幽霊屋敷探検記(CLASSIC)

目々

幽霊屋敷探検記(CLASSIC)

 暇だよなあって言い出したのが吉澤。金がねえって答えたのが佐々木。もう駅閉まんぞって舌打ちしたのが宮島だった。


「やることねえならよ、ドライブと度胸試しにでも行くか」


 駅前のファストフード屋は十一時には閉まる行儀の良さで、街灯もロクに無いせいで、自分たちの使っているスマホの画面の光ぐらいしかまともな光源も無い駅広場。自然派だか何だか知らないが丸木をそのまま転がしたような簡素なベンチでだらだらとすることもなくたむろっていた、蒸し暑い八月の夜。どこを眺めても灰色の駅舎を見上げて、ぺらぺらで趣味の悪い鎖だか鱗だか分からないような柄シャツの五木先輩がそんなことを言うものだから、馬鹿な俺たちはその提案に一も二も無く飛びついたのだ。


※   ※   ※


「■■大学の方面にさ、神社あるだろ。あそこの周りに住宅街あるの分かるだろ。そう、芝生の庭に犬とピアノみてーな家ばっかりあるあたりだよ。格差社会だよなあ」

「あの辺りでよ、一軒規模が違え屋敷があるの知ってるか? 今は誰も住んでなくて、ツタだの草だの生え放題で見るからに幽霊屋敷! 廃墟! みてえなやつ」

「そこでよ、昔ちょっとデカい事件があったんだよ。俺ら産まれる前だから知らねえけど、結構大騒ぎになったやつ」

「土地持ちの資産家一家が住んでたらしいんだけどよ、何の不満があったんだか、息子が鉈使って家族全員皆殺しにしたんだと。息子は警察呼んでから、風呂場で喉掻っ切って自殺。んなホラー映画みてえな人死にがあったもんだから、どいつもこいつも気味悪がって関わろうとしねえ。以来壊すにも売るにもツテが無くって、住宅街の真ん中でずーっとあのままなんだとよ」


 送迎車用スペースに堂々と乗りつけてあった黒のアルファードに乗り込んで、やたら古い洋楽が掛かるカーステをお供に先輩は饒舌に語った。全開になった窓からはべとつく熱風が吹き付けて、先輩がふかす煙草の匂いが甘ったるく車内に回る。

後部座席に詰め込まれた三人は先輩の語る心霊スポット譚に大はしゃぎで、口々に幽霊とタイマン張れっかなとか爪痕残してえよなとか血痕とかあるかなだんて馬鹿なことを言い交わしている。人数のせいで助手席に座った俺は何となく会話に参加するのも先輩に話しかけるのも躊躇われて、開け放した窓から夜に蕩けた信号機の光や無人の歩道を眺めている。


「あんまり乗り気じゃねえのか」


 カーステとエンジン音にぎりぎり紛れるかどうかの音量で、先輩が零した一言に俺はぎくりとして体ごと振り返る。先輩は正面を向いたまま、視線だけちらりとこちらに寄越した。


「責めちゃねえよ。眠てえなら無理すんな、帰るってんなら適当なとこで降ろしてやってもいいぞ」

「いや……初めてなんすよ、心霊スポットとか、そういうの」

「怖えか」


 先輩は顔を向けないまま、左目だけをぎゅうと細める。咥えた煙草からたなびく紫煙が風に乗ってまともにぶつかってきて、俺は煙の沁みた目を瞬かせた。

 ガキの頃から近所のよしみでつるんできた先輩だが、最近じゃ本格的にヤクザもんを始めたらしいと風の噂で聞いてはいた。それでも俺たちにしてみれば古い付き合いだし、別に何かしらを売りつけるとか金を巻き上げるとかそういうことはしない。明らかにカタギじゃない外見になろうが昔より痩せて笑い顔が険しくなったとかそんなことはうっすらと気付きながらも、明確に拒絶するのも筋が違うだろうとそのままの付き合いを続けている。その程度のことは、憧れの五木先輩と疎遠になる理由にはならない。

