第31話 縁日の景色

我が家は祭りや縁日の夜には、夜店を出したり、付き合いのある店を手伝ったりすることが多かった。年に数度の縁日などその日限りの人達だと思っていたが意外と横のつながりも広く、毎年顔を見合わせていると馴染みの相手になるもので、そのうち店番を頼まれるようになった。



ある年の祭りで、私はお面売りの手伝いを頼まれた。大学の友達と遊びに来ていたところを捕まったのだが、薄情にも友達は「どうぞどうぞ」と私を引き渡して行ってしまった。



「じゃぁ、飯ぃ食ってくっから。その間頼まぁ。途中他のもんが手伝いにくっかもしれんが、好きにやらせといてくれ」



店主の爺さんはそう言うと提灯明かりの滲む闇に紛れていった。店先には子供に人気のキャラクターのお面が沢山並べられていた。どの時代も男の子は戦隊ものや変身ヒーローものに、女の子は魔法少女系に人気が集まる。この店も今流行のお面ばかりが中心だったが、ろくに売れもしなさそうな最上段の列に、ひょっとこやお多福が並べられているのをみつけた。


「お疲れさま」


後ろからふいに声をかけられた。振り向くとひょっとこのお面を着けた男が立っていた。蒸すような夏の夜にお面をしっかりかぶっていたので思わず訊ねた。



「お疲れさまです。お面してて暑くないですか?」

「慣れだよ、慣れ。ところで新しいお面、箱ごと補充してもらえるかい?」



そう言われて箱をのぞくと確かに残り僅かになっていた。指示を受け夜店の裏に停めてあるバンから箱ごと新しいお面を持ってきた。


店に戻ると先ほどの男が接客対応してくれていた。しかし様子が少しおかしい。親子連れなのだが母親が肩を震わせ顔を手で覆っているのだ。


男はお客に何か話しかけると子供を抱き上げた。抱き上げられた子供はお面を見渡し指差すと、男はそれを取って子供にかぶせた。母親はくしゃくしゃの泣き笑顔で「ありがとう」というと何度も振り返りながら提灯明かりの滲む闇に紛れていった。


それを見送った男はうしろでぽかんとしている私に向かって「あとよろしく」と一言残し夜店の裏の闇へと溶けていった。知り合いだったのだろうか。


再び店番に戻ると、忙しくはないが飽きない程度の感覚で客足は途絶えない。小さな子供にせがまれては親がお面を買い与え、売れた跡に新しいお面を補充していく。その繰り返しだ。


へえ、お面って意外と売れるもんなんだ。


ふと気が付くと最上段に並んでいたひょっとことお多福のお面がほとんど無くなっていた。おや、と思った。記憶を辿ってもそれらのお面を売った覚えはないし、かといって誰かが取ればすぐに分かる。しかも1個や2個どころではないのだから尚更気が付かないわけがない。


裏に備品を取りに行った隙に盗まれでもしただろうか?それともさっきの男性が勝手に持っていった?そうだとしたら店主が戻ってきたらどう説明しようと悩んでいるところへ「あの」と足元から子供の声がして指先を軽く引っ張られた。



「いらっしゃい」と言いたかったがその言葉は喉に張り付いて出て来なかった。



足元には青白い肌の子供がこちらを見上げていた。眼には生気のかけらもなく、掴まれている指はひどく冷たい。残る片方の手で最上段のお面を指差し「あれが欲しいの」と子供は言った。



…この子は生者ではない…



私の直感がそう告げた。下手に縁を作って憑かれても困る。かといって店の売り物を渡しても良いのだろうかと思いながらも少し震える声で「お面は1個300円だよ」と応えてみた。恐怖を顔に出さないように必死だった。


すると、ぎゅっと私の指を握る手に力を入り「お金、取るの?」と聞き返してきた。


恐怖だけが思考を埋め尽くした。「ねえ、お姉ちゃん」追い討ちをかけるように子供が返答を求める。半ばパニックになりかけたところへ「はいよ」とお面を渡す人物がいた。見ると店主の爺さんが戻っていた。お面を受け取った子供は喜びの声をあげて祭りの人混みに溶け込んでいった。



「すまんな、驚かせて」



爺さんはそう言うと冷えた缶ジュースを私に差し出した。お礼を言って受け取ったジュースは氷でキンキンに冷やされていて子供の手よりもよっぽど冷たかった。喉がカラカラになっていることに気づき、カシュと小気味良い音をたてて一気に飲み干した。身体に染み入るようだ。



爺さんは、買ってきたばかりのたこ焼きを机の上に広げながら私に向かって話しかけてきた。


「なんで祭りや縁日でお面を売ってるか知ってるかい?」

「子供が好きだから?ほら、流行りのアニメのお面とかあるし」

「ふぅむ、違うんだな」


そう言いながら爺さんは煙草を咥えて一息吐いた。



「元々はな、お面てなぁ能の代物でな。神や霊といったものを憑依させる依り代だったんだ」

「へぇ、じゃぁお祭りの元の神様を呼ぶためのものだったんですか?」

「いんや、それも違う。それを言うならまつりは祀りの字で表されるものになるが、こっちの祭りは人が楽しんでするほうだ」


「それじゃぁ、何のためのお面なんですか?」

「盆踊りがあるだろ」

「ありますねぇ」

「元々は盆踊りってのは全員お面を着けてやるもんなんだよ」

「いや、でも全員がお面着けたら誰が誰だか分かんなくなっちゃいますよ?」

「それが本来の意味なのさ。それでいいのよ。誰だか分からないから、その中に祖霊や家族の霊が居ても違和感なく紛れて楽しめる。そのためのお面なのさ。お祭りは人間が楽しむためのもんだ。そこには生者も死者も関係ないんだよ」



私はふと先ほどの母子を思い出した。あの男はきっと亡くなった家族だったのかもしれない。お盆に帰ってきて子供の成長を見に来たことに妻は気が付いたのだろう。だから泣きながらも笑顔だったのか。



「あ…!じゃあさっきの子供は」

「そう、だから怖がらずお面をあげればいいのさ。楽しんで来なってね」

「そういうことは最初にちゃんと言っておいてくださいよ!」

「んん?いやぁ、お前さん視えるかどうか知らんかったしなぁ。視えんもんに教えて怖がらせることもなかろう?」

「いや、そうかもしれないですけど…」




腑に落ちないでいる私をようやく友達が迎えに来た。


「ねえ、さっきすごい勢いで走っていく子みかけたんだけどさ、子供のくせにひょっとこのお面かぶってんの、なんか渋くて笑っちゃったよ」


どうやらさっきの子供は祭りを楽しんでいるようだ。



「おぉい、お前らもお面買ってけれ。最近はお面する人間が少なくなってあいつらも出にくくなってる。お前ら少しは手伝ってやれ」



店主の爺さんが声を掛けられ、なんのことかと訝しげな顔をする友達に「あとで話すよ」とだけ言い、お面を買わせてかぶらせた。



今日は祭りの景色が今までと違って見えるだろう。




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