第4回
六
「早見さん、小野田管理官が呼んでます」
夕方六時過ぎ、担当地域での聞き込み捜査を終えて捜査本部に戻った早見に、白石志保が告げた。「至急だそうです」
管理官は取調室を指定したそうだ。
「分かった。すぐに行く」
捜査本部の設置されている大会議室を出て、伝えられた同じ階の取調室に入ると、小野田がいた。
「こんな所で悪いな」
と、小さく利き手を上げた。
第二強行犯捜査の管理官なので、普段からよく会話をしているが、事件の捜査中の時に呼び出されるとやはり緊張する。
ドアを閉めると、小野田は口を開いた。
「明日で事件が発生してから一週間が経つことになる」
部屋の窓ガラス越しに差し込む光に照れされ渋いオーラを
「さっき、一課長から電話があった」
小野田は重いため息を付いた。机に両手を置く。「捜査が進んでいないことに焦っていた。閑静な住宅街の一角で起こっただけあって、住人たちの不安が大きい。一刻も早い解決が急がれる」
「ニュースにもなりましたからね」早見が言った。事件が起きた日の翌日の夜にたまたまテレビで見たニュースで、この事件がおよそ十五分に渡って取り上げられていたのだ。また、周辺で下着泥棒による事件が多発していたことも報道している局もあり、不安を煽る材料となっていた。
「所轄が下着窃盗の時点で、パクることが出来なかったのが痛い。上層部はこのことが報道されると、警察へのバッシングに繋がりかねないと気にしている」
小野田の額に出来た皺が、一本増えた。南大沢署の刑事組織犯罪対策課長と副署長は、事件発生の翌日から二度も、刑事部長から呼び出されている。捜査をちゃんと行っていたのか、何度も尋ねられたそうだ。
「上層部はあの防犯カメラの映像をツイッターで公開することも視野に入れている」
小野田は更に言った。「少しでも一般人に対するアピールがしたいと言うことだ」
捜査一課は二〇一八年から公式ツイッターを運営している。フォロワーはおよそ三万人。普段は未解決事件の情報提供を求めるツイートを更新しているのだが、事件が発生すると、情報を集めるために、重要参考人の写真、犯人が映った監視カメラの映像を公開することがある。実際、この間発生した白金高輪駅で発生した硫酸による傷害事件、早見も参加した葛西での路上傷害事件、この二つの事件で防犯カメラ映像と似顔絵が公開されて被疑者逮捕に繋がった。
「ただ、あの防犯カメラの映像は唯一、こっちにある重要なカードだ。理事官の戸田さんや参事官の田原さんは公開に積極的だが、俺としてはもう少し待った方が良いと思っている」
「それで、理事官等の判断はどうなりましたか?」
早見が尋ねると、小野田は「一週間、様子を見ると仰った」、吐息を付いて言った。
「ひとまず一週間、捜査の進捗状況に応じて判断すると」
「一週間、ですか……」
だから早見、顔の半分がオレンジ色に照らされた小野田は、
「なんとしてでも新たな証拠、そして、ホシを挙げろ」
※
「管理官はなんと……」
取調室から戻った早見に羽根田は、白石からこのことを聞いていたのか、彼に尋ねてきた。
「なんとしてでも新しい証拠、ホシを速く挙げるようにって」
羽根田に小野田から告げられた内容を喋ると、「公開は延期してほしいですね」自分の考えを語った。
「小野田管理官の言う通り、あの映像は我々にとって重要なカードです。そのカードを切ろうと言うのは、僕は反対です」
「だが、公開を取り止めるには、一週間の間に新たな大きな証拠を見つけて捜査を進展させるか、マル被をパクるしかない」
早見も羽根田も難しい顔をする。警察はサボっていない。寧ろ、捜査員みんな、足が棒になるまで仕事をしている。
事件が発生した同じ時間帯、交通課の協力を仰ぎ、毎日検問を行なっている。車の運転手からの聞き込み、そしてドライブレコーダー映像の確認など、地道な捜査を継続している。だが、その頑張りは虚しく今のところ成績は赤点ギリギリだ。
「目出し帽をAIで剥がせる技術なんて無いのかなあ」
そんなものあるわけない。あったらどんなに便利なことか。
腕時計の針に目をやると、あと三十分で、今日の夜の捜査会議が行われる時間となっていた。
その時、
「南捜査4から特捜本部———」
捜査本部に設置された無線が鳴った。南捜査4とは、南大沢警察署捜査用覆面パトカーのコールで、現在、下着泥棒の警戒でパトロールしていた。
「特捜本部です、どうぞ」
「現在、八王子市堀之内において、不審者職質中。性別は男。年齢二十代くらい。身体検査には応じたが、背負っている黒のリュックの確認は拒否。現在、佐藤巡査部長が説得しているが、尚も拒否。応援求む」
