第5回


         八


 安田は窃盗容疑で逮捕された。自宅から押収した下着が、被害届に記載された色や形などの特徴が一致したため、裁判所から逮捕状が下り、午前中のうちに執行した。安田本人の取調べは、容疑者を後に強盗殺人でも立件することを目的として、取調官は捜査第一課第二強行犯捜査の鈴木と小島が任命された。


「お前の家から押収した下着が、被害届に書かれた特徴と完全に一致しているんだ」

 ガサなどで得れた物的証拠を突きつけると、安田はこちらが想像していたよりも速く自供を始めた。それどころか、こちらが把握していなかった余罪まですんなりと話した。


「安田の供述によると、下着窃盗を行うようになったのは、およそ半年前からだそうです。歩いていた際にたまたま落ちていた女性用の下着を拾ったことがきっかけのようで、盗んだパンティで性的欲求を満たす、さらに他人の家のベランダに上がり込んで犯行を行うことにスリルを感じ、次第にエスカレートしたそうです」


 取調べを終えて、鈴木は早見と羽根田に成果や供述内容を報告した。最初は黙秘した被疑者を喋らせることが出来た嬉しさと安心感からか、二人は少し自信満々な様子だ。ここまで聞くと、順調に進んでいるみたいだ。


「蓮見大輝さんの殺害についてはどう供述しているんですか?」

 ここで、羽根田が右手を挙げた。捜査第一課が立件を目指している強盗殺人について質問をした。早見もそれがさっきから気になっていた。


「それなんですがね……」鈴木の隣に立つ小島は難しい表情をした。ため息もつき、つい数十秒前とは対称的な感情だ。「俺はやってない、これの一点張りなんです」

 下着窃盗はすんなりと歌ったんですけど、鈴木も言った。「目出し帽を被ったあいつの姿が映っていることを話しても、その時間帯には家にいたから知らないって繰り返しています」


 強盗殺人(強盗致死傷)は刑法第二四〇条に「(強盗を行って)人を死亡させた場合、死刑又は無期懲役に処する」と記されている。情状酌量が無い限り、重い判決を受け、生命で償うか一生刑務所暮らしになるのは決定だ。重罪になるのを避けるため、強盗殺人の件は否認しているのだろう、四人の考えは一致していた。

 容疑者が将来、法廷で死刑判決を受ける可能性が高い事件は、いつも以上に刑事たちは慎重になる。特に捜査一課はそのような容疑者と対峙する事件が多い。


         九


「なんだ、まだ起きてたのか」


 夜の捜査本部で一人でパソコンと向き合っていると、係長の武田が入ってきた。画面右下の時刻を確認すると、日付が変わってから約二時間が経過していた。他の捜査員は全員、布団が敷かれた隣の会議室で就寝している。未だに起きて仕事をしているのは、早見だけだった。


「お疲れ様です」

「防犯カメラの確認か?」

 パソコンの画面を覗き込んだ武田は早見の顔を見る。

「少し気になることがあって」

 早見は頷いた。現場で小島に見せられたナイフを持った人物が映る防犯カメラ映像だ。早見はこれを何度も見返していた。


「気になるって何が気になっている?」

「それが、よく分からないんですよ」早見は言った。「自分は今回のホシは安田だと思っているんですが、でも、なんでしょう、形容し難いモヤモヤした気持ちがあるんです。安田がコロシの犯人で良いのだろうか———そんな気があって」


「それでこの映像を見返しているのか」

「はい」

 武田は早見にインスタントコーヒーを差し出した。「すいません。ありがとうございます」


「気になるのだったらとことん調べれば良い。こだわればこだわるだけ、見えないものが見えてくるから」


 武田はつねに部下のことを暖かく見守ってくれる。頑張る姿を静かに見守り、困っている時には親身になって相談に乗ってくれる。–––––––武田警部が上司だと仕事がやり易くて楽しい。

 武田の下で仕事をしたことのある刑事は口々にそう語る。それは早見も同じだった。

 インスタントコーヒーを口に含み、眠気を覚ます。二十代の頃は平気で夜遅くまで起きていられたが、最近はあまり体力が持たなくなった。歳をとったな、そう思った。

 

 再びパソコンの画面に向かう。もう一度、最初から動画を再生した。

 その時、

「あっ」

 早見の目が丸くなった。ようやく自身の中にある違和感に気がつけたのだ。

「どうした?」

 早見の小さな声を聞いて、武田は早見のところへ戻る。「何が見つかったんだ?」

「係長、分かりました。自分の中にある違和感の正体が」


 どれだ、武田の問いに、

「これです」

 と、早見は画面を指差す。防犯カメラの動画は覆面男が出口に向かって歩いているところで停止している。早見が注目したのは、「ナイフを持つ手」だった。「ここがおかしいんですよ」


「どういうことだ?」

 武田は更に早見に尋ねる。

「自分が任意で連行された時に見た安田は、名前を聞かれた際に、漢字を表すために、宙に左手で漢字を書きながら説明していたんです。普通、こういうのは自然と利き手を使うはずです。なので、安田の利き手は左手です。しかし、この覆面男は違います。こいつは右手でナイフを持っています。蓮見大輝さんの身体についた切創は右手により付けられたと法医学教室の鑑定結果も出ています。つまり––––––」

 早見はテーブルを叩いた。「このビデオに映る被疑者は、右利きなんですよ」


「確かに、利き手が安田容疑者と一致しないのはおかしい。矛盾している」

 武田は頷き、早見が見つけた違和感の正体に納得してくれている様子だ。利き手が短期間の間に変わることなどありえない。利き手が一致しないということは、特別捜査本部を設置して捜査している件に関しては、安田は無関係の可能性が極めて高くなった。


 だが、武田は難しい顔をしている。

「早見。問題はそれからだ」腹の底から重たい息を吐くと、言った。「安田がマル被じゃ無かったら、『ホンボシは一体誰だ』、ということになる。捜査は振り出しに戻る。そうなると、いよいよこの映像を公開しなければならない。警察が焦っていると世間に感じさせると、マスコミなどが過剰に反応するからな」


 安田友哉が人を殺めていない可能性がここで浮上した。このまま強盗殺人で送検するのは、とても危険だ。しかし、難航する捜査がスタート地点に戻ってしまうのは、事件自体を迷宮入りさせることにも繋がってしまうかもしれない。どっちの選択肢を選んでも、最悪の結果が付きまとって来てしまう。


 安田は明日、窃盗と住居侵入で送検される。後に、強盗殺人で再逮捕する方針だ。事件現場のマンションで採取した足跡が安田の家にあったシューズの物と一致すれば、再逮捕出来る材料になる。下着と一緒に鑑識が押収しているはずなので、鑑定結果が捜査本部に伝えられるのも時間の問題だ。残る時間が無い。


「ここからが勝負だぞ」

 武田は早見の肩を叩いた。



 



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