荒神さんの武蔵野ぬくもりうどん
美木間
荒神さんの武蔵野ぬくもりうどん
かつお節でしっかりとったおだしに、ひな鳥のひき肉にしょうがをすりおろしてふんわりまるめたお団子を浮かべて、大根の代わりにかぶをすりおろしてひと煮立ちさせて、巣ごもり卵を落としたらできあがり。
「お待たせ、鈴菜のスペシャリティ武蔵野親子うどん。あっついから気をつけて」
「わぁ、湯気にまでおだしの色が見えるみたい」
自称鈴菜専属試食人の
セミロングのまとめ髪をおおうバンダナの結び目をいじりながら、鈴菜はおそるおそる口を開いた。
「どう、かな」
「美味しい」
さらりと顔にかかる髪をかきあげて穂香は言った。
「それだけ」
「味がまとまってる」
「ほめてくれてるの」
「うん」
「その声のトーンは、なんか物足りないって感じだけど」
「鋭い」
「え、鋭いの、私、うれしい、じゃなくって、何が足りないの」
「それは、うーん、なんだろう。例えて言えば、野性味溢れる野武士には、なよやかな朝廷装束は似合わないって感じ」
「え、それって」
「ほら、だから、武蔵野のおうどんさんはむっちり飴色筋肉質じゃない、だからおだしががんばってまろやかに全体を包み込もうとしてるんだけど、はちきれんばかりのおうどんを抑えきれてないっていうか、具材も優しすぎるかな」
「そっか、なんかイメージは伝わったよ」
「よかった」
穂香はにっこりうなづくと言葉を継いだ。
「そういえば、武蔵野のおうどんさんは、つけ汁タイプが基本ではなかったかな」
「そうなんだけどね」
穂香の指摘に鈴菜はため息をついた。
年内いっぱいで店を閉めることになったと母から告げられたのは、鈴菜が大学二年の夏だった。武蔵野の一角萱原キャンパスタウンで昔ながらの自前の町食堂で腕をふるっていた父が一年前に亡くなってからは、母が一人で厨房をきりもりし、接客は昼時だけ学生バイトを雇って、あとは講義の合い間を縫って鈴菜が手伝いなんとか回してきた。
お客さんは地元の学生か教職員が多く、卒業や転勤で常連客になりにくいこともあり売り上げは常にぎりぎりだった。そこにこじゃれた内装でお得感のある和食のチェーン店の進出がとどめを刺した。スズナの母は、傷口を広げないうちにと店じまいを決めたのだった。
それにしても、いきなりの宣言で、年内いっぱいというのはショックだった。母も本位ではなかったようで、「閉店記念イベントで、地元ならではの食材で感謝の気持ちをこめたメニューを作ろうよ。もしこれがうまくいったら、もうちょっとお店がんばってみない」という鈴菜の提案をのんでくれて、その流れで新機軸の武蔵野名物うどんの試作に取り組んでいるのだった。
「若草うどんはどうかな。ほら、古典にも出てくるよね、若草。食材としての若草といえばよもぎだと思うんだよね。よもぎをいっしょにこねて作るには、あれ、青くさくなりそう。入れすぎないのがポイントだね。パスタでもあるじゃない、ほうれん草パスタ、タリアテッレ、クリームソースと合うやつ。そっか、温泉たまごを落とそう、それ絶対美味しいやつだね。よしよし、あれ、なんだろう、一つ一つは美味しいんだけど何かばらばら、味の印象がとんちんかん」
ひとり言で追いつめられてスズナは頭を抱えこんでしまった。
「煮詰まってますねー」
穂香は勝手知ったるふるまいで冬越し火入れの甘く濃厚なお茶をいれると、眉間にしわを寄せて考え込んでいる鈴菜の前に湯呑みを置いた。
「そりゃ、そうよ。この一品に店の今後がかかってるんだから」
「そっか、そうだよね、がんばれー」
いつもながらの気の抜けた声かけに肩の力が抜けてくれた。とは言ってもよい案が浮かぶわけではなかったが。その様子を察して穂香が提案をしてきた。
「んー、じゃあ、困った時の神頼みってことにしない」
「神頼みって」
「おうどん大好き
「それ、本気で言ってる」
穂香はこくこくとうなづいてにっこり笑った。
「火伏せの
知的で理性的なのに時々突拍子のないことを言ってくれちゃうのだ穂香は。
このままでは煮詰まりきるのは目に見えているので、鈴菜は穂香と一緒にこの辺りで荒神を祀っている「本家」と呼ばれる地主の所へ向うことにした。ハケの脇を過ぎヤマを成すこならとくぬぎの林を自転車で走り抜けて五分ほどで、茶畑の丘を借景にしたしらかしに囲まれた地主の豪邸に到着した。荒神さんを祀った神社がすぐ脇の道を入った所にある。
本家は広い敷地内に並ぶ蔵の一つを改装して郷土資料館として地元に開放している。そういえば展示物の一つに荒神さまの御供物飾りがあったなと鈴菜は思い出した。御供物は灯明に照らされた御神酒にうどん、足洗いのお湯といった素朴なもので、子どもの目には地味に映り、こんなごちそうじゃ神無月に出雲参りで往復する長旅の荒神さんが気の毒だなどと生意気にも思ったものだった。