無線を取った警察官が、付近を走行しているパトカーに応援に向かうように指示した。南大沢署の地域課隊員二名が向かうと続いて報告があったのは、三十秒後のことであった。
「南地域3現着。南捜査4と合流」
無線機の前が少し慌ただしくなった。早見と羽根田は無線機が置かれたテーブルに移動した。
「ヤクですかね?」
羽根田がそれほど大きくない声で早見に言った。職務質問で声をかけられ、犯した罪が暴かれる犯罪者第一位は薬物犯だ。職務質問を行う警察官は全員、街に紛れた犯罪を見つけ出すプロだ。絶対にバレないと考えていては甘い。鋭い目で一瞬の違和感を見落とさず、犯罪を暴く。依存性の強い覚せい剤、近年、取り締まりを行わなくなった国も増えてきた大麻など、違法薬物はこうして凶悪犯罪になる前に摘発されている。
「はぁ、さぁ……」
早見は無線機を見ながら腕を前で組んだ。特捜の捜査員なので、無線は警視庁本部ではなく特捜本部に送られてくるが、その無線がこれ程までに盛り上がったのはこの帳場が発足してから初めてだ。
自然と前かがみの姿勢になっていた。
「南捜査4から特捜。南大沢4から———」
合流してから五分後、突然現場の刑事の少し緊迫した様子の声が飛び込んできた。その声色が会議室内の雰囲気を変えた。何かあったのはすぐに分かる。そして、続けて報告された内容が早見らの表情さえ変化させた。
「男のリュックの中を確認。中から女性用の下着、並びに目出し帽を発見した。繰り返す男のリュックを確認。中から―——」
七
特捜本部に激震が走った。陣頭指揮を取る小野田管理官の命令により、職質をかけた男を南大沢署に任意同行させた。ここが天王山だ、と誰もがそう思った。
八分後、サイレンを鳴らしながら捜査車両は警察署の玄関に到着。後部座席から隊員に連れられ、若い男が降車した。すぐに第二取調室に通され、担当は署の強行犯捜査係長と機動捜査隊員になった。
「名前は?」
「
「どういう字?」
安田は左手で宙に漢字を書きながら、漢字を取調官に伝えた。
「年齢は?」
「二十歳」
「大学生かな?」
頷いて、「東京文京学院大学工学部理工学科」と言った。東京文京学院大学は都内三代私立大学の一つで、名の知れた名門校だ。
「良い大学じゃないか。私なんて高卒だから、羨ましいよ」
強行犯捜査係長が言うと、
「推薦ですよ」
安田は苦笑いをした。「水泳で推薦入学したんです。部活も水泳部に入ってますよ」
「で、なんで女性用の下着と目出し帽なんか持ってたんだ?」
雑談の末、横から機動捜査隊の警部補が厳しい口調で問うた。
「クリーニングの帰りだったからですよ」
安田は冷静に返す。「下着は僕の彼女の物ですし、目出し帽はスキーの時に被っていた物です」
「じゃあ、どこのクリーニング屋に行った?」
取調官は隙を与えず質問をする。相手に立て続けに尋ねることで、威圧感を感じさせ、更にこちら側のペースにさせるためだ。
安田は案の定、返答に戸惑っていた。
「えっと……。それは———」
「どこだよ! 答えろ!」
顔がプルプル震え始める。緊張している証拠だ。マジックミラー越しに見守る早見と羽根田は手汗握る。落ちるか———。
「も、黙秘、します」
しかし、安田も負けてはいなかった。頭の中で少し冷静を取り戻したか、抵抗を見せた。
そして、安田は宣言通り、黙り始めた。
「ヤツ、絶対クロですよ」
羽根田は早見の顔を見て言った。「下着窃盗、強殺を犯したのは間違いありませんよ」
早見もそれに同感だった。安田友哉は間違いなくクロだ。事件解決への大きな一歩だが、安田は黙り込んでしまった。「ここから、どうするか、だな」
頷いて早見は壁一枚隔てた部屋の中を見た。一度黙秘した取調べ対象者は、早々に口を開くものじゃない。酷い場合だと、このまま喋らなくなる。(昔、早見が所轄時代に捕まえた詐欺の受け子の女は、黙秘すると宣言してから、公判までずっと黙秘を貫き通した)
しかし、ここで容疑者を落とすのが警察の維持だ。なんとしてでもこの男から自白を引き出さなければいけない。刑事としての腕が試されるな———。
その後、安田友哉の自宅を調べるガサ状———家宅捜索差押許可状———が発布され、本人立ち合いのもと行われたガサで、女性用下着計五枚が発見されたのは、日付が変わった翌日午前六時三十分のことだった。
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