墓地に響く音の怪 【掌編 3000文字未満】

蒹垂 篤梓

第1話 墓地に響く音の怪

 鬱蒼と蔦を這わせる板塀が周囲をぐるり取り囲む。

 倦み垂れた雲間に暗く滲んだ夕陽が沈み、そこだけを異様なまでに赤く紅く染め上げる。一葉も付けない枯れた樹木が黒々と影を映し、巨大な老いた魔女が堕ちる炎に祈りを捧げるようで薄気味悪い。

 頭上の空は既に宵闇を喰らい呑み、深淵の表層に僅かな星を瞬かせる。風はなく、生温かく、じめりと湿った黴と土の臭いに腐臭が混じる。


 墓場。

 朽ち崩れた墓標が彼方此方に散乱し、まともに形を残す物は寧ろ少ない。忘れ去られて久しく、長く捨て置かれた古い旧い墓地。人々が暮らし、働き、遊ぶ、街の最中さなかにこんな場所があるとは知る者も少なかろう。


 呼ばれたのは、そんな場所。

 呼んだのは誰だろう、知らない。 

 文面から滲み出る、卑屈で矮小で嫉妬深く、向上心の欠片もない癖に、自尊心ばかり人一倍高い、そんな屑の醸す芳醇な、芳香フレーバー。とても、とても、かぐわしい。


 そろそろか。

 ずりずりと何かを引き摺る音。

 腐臭がさらに鼻を突く。

 ずりずり

 ずりずり

 人の、カタチをしたモノ

 一見すれば普通の勤め人のようにも見えるが、着衣スーツに纏わり付く泥、ぎこちない動作、そしてずりずりと引き摺るモノは――、小脇に抱える靴が見えた。男物の革靴だろう。片方だけだが、底が全面こちらに見えている。彼が掴むのは足、人の足。ずりずりと引き摺る人の……、人だったモノの残骸。生きていないことは明らか。屍体を引き摺る……問題は、その男。

 怪我を負ったかのぎこちない動き、が痛がる素振りもない。ぎこちなく、淡々と。顔が見えた。

 表情のない貼り付けた能面がぱくりと割れる。赤い眼が切れ目の陰から爛々と、耳まで裂けた紅い口の、不揃いな歯。どさりと抱えていた足を下ろし、摘まみ食いでもするように指を一本捻りきりと、がりがりと囓る。

 餓鬼。


 目が合う。にたりと嗤うようにも見えるが、定かではない。噛み砕いた指を嚥下する。

「こんばんわ、好い夜になりそうだね」

 声を掛けるも返事はない。

 遺体は、二十代か三十代か、それとも四十代か。痩せてもないが太ってもいない。恐怖に見開かれた目の他に特徴のない、何度会っても覚えられそうもない外見の女性。

 捕食者の方は、三十代の男性に見える。汚れてはいても立派な身形、高価なスーツに撫でつけられた髪。それだけ見れば切れ者のビジネスパーソンと言われて疑わないだろう。その異常な嗜好を除けば。

「君はもう手遅れのようだ」

 こんどこそにたりと嗤い、「知っている」と応えた。

「おや、語る知能があるのか」

「当然だ。オレはかつて人だった。今も人として活動している」

 曰く、平日は会社に勤め誰よりも有能なのだそうだ。

「へえ。捕まらないと良いね」

「別に構わん。オレは最早コレしか喰えん。食を断たれて死ねるならそれでも構わない」

 なるほど。

「呪いかな」

「そうだな。誰が仕掛けたかも分かってる。死んでいたがな」

 それはお手上げだね。

「一つ忠告をしておくと、餓鬼にとって屍肉食は栄養じゃない。だから食べなくても死なない、死ねない。ただ飢餓感に苛まれ続ける。死ぬことも狂うこともできず、狂うほどの飢えに苦しみ続ける。僕はあまり羨ましいとは思えないね」

 同情を隠すことなく告げる。

「なるほど。気を付けよう」

 話ながらも、食欲を抑えられないのか、ぼきりごきりと骨を砕き、次々に咀嚼し嚥下し、総てを喰らい尽くした彼は、

「そろそろお暇させて貰おう。明日は朝から重要な会議があるのでね」としれっと言う。

 その頃には表情にも血の気が戻り、振る舞いも普通の人間と変わりない。これが本来の彼なのだろう。

「そう、じゃあ、お休み」

「失礼する」

 と男――餓鬼は去って行った。これはこれで、悪くない出会いだった。期待したものとは違うかもしれないが。


 さてこちらも帰ろうかと思っていたところ、

「何なんだアレは」

 とひねた青年が木の影から姿を現す。隠れてずっと見ていたのだろう。

「おや、来てたのか」

 嗤いが込み上げる。知っていたし、はなから来ると思っていた。自分は安全な所に身を隠し、人を使って正体を探ろうとするなど、中々の屑っぷり。流石に見込んだだけのことはある。

「見たまま、餓鬼だよ。ついでに言うと、君の相棒はソコだ」と地面を指す。先まで彼がいた辺り。食べ散らかした肉や血、骨の残骸が零れ落ちている。

「な」

 青年が息を呑む。見えてなかったのか。

「君が使いっ走りにしていた女性だよ。彼女に下調べをさせたり、実況的なことをさせて、自分は安全な場所からカメラを回していたんだろ」

 青年の手にあるカメラを指して言う。今もずっと物影から撮っていたのだろう。今更隠そうとするのも小物臭くて好い。

「一応、君からの依頼は果たしたことになるね。相棒さんの行方は突き止めた。残念ながら生きていはいなかったが、それは僕のせいじゃない。僕が依頼が受けた時点で彼女は死んでいただろうからね」

 青年の顔が歪む。さて、何を思うものか。

「復讐とかは」

「僕の仕事じゃないね。やりたければどうぞ。相応の危険はあろうだろうけどね」

 青年が自分の手にあるカメラに目を落とす。彼の話を聞いていたなら、やりようはあるだろう。どれだけ有効かは分からないが。


「アンタ、結局何がしたかったんだ」

「何、興味が湧いたものでね」

「興味、あのバケモノにか」

「まあ、それもなくはなかったのだけど、僕が興味があったのは――」

 刹那に距離を詰め、耳元でささやく。

「君だよ」

 ニタリと嗤う。

「彼はもう手遅れだったよ。バケモノの腐敗したココロは好まないのでね。僕が好きなのは、人間の、まだ人間に踏み止まっている、生々しく温かで、繊細かつ機微に富んだココロ、蕩けるように甘い愛情という欺瞞、欺瞞をめくって顕れる艶めかしくも脂ぎった愛欲、ほろ苦さに自己憐憫を混ぜた後悔の甘さ、認められぬ羞恥を隠す激昂の刺々しい苦みと辛さ、じわじわと滲み出る怨嗟の味わい深い甘苦さ、そういったモノが、堪らなく好きなんだよ」

 にこりとんでやる。

「喩えば、君のような」

 ヒッという喉の奥に圧し殺す悲鳴にもならない音を鳴らした彼は、正に正しく紛うことなく、美味しそうなご馳走だった。

「頂きます」

 合掌し手を伸ばす。逃げようとする彼に、

「心配なく。僕は餓鬼ではないから、彼と違ってニクには興味がない。君のココロだけを頂くよ」

 だから心配ない。死ぬことはないから。ただ、ココロはなくなってしまうけどね。


(。・_・)ノ

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墓地に響く音の怪 【掌編 3000文字未満】 蒹垂 篤梓 @nicho

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