ようやくビニール袋の口が開けて、男は頭からかぶった。
ボンベから伸ばしたチューブを首元からいれる。
ベルトで首のあたりを締めた。
あとはボンベの口を開くだけだ。
手が滑って開けられない。
何度がやっているうちに苦しくなってきて、ビニール袋を破いてしまった。
「やっぱり無理だ……」
ネットで調べて楽にいける方法を見つけたが、男は実行することができなかった。
「俺は生きることも死ぬこともできない……」
最早涙も流れなかった。
さっきまで差し込んでいた夕日は夜の闇に変わっていた。
──ピンポーン
男は飛び上がった。
幻聴かと思った。
──ピンポーン
幻聴ではなかった。
久しぶりに聞いたチャイムの音に彼は驚いた。
──ピンポーン……すぎやまさーん!
無視しようと思った。
しかし男はドアに鍵をかけ忘れていることに気がついた。
万が一ドアの前の人物が勝手に戸を開いたらどうなる?この部屋の惨状を見られたら?
男は玄関に駆け寄った。
扉を少し開けて聞いた。
「どなたですか?」
鈴のなるような音が返ってきた。
「すみませーん!隣の田中です!」
男は首すじを汗が流れていくのを感じた。
田中?そういえば最近そんな名前の女性が引っ越してきたような気がする。
廊下で何度かすれ違って会釈ぐらいはしたかな、ぐらいの記憶しかない。
「ど、どうされました?」
男はドアを半開きのまま尋ねた。
まさか自分が何をしようとしていたか気取られたわけではあるまい。しかしもしも、ということもある。
「実はー、カレーを作り過ぎてしまって……」
「カレー?」
「はいカレーです。よかったら少しもらっていただけませんか?実は私冷蔵庫をまだ買ってなくて……。それを忘れて鍋いっぱいに作っちゃったんです」
──おかしいでしょ?
そう言って女性が照れ笑いを浮かべているのを男はドア越しに感じていた。
「最近暖かくなってきましたからそのまま置いておくのも心配で……。あ、カレーお嫌いですか!?」
「あ、いや」
男はドアを開いてしまっていた。
「好きです」
「よかった!」
屈託のない笑顔。
男はあまりにも久しぶりに見た笑顔に眩しさすら感じていた。
「タッパーに入れてきたんです。これ、どうぞ!」
男は差し出されたタッパーを両手で受け取った。
「ああ……」
「タッパーはそのまま返していただけば結構です!ドアの前に置いておいてください!」
──それじゃ!
そう言って女性は帰っていた。
男はドアを閉めると鍵をかけた。
一人ぼっちの部屋で男はカレーを泣きながら食べた。
窓からは月明かりが差し込んでいた。
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