 悪そうで、気分屋で、冷たい。そんな無法者アウトローな佇まいに、ガキが憧れるのは当然だ。


「──怖かないですよ。何なら先頭行きましょうか、俺。スマホで照らしますよ充電あるし」


 口を突いて出た虚勢に、先輩は少しだけ目を見開いてから、


「じゃあ先鋒頼むわ。どうせあいつら現場行ったらビビるだろうしよ」


 馬鹿だねお前と煙交じりに吐き出された言葉に、俺は聞こえなかったふりをしようと目を逸らした。


※   ※   ※


 どごんと鈍く大きな音を立てて、佐々木が蹴り倒した揺り椅子が絨毯の上に倒れ込む。すぐ近くで箪笥の引き出しを放り出しては中身をぶち撒けていた吉澤が嫌そうな顔で振り返って、危ねえだろと至極まっとうな抗議の声をあげた。


「何ビビったの? ビビったのヨっちゃん?」

「危ねえってんだよバカ。人の真後ろで重てえもん倒して遊ぶなよ」

「バイトの品出しみてえな真似してるくせに真っ当っぽいこと言うなよな」


 幽霊屋敷の裏庭に回り、足元の芝生の残骸じみたものを踏みつけながらうろつけば、勝手口があったであろう場所には薄いベニヤ板が申し訳程度に張られているばかりで吉澤が二三度蹴りつけるだけであっさりと破れた。

 俺は車内での宣言通りに先導役としてスマホを掲げながら屋敷の中へと侵入したのだけども、進めど歩けど照らせど怪しいものの気配も音も無い。ただ土足で俺たちが床に散乱した小物やガラス片のような得体のしれないものを踏みつけたときに存外に大きな音が鳴るばかりで、自殺現場と期待した浴室にも血痕どころかめぼしいものは見当たらず、ゴミの一つもない片付きぶりに拍子抜けするばかりだった。二階への階段を上るときこそ少しだけどきどきしたが、どちらかといえば老朽化しているであろう階段がこの大人数で抜けたりするんじゃないだろうかという恐れの方が大きかったことは否定できない。


 そうして登った二階もさして面白そうなものは残っていなかった。小難しそうな本がぎっしり詰まった本棚が埃に塗れて壁際にあったり、妙に豪奢な枠に縁どられた大窓の側に置かれたエレクトーン・ピアノに開かれたままの楽譜が掛けてあったりするくらいだろうか。家族の誰かしらが生活していたのだろう和室も箪笥や鏡台などのありふれた家具がひっそりと鎮座するばかりで、窓から入り込む月光とスマホのライトに照らされた室内には血痕はおろか鼠の死骸ひとつ落ちてはいなかった。


 結果落胆した吉澤と佐々木馬鹿二人が憂さ晴らしのように何のひねりもない破壊行為を始め、宮島は馬鹿どもに呆れて他の部屋を物色しに行ってしまい、五木先輩は和室の壁に凭れて、煙草を燻らせているばかりだ。


「先輩、本当にここ惨殺事件とかあったんすか」


 引き開けられたそこここから内臓のように衣類を溢れ出させた箪笥を前にして、ぶちまけた薄汚れた布切れを面白くもなさそうに蹴飛ばして吉澤が問う。その傍らで蹴り倒した揺り椅子に座り込んで、佐々木が同意の声を上げた。


「そっすよ、幽霊どころか血の一滴もないじゃないですか」


 思ったより壁も綺麗だしと言って、佐々木は周囲の壁を見回す。

 一階は壁に所狭しとスプレーによる頭の悪そうな落書きが溢れ、そこだけ見るならば如何にもな心霊スポットの光景らしくてテンションが一瞬上がった。だが二階の壁はまったく綺麗なもので、障子や襖がおざなりに割り破られているくらいしかそれらしいところはない。電話機もガラスケース入りの人形も木枠に入れられた日焼けて真っ白になった家族写真と思しきものも、ただひっそりと置かれているばかりで何の異様さも見つけられなかったのだ。


