覆面男 ~強行犯捜査~
醍醐潤
第1回
一
カーナビが目的地周辺であることを告げると、案内を終了させた。そのタイミングで助手席に乗車している
車を降りた二人は腕章を付け、帽子を被り、現場へと歩いて向かう。規制線の前で見張りをしていた制服警察官が早見と羽根田に気付き、黄色のテープを上げてくれた。
「お疲れ様」
T路地を右に折れると、所轄の強行犯捜査係長が二人に声をかけながら、こちらに向かって来た。どうやら自分たちのことを待っててくれたらしい。
「被害者の容態は?」
と、早見は訊いた。男性が一名刺された、とだけ報告を受けている。
「ついさっき、病院から連絡があって、死亡が確認された」
「亡くなったんですか……」
横で羽根田が残念そうな口調をする。
「救急隊が駆けつけた時には既に心肺停止状態だった。出血も酷かったから、亡くなることは想定はしていたけどな」
「現場は何号室ですか?」
「二階の二〇三号室。マンションの玄関入って右に行って。現場に行ける階段あるから」
ありがとうございます、強行犯捜査係長に礼を述べ、マンションの玄関へ二人は再び歩き始めた。
事件は今から約四十分前に発生した。東京都八王子市越野にあるマンション『パレオ堀之内』。ココア色のタイルが特徴の六階建てで、オートロックも付いている。
ここで午後七時四十五分、警視庁に110番通報がされた。
「夫が刺されて血を流してます」
すぐに最寄りの駐在所から警察官と救急隊が駆け付けると、リビングで部屋の住人の男性が胸から血を流して倒れているのを確認した。すぐに搬送されたが、結果は強行犯捜査係長からの報告通りだ。
そして、被害者を刺し殺した犯人だが、
「下着泥棒⁉︎」
早見と羽根田は、現場の部屋の前で部下から報告を聞き、反復した。
「はい。通報者で事を目撃した奥さんによると、夕飯の買い物から帰宅して、部屋に入ったところ、ベランダのカーテンの奥で、動く人影を見つけたそうです。それで、気になってカーテンをめくり、ベランダを見ると、目出し帽を被った黒ずくめの男に遭遇したと」
警部補二人より先に駆けつけていた、
「その目出し帽を被った人物は、下着を漁っていたのか?」
「丁度、干してあったブラジャーに手をかけていたようです」
「ベランダまでは、梯子か何かでよじ登ったんですかね」
羽根田がそう言った。すると、
「見ますか?」
鈴木は二人を部屋の中に案内した。現場の部屋は、2LDKで、玄関入って両隣は洋室になっている。現在、鑑識課による鑑識作業が行われていた。
リビングに血溜まりがあった。ここに倒れていたらしい。床が朱で染まっていた。鑑識が玄関から敷いたシートの上を通り、目的のベランダに出た。
鈴木が早見と羽根田の後ろで説明する。
「ベランダは後ろの路地に面しています。遮る物はその垣根だけ、更にこの下の部屋には倉庫があります」
「つまり、マル被は、垣根を突っ切り、倉庫をよじ登ってこの部屋のベランダに侵入したのか」
「その通りです。さっき、足跡担当が倉庫を調べたら足跡が見つかりましたので、入りはこういう経路と断定されました」
「窓は開いてたんですか?」羽根田の質問に鈴木は頭を縦に振った。「鍵をかけるのを忘れていたそうです。マル被は、その窓を開けて室内に入り込んで、逃げようとする妻を押し倒して、首を絞めました」
室内に入り、リビングの隣にある和室に行った。
「ここで妻を襲った、と」早見は指を差して確認すると、鈴木に訊いた。「通報者の名前は?」
「
「そういえば、なんで、蓮見大輝さんは刺されたんですか?」
羽根田が尋ねる。「蓮見茉奈さんが襲われた時、ここにいなかったんですよね」
「ちょうど帰宅したんです」
二人はすぐに察した。「襲われている奥さんを助けようと、目出し帽男と揉み合いになり、そして刺されたんです」
「妻の蓮見茉奈は今どこに?」
「白石部長がパトカーで話を聞いています」
白石志保は捜査第一課第二強行犯捜査殺人捜査第一係の女性刑事だ。被害者が女性である場合、聴取は女性刑事の担当となる。特に強制わいせつ・性交などのわいせつ事件は、必ず女子の担当だ。これは二次被害を防ぐ目的があるためで、女性にしか分からない傷付いた心に警察が深く寄り添う、その被害者を強く思う信念がここにも表れている。
部屋を退室し、一階のフロントロビーへ降りた。
「蓮見茉奈さんは無事だったんですか?」
羽根田がまた鈴木に訊いた。
「救急隊による、軽い治療を受けただけで済みました」
「逃げた犯人は?」
「蓮見大輝さんを刺した後、玄関から外へ逃走しました」
一階のエントランスまで来た。近くに管理人室で防犯カメラ映像をチェックしていた捜査一課の小島隼人巡査長がいたので、早見は手招きして、呼び寄せた。