二人は敷地内に自転車をとめると、せっかくだからと久しぶりに見学することにした。
館内の一角に武蔵野のうどんコーナーがあった。武蔵野で昔から食べられてきたうどんは、主食であるとともに「かて」すなわちおかずとしての役割も担ってきた。江戸時代から武蔵野は水が乏しく水田耕作はできなくて、畑作で雑穀や小麦が栽培されてきた。日常的にも食べられていたが、年中行事や神事儀礼の場でもふるまわられてきた。壁にはこのような武蔵野とうどんの説明がわかりやすく掲示されている。
説明のそばの一枚板の立派な調理台の上に、のし板、のし棒、こね鉢、まな板、きりだめ、すいのう、茹で籠が、うどん打ちの手順に並べられている。取り扱いに気をつけてください、との貼紙はあるが、触れないでくださいとは書かれていなかった。そこで、思い思いに触れてみた。鈴菜はうどんや小麦団子をすくう竹細工の手持ち網かごのすいのうを持ってみた。
「ラクロスしたくなった」
「お団子ラクロス」
「食べものを粗末にするもんじゃないの」
ふざけて言いながら鈴菜はすいのうを高く掲げた。
一通り見学してから二人は神社に向った。風情ある朽木の鳥居をくぐると境内に続く石段を上り始めた。石段の両側は夏の陽射しに青々とした草いきれがむんっとせまってくる。上りきると、別天地が開けていた。古びてはいるけれどよく手入れされている境内は、決して広くはないのに掃き清められて余分なもののない空間は時空を惑わすような気配に満ちていた。
二人は思わず顔を見合わせて居住まいを正すと、厳かな気分で進んでいった。蓋付きの竹かごにおさめた手打ちうどんをお供え台に載せて、新作メニューのアイデアをお願いしますと心の中でつぶやいた。それから御供物をさげてこちらも小さくて古いながらも清潔に保たれている社務所の受付の巫女さんに手渡すと神社を後にした。
「お詣りしてる間しかお供えしないから、荒神さん食べてるひまないんじゃない」
「このご時世、食べものは粗末にできないし、置きっぱなしは物騒だもの、皆さんで食卓を囲む時に荒神さんもきっとご相伴に預かるんじゃない」
「それ逆だよね」
指摘されて、珍しく穂香が、無言で目をしばたたいた。
「鈴菜、冴えてるー」
いつもながらののどかな口調で穂香が笑った。
「さあ、お詣りもしたことだし、帰って試作再開」
「そうそう、鈴菜はそうでなくっちゃ」
二人は店へと帰っていった。
すっきりした気持ちで店にもどると、準備中の札の下がっている入口の前に誰か立っていた。
すっと姿勢のいい気清かな雰囲気をまとった青年だった。長い前髪で顔立ちははっきりとはわからないが端正な輪郭をしていて藍染の作務衣姿が様になっている。ふろしき包みをを抱えている。
「まさか荒神さん」
「どこから見ても人間の好青年だと思うけど」
「願いが届いたから、荒神さんが人の姿になって降臨されたのでは」
「うん、それ、無理がある」
「無理を通せば道理は引っ込むって言うし、私の願いの強さが無理を通したんじゃないかな」
青年は困ったような面白がってるようなそぶりをみせてから、手にした包みを差しだした。
「これ、預かってきたんです。うどんの御礼だそうです。
ふろしきつつみから取り出された木箱には、あふれんばかりの
「きれい。えぐみがなくていい香り」
「傷みのない白いお肌。やさしく育ててもらったのですね」
「こんなに沢山、かえって申しわけないです」
独活の美しさに気をとられていた二人が声を合わせて顔をあげると青年はもういなかった。
「あれ、いつの間に」
「鈴菜、残念そう、もっと話したかったんだ」
「そういうわけじゃないけど」
「新メニューができたらまた会えるかもねー」
穂香の言葉に鈴菜は閃いたとばかりにしゃべりだした。
「うどの素揚げ。ごっつい地粉のおうどんさんに、繊細な地元食材のうどの素揚げ天を添えてみよう。からっとあがってて、しゃくしゃくっと音をたててほどけるの。香ばしく煎った武蔵野の畑の雑穀入り七味を添えて」
「地野菜を使った心尽くしのおうどんさん、早く試食したいな」
「了解」
するすると湧いてくるアイデアに荒神さんの御利益かなと鈴菜は心の中で感謝した。
その冬、武蔵野ぬくもりうどんを看板メニューに店がにぎわうことになることを、彼女たちは今はまだ知らない。
荒神さんの武蔵野ぬくもりうどん 美木間 @mikoma
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