『方言』『バカップル』
「菅谷くん、菅谷くん」
「はい、なんでしょう」
「スイッチ入ってるよー。戻っておいでー」
「あ……失礼しました」
福田さんの声で我にかえる。集中したら、頭が別世界に行って周りが見えなくなる。なかなか治らない癖だ。
「あはは、彼、仕事熱心なんで」
福田さんがからりと笑い、倉崎も固い笑顔で誤魔化している。ちょっと情けなくて視線を泳がせば、真ん丸な目をしたマネージャーが視界に入る。驚いたナマケモノが二度見してきたけれど、スルーする。
『彼女』ではなく『彼』という言葉に反応してるのだ。ナマケモノかと思っていたが、意外と聞いていたらしい。
明らかに女性と思っていたと語る表情を全力の天使スマイルで受け流す。
こんな目を向けられることは、残念ながら慣れてしまった。ほぼ無の状態で笑顔を貼り付け丁寧に否定するか、聞かなかったふりをすることばかりだ。
間違われても、心の中で諦めと嫌気が怠慢な動きで顔を上げるだけ。すぐにまた、もとの位置にうずくまるのだから放っておくしかない。
「三嶋さん、この前撮った写真あります?」
気にした様子もないIORIがマネージャーに話しかける。
心の中身を見せない完璧な仮面に感心さえ覚えた。
マネージャーは数度瞬きした後、妙に朗らかな声で、あるよあるよと椅子の横に置いた鞄を漁り始める。
「こちらに入ってます。お貸ししますね」
少し待てば、その言葉ともにコンパクトディスクが出てきた。
マネージャーから福田さんへ渡る。
福田さんから受け取ったディスクをパソコンを持つ倉崎に渡そうとして、彼女が受け損ねた。
カシャン、と軽い音が部屋に響く。慌ててしゃがんだ倉崎はディスクに気を取られて今度は頭を机の角に打ち付けた。
喜劇だろうか。
彼女はクラス委員のようにしっかりしているのに、たまに思いもよらぬ小さな失敗をする。その時と同じように、いや、未だかつてないぐらい赤らんだ顔で、丸いつり目が潤んでいた。
「大丈夫?」
自分よりも先に対面から声が飛んだと思っていると、IORIがこちら側に来ていた。瞬間移動でもしたのか。
倉崎はだいじょうぶです、と震える声で唸る。
自分にしか見えない位置でIORIが顔を上げた。その瞳は先日のようにキラキラと輝いている。
瞬時に悟った。すました顔が仕事用で、この顔が素か、と。とんだ二面性だ。
目だけで、この子可愛いね?!とアピールしてくるのは止めてくれ。どう反応すればいいものか悩むし、仕事の話を早く終わらせてくれ。できれば、こんなイケメンと関わりたくないのだから。
「めげてない?」
「めげてなさそうです」
めげて、なさそう?
IORIは倉崎の心配をしたのに、倉崎は自身以外のことをめげてないと言っている。返事が可笑しいだろう。
いや、でも、IORIにも倉崎にも通じてるということは、一般用語なのか。もしかして、若者言葉か。
……待て。そんなに歳を取った覚えはないぞ。わかりみも、はにゃも、ぴえんも、メンブレもわかるぞ。
ほら、マネージャーも福田さんも狐に摘ままれたような顔をしている。
待て待て。彼女らは最先端の流行を追ってるはずだ、この二人のおじさんも自分も時代遅れなのかもしれない。
「ディスク、めげてなくてよかったね」
IORIまで物が落ち込んでいるとか言い始めた。
自分の頭の中でおじさんの文字が迫ってくる。そうか、こうやって歳を感じていくのか。まだ、ぎりぎり二十代だと若者気分だったけど、それこそがおじさんへの第一歩だったのかもしれない。
「先輩、すんごい顔してますよ」
倉崎が小さな声で指摘してきた。
IORIも心配そうにこちらを見ている。
おじさんだろうとなかろうと、無知は解決した方がいいだろう。後になって思うが、この時、仕事終わりに聞けばいいということがすっかりと抜け落ちていた。
たった四文字の言葉にショックを受けすぎていたのだ。
「ちょっと聞いてみるんだけど、めげてる、て何?」
二人が固まる。示し会わせたように顔を見合わせて、息を漏らした。
我慢はしているが、二人とも口元が震えている。
「私達、方言丸出しでしたね」
「そっか、『壊れて』て言わないと通じないか」
立ち上がり、楽しそうに笑う二人はどこの出身かで話が盛り上がっていた。どうやら、隣の県同士らしく、地方の話題でテンション高く話している。
片や、まだまだ新人感が抜けず丸いつり目が猫みたいと可愛がられる倉崎。片や、若い世代の黄色い声を浴びるイケメンモデル。端から見ればバカップルも恥じらう程の仲良しぶりだ。
初対面なのに、恐るべし地元トーク。
若者言葉じゃないのか、と安堵している自分は、さぞ間抜けな顔をしているだろう。
時間押してるぞー、という福田さんの言葉で席につく。
その後は驚く程になめらかに仕事が進んだ。
IORIはマネージャーの言葉を汲み取り、それとなくフォローする。倉崎もメモを取りつつ、自信なさげではあるがいくつか提案を持ちかけていた。緊張は何処かに飛んでいったみたいだ。
サンプルができしだいメールで送ることで決まり、すり合わせはその時のスケジュールに沿う形で対応することになった。
打ち合せを終え、気が緩んでいる時にIORIは近づいてきた。周りに人はいない。
「この前はごめんなさい」
いきなりだったので、目を見開くだけで上手く返事ができなかった。
IORIは――以前、
ただそれだけのことなのに、CMのひとコマのように様になる。
「期待してますから」
世の女性を全員まどわせるような、はにかみ笑顔で言ってきた。しかも、こっそりと、自分だけが聞こえるように。
イケメンな行動に背筋が震えた。
自分の顔が女性側なのは知っているし、生まれ持ったものだから諦めている。しかし、思わずにはいられないのだ。自分の顔がかっこよければ、こんな惨めな思いをしてこなかったんじゃないか、と。
こんな奴、友人知人なら絶対、避けて通るタイプだ。しかし残念ながら、この関係は仕事だ。避けて通れない。
だが、神様。ひとこと言わせてほしい。自分とコイツの顔をとり間違えてないか。
コイツ、あまりにもイケメンすぎる。
そのイケメン、お断りします! ② かこ @kac0
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