「このマンションの構造はどうなってる?」
こっちです、小島巡査長は三人を管理人室に入れた。管理人室には外の景色が映されたモニターが二台置いてあった。
「まず、中央のここに玄関があります。玄関の外と横の駐輪場に合わせて三台、カメラがあります。そして、駐車場、外の壁に計三台。合計六台の防犯カメラがあります」
そしてですね、今度はテーブルにマンションの見取り図を広げた。
「出入り出来る箇所は、二箇所です。一つはそこにある玄関、それから駐車場に繋がる裏口です」
「防犯カメラにマル被の姿は映ってたか?」
小島は親指を立てた。それを見て、三人は「おー」と、声が揃った。「本当か」
「こちらです」小島が示したのは、玄関の防犯カメラ映像だ。
「出は玄関なんですか?」
鈴木が意外そうな表情をした。
小島はモニターの映像を再生した。右下に表示された時刻は『十九時四十二分』。通報の三分前だ。雨が弱く降っているのが、画面の後ろの方に映っている街灯の光で確認出来る。
再生から十秒が経った。
「来た」
早見は小さく声を上げた。全身黒ずくめで、性別、年齢、そして顔がはっきりとは判別出来ない。一瞬、振り向いて見せた目出し帽の
こいつがホシか……。停止させられた動画の映像を早見は無意識的に睨みつけていた。
二
午後九時を過ぎて、所轄の警視庁南大沢署に特別捜査本部が設置された。本部捜査第一課、署の刑事組織犯罪対策課、機動捜査隊、そして鑑識課の捜査員、合わせて五十人態勢の大規模な帳場となった。
捜査第一課長が捜査本部長に就任し、副本部長には早見たちが所属する部署、第二強行犯捜査管理官の小野田正が選ばれた。
第一回目の捜査会議なので、事件の概要が、捜査一課係長の
「防犯カメラ映像について報告します」
管理人室であの映像を見つけた小島が立ち上がり、監視カメラの映像をスクリーンに映した。犯人が振り返った際の捜査員の反応がとても良かった。
「ホシは下着を盗もうとしていたんですよね」
武田が小島の発表を聞いてから口を開いた。「南大沢署管内では、最近、下着泥棒による窃盗事案は発生していますか?」
南大沢署の巡査部長が起立した。
「ここニ、三ヶ月前から盗犯担当が管内で多発している下着泥棒の捜査を行なっています」
軽い激震が会議室内を駆け巡った。捜査員がザワザワとする。捜査本部長が黙るよう注意すると、さらに尋ねる。「それは未決なんですか?」
「はい。しかも、未だにマル被の姿を捉えられていなく、かなり捜査は難航しています」
強行犯捜査係長が椅子から立ち上がって、捕捉した。「犯行は一ヵ月に、二、三回というペースで発生していて、
「これまでにけが人等は?」
「ありません。マル害が留守の間の犯行でしたから」
「しかし、今回は失敗した。不謹慎かも知れないが、被害者が運悪く帰って来てしまい、姿を見てしまった──」小野田が発言した。その言葉に捜査本部に詰めている警察官全員が納得した。今回も犯人はいつも通り、住人が留守の物件を狙った。しかし、犯行の最中に家の主が戻って来てしまった。そして、初の犠牲者が出てしまった──。
「足跡は?」
捜査第一課長が会議を回す。鑑識課管理官が、メーカーは特定出来ないが、靴のサイズは25・5センチだと発表した。
南大沢署の連中がソワソワし出した。捜査一課長はすぐに、責任者の強行犯捜査係長に問いかけた。
「南大沢PS管内で発生している下着泥棒の件で採取された足跡は分かりますか?」
強行犯捜査係長が立ち上がる。その顔は、とても重い表情をしていた。
「サイズは……同じく、25・5センチです」
また会議室内がざわついた。「いずれの現場でも同じサイズの足跡が確認されています」
驚きのあまり、幹部席で武田係長が「本当か」声を大にする。今までの下着窃盗の犯人と今回の強盗殺人犯が同一人物である可能性が高まった瞬間だった。早くも犯人の目星が付いたが、凶暴な犯人に対する緊張が早見を含め、刑事全員の顔の表情にはっきり表れていた。
小野田と本部長は頷いた。捜査方針が決められる。
本部長の捜査第一課長が捜査員に告げた。
「この事件は、南大沢署管内で連続発生した下着窃盗と同一犯である可能性が高い。管内のパトロール、及び聞き込みを重点的に行ってください。また、マル被は今回の事件を起こして、非常な興奮状態にあると考えられる。第二の事件が発生する前に何としてもホシを検挙してください」
以上だ、第一回目捜査会議は午後十時を越えて閉められた。
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