第32話 かごめうた


かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる

夜明けの晩に 鶴と亀が滑った

後ろの正面 だあれ…



夜中、布団にもぐりこみまどろんでいると聞こえてくる歌だ。



壁からなのか、枕の下からなのか、天井からなのかそれすらもはっきりとは分からない。気味の悪さに布団の中で固まっているうちに、いつしか眠りに落ちていることが殆どだった。


昼になっても残響のように歌が聞こえ、耳を塞ぐこともしばしばあった。隣人が大音量で流しているのかとも思ったが、実際住んでいるのは感じの良いご夫婦だ。それとなくかごめの曲の話を振ったところ「メロディーはわかるけど歌詞を忘れてしまったわ」と笑っていたから、彼らが流しているのだとは思えなかった。


嫌気が差す。


これが、マリッジブルーというやつなのか。来月には健太との結婚式が控えている。幸せなはずなのに、不安と苛立ちがひっきりなしに心に割り込んでくる。


…かごめ かごめ…


ふと口ずさんでみて少し寒気がした。




昔から不思議な現象に興味を示し、大学で民俗学や、様々な土地に根付く伝承話を学んでいる健太なら何か分かるかもしれない。そう考え、思い切って相談してみると、いたってまじめな表情で「かごめの歌の都市伝説は知ってるかい?」と返してきた。


笑い飛ばされるのではないかと思っていたから少しだけ安心する。


「色んな説があるんだけど、例えば、かごめは昔から水子のことを歌っているとされていて、これを歌うと眠っている水子を起こすという説がある。つまり、小夜子さよこには、ほら…」



健太の表情が曇ったのをみて、心なしか、おなかに鈍い痛みを感じる。なんと応えたら良いか分からず控えめにこくんと頷いてみせた・


 

私には、いや、私たちには水子が居る。



産みたかったけれど産めなかった、自分達が殺してしまったはじめての赤ちゃん。もう7年も前のことになる。高校生の自分達の軽率な行動は思いがけずひとつの命を生み出していた。


健太は高校を中退して働くと主張したが現実を見ろと猛反対された。就職活動を経て働き始めて分かる。妊娠や結婚にかかる費用がまかなえるような職に、中卒で就くのはとても難しい。そして母体である私の産みたいという希望も両親には届かなかった。大きなお腹で学校へいくつもりなのか、高校生のくせに出来婚なんて社会が見る目は厳しいぞ、と。  



結局、中絶するしかなかった。



自分達の無責任さが招いた事態なのだと何度も怒られたし、無理やり納得するほかなかった。それどころか近所に知れ渡ってはたまらないと諭され、結局、祀ってあげてもいない。水子が怒っているのだとしたら十分ありえる状況だった。産んであげなかった赤ちゃんが怒って、結婚に反対しているのかもしれない。そう思うと申し訳なさと悲しさで視界が滲んだ。



「あくまで都市伝説だから、実際のところは分からないけど…今から君の部屋にいってもいいかい?何か視えるかもしれない」



嬉しかった。



誰かが信じてくれて一緒にいてくれるというのはとても心強い。これならもっと早く相談しておけばよかったとさえ思った。


健太は時折、妙なものが視えたり聞こえたりすることがあるらしい。今までそんな経験のない私には詳しいことはわからないが、この歌が聞こえ始めてから不思議な実感が身に迫ってきている。



一緒にアパートに戻り、健太を部屋にあげた。今までもお互いの家を行き来して同棲してきたが、結婚後は彼の家に住むために部屋の中は引越しの準備でごちゃごちゃとしている。とても女性らしい部屋ではない。片付けてから部屋に呼べばよかったと後悔した。



健太はあまり気にしては居ない様子でソファーに座り、空中に視線を投げて何か考えているようだった。私は邪魔してはいけないと思っておし黙っていた。時計の針の音だけが響くような静かな時間が十分ほど経った頃、不意に健太が「ああ、そうか」と立ち上がった。


そのまま寝室に向かう健太を慌てて追いかけると、健太の背中越しに、灰色の人影が動いているのが見えた。私はこういうものをみるのは初めてで恐怖で凍りついていた。



 「大丈夫だよ」健太が穏やかに言った。



「水子じゃなかった、ここには遊女の霊がいるんだ。この土地はさ、昔はくるわがあったんだ。遊女は身ごもっても子を産めずに堕胎だたいするしかなかった。今みたいに中絶の医療技術があったわけじゃないから。廓の納屋に閉じ込められて、冷たい水に何時間もいれられて、最後には男衆に腹を棒で殴られて無理矢理…」



遊女のことは、小説やテレビで題材となったものをみたことがあるだけで、詳しくは知らない。健太の語る状況が生々しく脳に入り込む。




「わっちは縄で縛られ、赤子は血の塊となってわっちの足元に落ちんした。忘れられんせん。おなごでありながら、わっちには、子を持つことも許さりんせんのでありんすか」



背中を向けたままの健太から聞こえる声はいつの間にか女のものに変わっていた。聞きなれないこの口調は、演技しているわけではなく、きっと健太が彼女の言い分を聴くために憑かせたんだろう。恐ろしく気持ちはありながらも、不思議と彼女の静かな語りに耳を傾けてしまう。



「わっちはそいで果てんした。わっちは、産みとうした。ぬしも、赤子を産めなかったでありんすぇ、わっちと同じでありんす。辛かったでありんしょう。悲しかったでありんしょう。わっちは、ぬしに幸せになって欲しいでありんすぇ…



思わず、目頭が熱くなった。彼女の言葉を口にする健太の頬から涙が落ちるのがみえた。それは、健太の涙なのか、それともこの遊女の涙なのだろうか。酷い仕打ちを受け、怒りと恨みの塊になってもおかしくないだろうに。ここにたまたま居ついただけの私に、彼女はこんなにも美しい心をくれるのか。



恐怖は消えていた。自分の声が通じるのか不安になりながらも、気付けば健太の背中に向けて、そしてその先にいるはずの彼女に向けて声をあげていた。



「ありがとうございます。私、今度こそちゃんと母親になりますから。皆で幸せになれるように。最初の赤ちゃんのことも忘れないように」 



「こな、わっちの想い、わかってくれて嬉しい」



そういったあと、健太が膝から崩れ落ちるように座り込んでしまった。慌てて駆け寄ると、健太は汗を滲ませながらも微笑んで「大丈夫だよ」袖で頬を拭った。



「もう大丈夫だと思う。あの人は、ただ誰かにわかって欲しかっただけ。小夜子なら分かち合えると思ったんだろうね。さっき、かごめの歌には色んな説があるっていったけど、水子説のほかにもあるんだ。それが、夜明けの晩を迎えるまで男の相手をさせられる遊女の歌という説。いつ抜け出せるか嘆く間もなく、次の相手が後ろの正面に立っている、自由のない籠に囚われた鳥のような遊女の悲しい歌」




数日後、近くの寺で最初の子供と彼女を弔うためのお経をあげて貰った。遊女の霊がそれで満足できるのかはわからなかったけど、思いが少しでも伝われば、そんな気持ちでじっと手を合わせて祈り続けた。遅くなってしまったけれど、あの子もどうか次に生まれてくるときは、正しく生まれてこれるように。私たちのことは許さなくていい、だからどうか向こうでは幸せになってほしい。


「わっちは…ようやく成仏できんす。この赤子も共に」


そんな優しい女性の声が聞こえたような気がした。


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柔らかな怪異 伊月 杏 @izuki916

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