最終章 ボーダーライン②

「あ!」

 茉子が嬉しそうな声を上げる。

有紗ありさちゃん! 入って入って」

「こんにちは」


 遠慮がちな微笑を浮かべて入ってきたのは、中学生くらいの女の子だった。部活帰りなのか、大きなスクールバッグを斜めがけにしている。


 その顔を見た時、ガン、と頭を殴られたような衝撃を受けた。


「…え…?」


 肩を覆うストレートの黒髪。黒目がちの、おとなしそうな雰囲気の少女。


「あ、お兄ちゃん、紹介するね。この子は丸山まるやま有紗ちゃん」

 説明によると、茉子の仲間。同じアイドルが好きで、SNS上で知り合って、近くに住んでいるとわかって急速に仲良くなったらしい。

「…そうか…」


 うなずく俺の顔は引きつっているはずだ。背中を冷や汗が伝った。そんなバカな、って思いが頭の中でぐるぐるする。吐きそう。


 だって俺、この子知ってる。


『城川先輩に妹なんていないよ?』

 七桜の言葉を思い出した。


 女の子は茉子の説明にほほ笑み、こっちに向けてぺこりと頭を下げる。

「はじめまして…」


 でもその目は笑ってなかった。崇史と一緒にいるのを見た、あの時と同じように。


「あのね、超偶然なんだけど、有紗ちゃんのお兄さんって、お兄ちゃんの学校のバスケ部なんだって。お兄ちゃんもでしょう?」

「…あぁ…」


 曖昧にうなずく。バスケ部だったのは中学まで。高校ではバイトを始めたから入部していなった。でもそのことは、茉子には話していない。


「なんかね、彼女のお兄さんが、お兄ちゃんのことをすごく心配してるんだって。それで今日、彼女が替わりにお見舞いに来てくれたの~」


 はしゃいだ声で言ってから、低い声でこっそり釘を刺してくる。

「お兄ちゃんのことを知ってても、仲良くしてくれるんだから! 愛想良くして!」


 俺は引きつった笑いを浮かべた。


「あ、どうも…」

「もーなんなの。有紗ちゃんがかわいくて照れてるの?」

「茉子ちゃん!」


 困ったようにたしなめてから、彼女ははにかむような笑みを浮かべた。


「あの、実は…バスケ部の皆さんが、茉子ちゃんのお兄さんがひどい怪我をしたと聞いて、すごくショックを受けたそうで…。無事な姿をひと目見たいって、下の公園まで来てるんです」

「え、そうなの?」


 驚く茉子に、有紗はうなずく。


「ごめんね。わたしがお見舞いに行く約束したって話したら、兄が自分も一緒に行くって言い出して、おまけに他の部員にも声をかけちゃったみたいで…。病室に大勢で押しかけるのは迷惑だってわたしが言ったら、『じゃあ公園にいるから、出てこられそうなら、ちょっとだけでも』って…」


 彼女がすまなそうに口を閉ざした時、俺のスマホが鳴った。

 有紗が「あ、お兄ちゃんかな?」と小首を傾げる。俺に、目でメールを読めと言ってくる。


「……」


 スマホを操作すると、知らない相手からショートメッセージが届いていた。

 このまま話を合わせて彼女と来いって内容だ。おまけに彼女と茉子と母親と、三人で撮った写真が添付されている。


 写真を送ってきた目的はひとつしかない。有紗は――〈西〉は、いつでも茉子や俺の母親を思い通りにできるって伝えるため。


「………」

 メールを見て黙り込む俺の横で、茉子がおずおずと口をはさんだ。

「ごめんね、有紗ちゃん。…それはダメなの」


「どうして?」

「うちのお兄ちゃん、その…もしかしたら〈西〉に連れてかれるかもしれないって、警察の人が警護してくれてるの。友達がここにお見舞いに来るなら平気なんだけど、本人が病院の外に出るのはダメだって言われてるの…」

「そうなんだ…」


 有紗は残念そうに顔を曇らせる。でもすぐに、茉子に笑いかけた。


「じゃあ茉子ちゃん、手伝ってくれる?」

「え?」

「窓の下に行って、そこにいる警察の人に、なんか話しかけてくれる? ここ二階だもん。お兄さん、窓から抜け出すことができるよ」

「えぇ…!?」


 茉子がこっちを見る。どうしようって感じ。


「――そうしてくれ」


 有紗を見据え、俺は意識してはっきり笑顔を浮かべた。俺の負けなのはわかったから。


「俺も、みんなに(、、、、)会って直接説明したいからな」

「でも何て言えば…」

「兄貴に会いに変な人が来たって相談するフリで、病院の正面玄関のほうに誘導しろ」

「…はーい」


 茉子はまだ迷っている様子だったが、俺の強めの指示を受けて、釈然としない顔をしつつも出て行く。


 横開きのドアが閉じたとたん、有紗(たぶん偽名だ)の微笑はスッと消えた。すぐさま窓際に寄り、カーテンの影から下の様子を確認しながら、抑揚のない声で訊ねてくる。


「ケガの具合は?」

「――――…」


 とりあえず茉子を追っ払えてよかった。でも今度は俺がヤバい。ヘビににらまれたカエルみたいな絶体絶命のピンチだ。ドクドクとこめかみが脈打つ緊張の中、無駄な抵抗を試みる。