「事件はマジだよ。年寄りに聞くか図書館行って地元の新聞漁ってみろよ、ちゃんと載ってっからさ」


 気の無い様子で煙を吹き上げながら、先輩は答える。それでも不満げな二人の様子に気付いたのだろう、少しだけ床に目を落としてから、


「そもそもだな、そういうことを俺に言われたって困る。先様だって気分じゃねえのかもしれねえだろ」

「気分ったって……俺らだって困ってんのにそんなわがまま言うんすか死人が」

「完徹明けで寝倒れてるときに人入ってきたくらいじゃ眠てえ方が勝つだろ。逆撫で具合が足りねえんじゃねえのか」


 挑発がヘタなんだよという先輩の言葉に、佐々木と吉澤は顔を見合わせる。


「結構頑張ってません俺ら。器物損壊してますよ」

「……壊すものがヌルいんじゃねえのか」

「箪笥って規模デカくありません?」

「サイズじゃねえか。頭使え」


 心に迫る破壊活動をしろと言って、先輩はそこで俺をじっと見る。気付けば部屋中の視線がこちらに向けられていて、俺は唐突に振られた指示に動揺する。先輩は俺の動揺を見透かしたように、ゆっくりと諭すように言葉を続ける。


「椅子蹴倒そうが箪笥荒らそうが、そもそも大体の家具はただの道具だ。思い入れのある、拠り所になる、そういう大切なものに手を出さねえと──挑発ってのは成立しねえんだ」


 分かるよな、と妙に優しい声を投げられて、俺は真っ直ぐ部屋の隅に置かれたチェストの前に向かう。うっすらと埃が積もった板の上から、日に焼けて顔も定かではない人々の写真が飾られた写真立てを払い落とす。

 ことんと思いの外軽い音を立てて転がったそれを、俺は躊躇なく踏みつける。めきりと足の下で薄いガラスが砕けた音がした。


 その瞬間絶叫が夜闇を裂くように響き渡り、俺たちは息を呑んだ。


「……今の、宮島か?」

「この部屋じゃねえから、そう、だよな」

「見に行くぞ。何かあったかもしれねえ」


 早く来いと凄味のある声でどやされて、俺たちは慌てて先輩の周りに集まる。先輩は二人をじろりと眺めてから俺の方を見て、


「ライト。先導しろ」


 そう言って俺の肩をぽんと叩き、咥え煙草のまま笑うように口元を歪めてみせた。


※   ※   ※


 和室から廊下へ戻れば、先程と変わらぬ様子の廊下が目に入る。とりあえず同じ階の別の部屋を探すべきだろうと考えて見回せば、少し離れた廊下の突き当り、右手奥の部屋の扉が半開きになっているのに気付いた。


「あそこに入った……?」


 佐々木の呟きで目標地点が決まったようで、先輩が苛立ったように煙を吐く。俺はスマホを高く掲げて、のろのろと無理矢理に歩を進める。


「虫かなんかさ、もしくは猫とか死んでたんだよきっと。宮島ビビリだからよ、きっとそれだって」

「腰とか抜かしてな、立てねえからさ、ほら悲鳴上げたからバツ悪いしさ」


 背後の二人が茶化すように喋る内容に縋るようにして、俺は半端に開いた扉の前で立ち止まる。背後の三人は黙りこくったままで、動く様子はない。先導役としては俺が室内に踏み込まなければいけないのだろうが、流石にじわじわと湧き上がる恐怖心が足を強張らせる。ノブに手を掛けたまま躊躇っていると、再び肩に手が置かれる。


「開けろよ。帰れねえだろ、これじゃあさ」


 穏やかな声にとてつもない焦りを覚えて、俺は自棄になって勢いよく扉を引き開ける。勢い余った扉が壁にぶち当たって盛大な音を立てたのにも構わずに、俺はその勢いのまま部屋へと駆け込んだ。


