地図の上の武蔵野
達見ゆう
地図の上の武蔵野
令和二年三月のある日、呼び出されて転勤が決まった。
新しい勤務先は武蔵野線など電車をいくつも乗り換えしなくてならない遠距離通勤になるので、私は渋ったが特段の事情が無い限り、拒否できない決まりなので承諾するしかなかった。
別に転勤自体は嫌ではない。この仕事には転勤は付きものだ。そして慣れてくると転勤先での名物を堪能し、休日には定期を使って途中下車して名所を観光するのも楽しみであったからだ。
武蔵野線ということは確か、路線が千葉から多摩地区、埼玉県を通る長い路線ということ。サッカーの日はサポーターが南浦和から東川口あたりに溢れること、新座には人参うどん、西浦和には豆腐ラーメンが名物ということくらいしか知らない。
これから武蔵野線にたくさん乗るから、次の転勤までにいろいろ調べて名所探索や名物を楽しもうと思っていた矢先、あの新型コロナウイルスと呼ばれる伝染病が日本にも上陸して瞬く間に蔓延した。
毎日のように新規感染者数が報じられ、転勤してすぐに緊急事態宣言が発令され、行動制限がかかってしまった。
正確には海外のような厳しいロックダウンではなく、「お願いレベル」だから行こうと思えば行ける。しかし、飲食店は軒並み閉店かテイクアウトのみだし、主だった施設は休館となったためどこにも行けないのと一緒だ。それに症状が出ない感染者というのもいるらしく、自分がそうだったらウイルスをばら撒くことになる。
テレワークができない業種なので、通勤の際にガラガラの武蔵野線に乗りながら車窓を眺めたり、スマホの位置登録ゲームをするくらいしかできない。
位置登録をすると場所を特定するために少しの間だけ地図が開く。その駅周辺の限られた部分だが、魅力的な名所が多いのが気になった。
スマホの小さな画面では分かりにくいので、家に帰った時にパソコンを開き、マップを開いた。そして武蔵野線沿いに動かしていく。
まずは北朝霞駅。ここで人が沢山降りるから乗換え駅なのだろう、と思ったら当たりで東武東上線の朝霞台駅が近くにあった。
少し動かすと自衛隊の朝霞駐屯地が出てきた。こうやって見ると近そうに感じるが、それなりに距離がありそうだ。こういうのは年に一度はお祭りがあるからきっとシャトルバスが出るのかな。行きたいが、この病が収まらないと行けないだろう。なんせ、人が密集するだけでも感染するリスクがあるという厄介な病だ。
スペイン風邪の時は収束に三年かかったと言うし、今の所に勤務している間に収まるのだろうか。
次に東所沢駅。何があるのかさっぱり見当つかなかったけど、近々KADOKAWAがミュージアムを開館すると聞いた。地図を見るとちょっと遠い。多分、バス移動かシャトルバスなのだろう。オープン日までにこの事態が収まればいいのだが。ワクチンも開発には時間かかるというし、今は封じ込めるしかない。
新秋津駅までスクロールしてみる。もはや何があるかよく分からない。今回の宣言でも『県をまたいだ移動は避けて』との呼び掛けに『秋津駅は所沢市と清瀬市と東村山市を駅内だけで二回も県をまたげる』とネタにされていたが、新秋津駅は東村山市にきっちり収まっているからそんなことはないようだ。じゃあ、ネタにしてSNSにアップしても恥をかく。あ、危ないところだった。
このまま、路線沿いに地図を動かす。新小平駅はよくわからない。トンネルに入ってしまうから乗っていても景色は真っ暗になる。トンネルということは高低差がある土地なのだろう。地図を開くと「下水道ふれあい館」なるものがあった。
下水道……?? なんか記憶にあるような? ポイントをクリックすると『本物の下水道の中に入れます』との口コミ。思い出した! ここは高校の時の社会科見学で行ったことがある。確かに本物の下水道の中に入れるのが売りだった。実際には激臭で文字通り息ができなかった。漫画やドラマで下水道の中に入って逃げるシーンがあるが、あんなところに入ったら臭いで気絶するか息したくないから走れなくてバテるのではないか? と思ったことがある。ここは、個人的にリピートするにはとても勇気がいる。そうか、小平にあったのか。
西国分寺駅周辺にある「姿見の池」。さっきの下水道とは打って変わってロマンチックな名前だ。きっと綺麗な池で、素敵な逸話か伝説にちなんでつけられたに違いないと想像が膨らむ。改めてポイントをクリックして簡単な説明を読む。一度は埋められたけど、復元したものらしい。埋めるなんてもったいない、復元するくらいならそのまま保存にできなかったのかな、とちょっとガッカリしたけど、続きを読む。
『遊女が姿をチェックするためにこの池を利用したことからこの名前が付けられた』
きっと、鏡のように綺麗な池だったのだろうからこの名前なのか。でも、外でチェック? 今のキャバ嬢の店外デートか同伴出勤でもあったのだろうか? 歴史に疎い私はそんなバカなことを思いながら、次の駅にスクロールした。
「北府中」ここはラグビーの街で有名な東芝本社だかがあるらしいが、府中刑務所がある。こんな事態になる前に、一度だけお祭りに行って刑務作業品を買ったな。確実に国産品という安心感はあるし。って、行き過ぎた。さっきの西国分寺駅付近にも気になる所がもう一ヶ所ある。そこへ戻る。
中央線の国分寺駅。正確には西国分寺駅との中間にあるのだが、ここにも気になる場所がある。「野川の源流」だ。川の源流なんてもっと山奥というイメージだから都内にあるというのがにわかに信じ難い。
タップすると企業の敷地内のため、年二回しか公開されないとある。残念、緊急事態宣言でなくても見られないという訳か。『見られる範囲は単なるドブ川』という身も蓋もないことが味気ない用水路と見紛う写真と共に書かれている。河川の整備って水質だけではなく見た目も大事だとつくづく思う。
そう言えばこの辺りは玉川上水など水に関する名所が多い。水源が豊富なのだろうな。
そのままスクロールして武蔵小金井駅に着いた。ここも気になる場所がある。「江戸東京たてもの園」地図で確認できるだけでも沢山の歴史上の人物の建物が移築されているのがわかる。「子宝湯」と銭湯らしきものがあるが、これは昭和六十三年まで足立区にて営業していた銭湯を移築して保存しているようだ。写真を見るとかなりレトロな作り。保存して正解だ。
博物館好きとしてはワクワクするが、残念ながら緊急事態宣言中は休業とある。当然といえば当然なのだが、ガッカリする。
これらの地図を見て、武蔵野を夢想する。台地と呼ばれるから地質学的にもいろいろありそうだ。水源が豊富そうだから地形が出来た経緯を想像するのも楽しい。
我慢すればこの事態も収束する。ワクチンだって二年くらいかかるというができるという探索するまでに間に合うといいなとこの時は思っていた。
しかし、新型コロナウイルスは予想外の速さでワクチンが出来た。治療薬もできた。しかし、ウイルスが変異を繰り返すため、なかなか収束しない。緊急事態宣言が慢性的に発令され、施設は短縮営業や休業を繰り返すため、なかなか行けないまま二年が経過して次の転勤が決まってしまった。次は関東でもかなり遠いところ。武蔵野台地からも外れた場所だ。
多分だけど、ここに再び赴任することはない。
「武蔵野を堪能したかったな……」
後ろ髪ひかれるように、そこを離れて私は新たな赴任地へ転勤するのであった。
地図の上の武蔵野 達見ゆう @tatsumi-12
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