「…服の中はまだ包帯ぐるぐるだし、傷もまだ完全には塞がってないし。動くのは無理だな」


 しかし有紗はビクともしない。肩にかけていたスクールバッグの中から、男物の着替えを取り出してこっちに投げてきた。


「着替えてください。車まで案内します」

「いや、だから…」

「カルテは確認ずみです。ナイフに刺された傷も、肋骨のヒビも、痛み止めを切らさなければ普通に動くのに問題ない程度まであなたは回復しています」


 下の様子をうかがいながら、彼女は事務的な口調で言った。


「それから、から伝言です。――時任七桜は〈西〉では英雄。彼女の命を救った見返りは多少あるはずだから心配するな、と」

「そうかよ」

「あと、榊亜夜人のところにも迎えが行っています。おそらく〈西〉で会えるでしょう」

「…けどあいつは、爆発のときの怪我で半身不随に――」

「だから?」


 有紗はこちらにひどく冷たい目を向けてきた。


「〈西〉にも車椅子はあります。ご心配なく」

(やべぇ…)

 こいつらホントにヤバい。《生徒会》も大概だったけどレベルがちがう。


 逃げろ逃げろ逃げろ。頭の中でアラームが鳴る。血の気が引いているのに心臓がバクバクうるさい。

 何か特別な訓練でも受けているのか。俺を監視しつつ外の様子をうかがう有紗の所作に隙はなかった。


「――――…」

 考えた末、俺はいかにも渋々、乱暴な動きで着替えた後、シーツの端をにぎりしめる。それから空いているほうの手で胸を押さえた。


「くっそ…。やっぱ動いたせいで血ぃ出てきた…」

「え?」


 シャツに血がついていては目立つ。とっさにそう考えたのだろう。有紗はこっちに近づいてくる。

「見せてください」

 充分近づいたところで俺は彼女に訊ねた。


「なぁ――あんたって、八木秀正?」


 唐突な質問に有紗がハッとする。その一瞬だけで充分。


「――――…!」

 俺はめくったシーツを彼女の首に巻いて全力で締め上げた。ベッドにうつ伏せに押しつけ、背中を膝で押さえる。


「今度は〈西〉に洗脳されて、政府の言葉を伝えるためだけに生きるなんて冗談じゃねぇ。だいたいホントに工作員を送り込んできてる国なんて信じられるかよ。普通にこえーわ!」


 彼女はもちろん、全力で抵抗してきた。苦しい体勢からくり出された肘が俺の胸を打ち、痛みで息が止まりそうになる。

「……っっ」


 けど何とか堪えた。動かなくなってからも、しばらく絞め続ける。油断は禁物。


 額に汗がにじむ頃、ようやく力を抜いた。その時、廊下から走る足音が複数近づいてくる。俺はベッドから降りてスニーカーをはき、急いで窓に向かった。窓枠に手をかけたところで、息を呑む。


「……!?」


 下でじいちゃんが、こっちを見上げてる。怒りも笑いもせずに、まっすぐに俺を見ている。


「美陵!」

 病室に飛び込んできたのは刑事だった。焦って再び下を見ると、じいちゃんの姿は消えていた。


(〈西〉は俺をあきらめない――)

 どんな手を使っても俺を連れ去ろうとするはず。たとえ刑務所に入っていたとしても。


 窓枠に飛び乗る俺を見て、刑事が慌てたように近づいてくる。

「美陵、よせ!」


(俺だってこんなことしたくねぇよ!)


 だけど拉致されるのはもっといやだ。もう絶対、誰かの意図で人形みたいに動かされるのはごめんだ。ただ――


 これからどうなるかなんて想像もつかないけど。自分のしたことのツケを払わなきゃならないのもわかってる。それにもう、この先のことに誰も巻き込みたくない。色々考えれば、どうしたってこうするしかない。


 こみ上げる涙を呑み込んで窓枠を蹴る。

 今度は自分の意志で一線(ボーダー)を越えるんだ。


「――――…っ」


 音が消え、重力が消え、一瞬の中に永遠を見る。


 絶対に優しくないはずの未来に向けて、俺は力のかぎり身を躍らせた。

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穢国の生徒会 チョコもなか男爵 @gudako

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