「宮島!」


 ぼろぼろになったカーテンは半ば脱落していて、月光が室内を照らしている。木製の箪笥と骨組みだけのベッドが置かれただけの、簡素な部屋だ。

 痩せた猫の骨のようなベッドの傍ら、壁にしつらえられた押し入れの戸に挟まれるような不自然な格好で倒れている宮島がいた。

 すぐさま駆け寄ろうとして、足がうまく動かずにつんのめるようにして立ち止まる。その瞬間ブレたライトが宮島の手先を照らして、俺は息を呑む。


 絨毯の上。倒れたままの宮島の指先が食い込んで残した溝がある。それが深々と絨毯に線を引いている。その線は徐々に長さを伸ばしている──つまり、


 倒れたままの宮島を引き摺り込もうとしているものが、押し入れの中にいるのだ。


 予想だにしなかった状況に、俺はぎりぎり倒れ込まないようにふわふわとする足に力を入れながら、駆け寄ることもできずに宮島を見つめる。宮島はぐったりとしたまま、絨毯に食い込ませた指先さえそのままに、ずるずると土嚢を引き摺るような音を立てながら、ゆっくりと押し入れに飲み込まれていく。


 助けないと。手を掴まないと。引っ張り出さないと。ぐるぐると同じ単語が浮かぶ度に、妙に冷えた頭の箇所から警報のように鳴り響く声がある。


 他人に構っている余裕があるのか。お前も逃げないと助からないんじゃないのか。自分の置かれている状況がそろそろ分かっているのだろう──。

 喚きたてる本能とささやかな見栄と非現実感による葛藤に、俺は浅い呼吸を繰り返してはずるずると押し入れの闇に飲み込まれていく宮島を見ていることしかできずにいる。

 腰から腹。胸元から肩口。そこまで呑まれてからは速かった。取り縋るように絨毯に食い込んでいた指先は微かに勢いに揺れて、暗がりの中に飲み込まれていった。


 絨毯の爪痕以外は何も残っていない部屋に、淡い月明りが滲む。中途半端に開いたままの押し入れの襖は虚ろな闇を零すばかりで、宮島の残滓はどこにも見当たらなかった。


 目の前で起きた一部始終が信じられず、俺はふらつきながら後ずさる。数歩下がったあたりでどすんと生温かいものに肩が触れて、俺はその甘ったるい煙の匂いに振り返るまでもなく正体を知る。


「宮島、ダメだったろ。映画とか観ねえのかお前ら」


 心霊スポットで単独行動はいけねえよなと笑いすら含んだ調子の先輩の声がする。離れようとした途端に肩を掴まれて、膨れ上がった嫌な予感がそのまま心臓に流れ込む。どくどくと血が巡っているのに冷たくなっていく指先はまだ辛うじてスマホを握っている。


「……先輩、佐々木と吉澤は、逃げたんですか」

「佐々木はそこの戸棚の裏。吉澤は逃げようとしてたけど、連れてかれちまったよ」


 薄情もんは酷い目に遭うからなと諭すような先輩の呟きに重なるように、足音が聞こえる。ぎしぎしと階段を軋ませて、ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。


「上の連中はな、維持にはガキ三人も放り込んどきゃ大丈夫だろとは言ってたんだ。だから、お前が帰るってんならしょうがねえなあって済ませる気だったんだぜ、俺」

「先輩、あんた、誰から」

「俺も何だかんだで下っ端でさ、こういう真似もしなきゃなんねえのよ。役所連中ホワイトカラーは傲慢だよなあ、汚れ仕事は下請けにぶん投げとけばいいって思っていやがる」


 足音が廊下を軋ませる。べとべとと床に張り付くような音に交じって、微かに笛のような音が聞こえた。そういえばこの家の下手人は喉を掻っ切ったんだかと先輩の言葉を思い出す。先輩は嘘は言ってなかったのだなと、そんなどうでもいいことに感心した。


「悪いことしたとは思ってるよ。ついでに感謝もしてる。おかげで俺の仕事は済んだし、ここも一年は安泰だ」


 握り締めていたスマホが手から滑り落ちて、俺は未練がましく肩に置かれた先輩の手を掴もうとする。当然のようにやんわりと払いのけられて、縋る先を失くした腕はだらりと落ちる。

 足音はついに俺の傍で立ち止まり、ひゅうひゅうという異音は一定間隔で鳴り続けている。先輩は俺の肩口を掴んでいた手を放して、そのままゆっくりと靴音が遠くなっていく。


「じゃあな、逸希。あんがとな」


 軽い調子で投げつけられた一言に振り返ろうとして、再び肩口を掴まれるのと首筋にひやりとした刃が押し当てられたのはほぼ同時だった。

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