最終回1

         十


「遠藤、メシ行かないか?」

 正午になり昼休みが始まった。頭の上に両手を大きく伸ばしていると、遠藤優えんどう まさるは同僚から昼食に誘われた。

「そうだな、どこ行くつもり?」

 同僚は、ビルから歩いて五分の所にあるファミリーレストラン、と答えた。「あそこ今、ランチが安いんだよ」

 遠藤はそれに乗ることにした。今月分の小遣いの残りを気にする時期だ。ランチが安いのはかなり助かる。財布を手に遠藤は、同僚と営業部を出た。


 エレベーターに乗り、一階へ下る。オフィスエントランスに着き、受付の前を通り過ぎようとした時、

「遠藤さん」

 突然、遠藤は呼び止められた。相手は受付の女の子だった。「少しよろしいでしょうか」

「どうしたの?」

「あの……警察の方が、遠藤さんと話がしたいと仰っていて……」

 受付嬢は少し離れたところで立っている二人の男を指した。


「なんで警察が俺に?」

「多分、蓮見さんのことだと思います」

 受付嬢の言葉に遠藤は疑問が解き明かされた気がした。数週間前に遠藤の同期の一人である蓮見大輝が殺人事件に巻き込まれしまい、急逝してしまっている。まだ犯人が逮捕されていないはずなので、きっと警察が訪ねてきたのは捜査のためだろう。

 「分かった。ありがとう」受付の女の子に礼を言うと、同僚に先に言ってるよう告げる。遠藤は二人の男に近付いて行った。


「遠藤優さんでしょうか」

 遠藤に気付いたようで、左側の男が訊いてきた。

「そうですが」

「私、警視庁捜査一課の早見と申します」

 早見と名乗った人物が、警察手帳を出してきた。続けて隣の人物も警察手帳を示した。「羽根田俊一」と書かれていた。

「今からお昼休憩なので、そんなに時間は取れませんが……」

「結構です」

 と、早見は言った。「お時間は取らせません。五分ほどお付き合いお願いします」


         ※


 月末最終の火曜日。この日、早見と羽根田は、朝から捜査本部に残っていた。普段なら他の刑事たち同様、外回りに出て、聞き込みなどを行っているが、今日は違う。


「来ますかね。約束通り」

 羽根田は仕切りに腕時計の針を確認していた。二人は前日、とある人物に警察署まで来るように、と時間を指定して連絡していた。その時刻が迫って来ている。


「必ず来るよ」早見はお茶を飲みながら言った。「話がある、そう伝えただけだから」

「緊張しますよ」

 羽根田が言った。緊張をほぐすためか、二、三回、軽くジャンプしている。早見も心拍数が上がっていた。防犯カメラの映像から安田の犯行ではないことに気が付いてから、三日。あのことは武田と信頼する羽根田の限られた人物にしか公にしていない。今日で全てを解決する──失敗する可能性も充分ある、まさに背水の陣で臨んでいる。


 約束の時間になった。警察署一階のカウンターにはあらかじめ、本人が到着したら特捜に内線を入れるよう協力を仰いである。だが、電話は一切鳴らない。


 時計が秒針を刻む音だけが響いている。その音は今、早見の心と身体をえぐるように聞こえる。大丈夫だ、自分に自信をつけるために言い聞かせた。

 五分が経過した。そして──電話がついに、鳴った。二人は目を合わせ頷き合う。羽根田が受話器を手に取った。


「はい。はい。分かりました。ありがとうございます──」

 羽根田はオッケーサインを向けた。「来ましたよ。早見さん」

 よし、行こう。ワイシャツの襟を整え直した。いよいよだ。二人は講堂を出る。急いで階段を駆け下りた。


「わざわざすいません」

 一階に下りると、すぐにやって来た人物を見つけ、声をかけた。「お待ちしておりました」


 早見と羽根田に一礼した人物───成沢愛美は少し遅れたことを謝罪した。

「ごめんなさい。道が混んでいたので」

「構いませんよ。この時間帯はあの道は交通量が増えるので、よく渋滞が発生するんですよ」

 早見は少し雑談を挟むが、「ここではなんですので、移動しましょう。詳しい話はそこで」すぐに切り替え、成沢愛美をついて来させた。


 来た道を戻るような経路で進む。三階で、階段を登るのを止め、左に曲がる。署の警務課に申請して空けておいてもらった小会議室へと愛美を通した。


「それで、話というのは一体、なんなんでしょう」

 パイプ椅子に着席し、羽根田がドアを閉めると、愛美は二人に尋ねた。


「実は、この間、捜査員が巡回中にとある男に職務質問をしまして」

 早見が口を開いた。「持ち物を改めたところ、女性用の下着の類が発見されました。それから、目出し帽も。更に見つかった下着が被害届に記載されていた物と一致したため、その人物を窃盗容疑で逮捕しました」


 愛美が驚いた様子の顔をする。

「じゃあ、大輝さんを殺した犯人は、その捕まった人なんですか?」

 男の逮捕に安堵したのか、愛美はふーっと吐息した。「良かった。これで色々終わりなんで───」

「それがそうとは言えないんですよ」

 早見が放った言葉に愛美は、「えっ?」と声を漏らす。一瞬で表情が変わった。一体どういうことなのか、理解が追いついていないようだ。

「犯人はその男なんじゃないんですか?」


「下着類の窃盗についてはすべて認めています。しかし、蓮見大輝さんの件は、『知らない』『やっていない』と」

「警察はその男の言っていることを信じるんですか?」

 愛美は怒りを抑えるようにして早見と話す。

「最初は我々もそうでした」横から羽根田が言う。「奴は嘘をついている。罪が重くなるから絶対に認めるわけにはいかない──しかし、その下着泥棒が今回の事件の犯人では、辻褄が合わない点があるんですよ」


「辻褄が合わない、点?」

「これです」早見が愛美の前に置いたのは、防犯カメラの映像を切り取った写真だ。

「これがどうかしたんですか?」

「下着泥棒をしていた男は、左利きでした。しかし、この写真をよく見てください。犯人がナイフを持っている手は、右手です」

「利き手が短期間の間に変わることなんて、ありえませんからね」

 羽根田も言う。


「で、でも、この時映った瞬間に、たまたま右手で持っていたとは考えられませんか?」

 愛美の意見を羽根田がすぐに否定した。「遺体の刺し傷ですが、右手で持たれた刃物で刺されたという法医学の鑑定結果も出ています」


「これらを踏まえた上で私は、その男が犯人ではないと結論付けました」

 早見は落ち着いた口調を通す。「そこで今までの捜査を一度、置いておいた上で、ある違う角度から考えてみることにしました」


 愛美は黙っている。ずっと、早見と羽根田のことを見つめて静かに座っている。

「被害者の蓮見大輝さんの身辺調査を行いました」

「……」

「会社の同僚、近所の人など、色んな人から話を聞きました」

 早見と羽根田がこの短い期間で行っていたのは、今回の事件の業務には含まれていなかった敷鑑捜査だった。被害者の友人関係やトラブルなどを洗い出す捜査のことで、主に事件を起こした動機が怨恨と唱えられた時に行われる。


「皆さん、良い性格で優しい人だったと口を揃えて仰っていました。あんな人が亡くなるなんて、と。しかし、蓮見大輝さんが勤めていた会社の同僚の方から話を聞くと、あることが分かりました」

「……あること?」

「蓮見大輝さんは、数ヶ月前に仕事でミスをしてしまったそうです。しかも、それが営業部の成績に関わるようなものだったので、本社から支店へ移動が内示されていた」


「そのことが原因で、最近、よくお酒を飲まれるようになったようです」

 と、羽根田が言った。「あまり強い方ではなかったのに、かなりの量を飲むようになった。更には、よく、イライラしていたようです」

「そこでとある可能性が出てきたんです」

 早見はこの流れの勢いを止めることなく喋り続ける。「最近の蓮見大輝さんは、移動のショックとストレスでかなり自暴自棄な状態になっていた。そんな状態だと信じられないような行動を起こす、蓮見さんの場合、奥さんの茉奈さんに対して意味もなく当たっていたんじゃないか、と」


「あの二人は仲が良かったわ!」

 愛美は立ち上がり、狭い室内に響く声量で喚いた。「そんなことありません。あの二人は本当に、愛し合って……」

「下着泥棒が殺人犯でなければ、当時、現場にいたたった一人の人物──そう、蓮見茉奈さんが真犯人であるとしか考えられません!」

「茉奈はなにもやってない!」

「蓮見大輝さんを殺したのは、蓮見茉奈さんです!」

「違う!違う! 茉奈は、なにもしてない!」

 愛美は目を赤くし、ボロボロ涙を流しながら叫ぶ。「茉奈は……茉奈は……」

 次第に言葉が言葉じゃなくなり、愛美は床に頭をつけて泣き叫んだ。

 



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