最終回2
『逮捕状』
被疑者の名前 蓮見茉奈
罪名 刑法第199条 殺人
被疑事実 別紙逮捕状請求書のとおり
被疑者の名前 成沢愛美
罪名 刑法第104条 犯人隠滅
被疑事実 別紙逮捕状請求書のとおり
十一
「どういうことだ⁉︎」
講堂に入って来た捜査第一課長は、怒鳴るような声量で小野田第二強行犯捜査管理官に説明を求めた。
「先程連絡した通りです。被害者の妻とその従姉妹の女性が犯行を認めたんです」
小野田の説明を聞きながら、捜査第一課長は幹部席に着席し、腕を組んだ。
「安田友哉が犯人じゃなかったのか⁉︎」
「はい。あの男は、強殺には全くの無関係でした」
「しかし、ゲソコンが一致していただろう」
「ゲソコンの靴はかなり流通している型です。同じ物が合っても不思議じゃありません」
小野田は、淡々と上司に話す。
「防犯カメラのあの目出し帽男は⁉︎ あれは一体……」
「蓮見茉奈の従姉妹の成沢愛美が変装していたんです」
※
薄暗い取調室で刑事二人とつい先程連行されて来た容疑者が、机を挟んで向かい合って座っていた。
「最近、夫の様子が変わったんです」
蓮見茉奈はそう切り出し、話し始めた。「前までは、絵に描いたような優しい人で、いつもニコニコしていました。それが、私の心を癒してくれて、ずっと一緒にいたいと思った理由だったんです。でも……」
茉奈は左の腕を反対の手で抑える。服が半袖なので、肌が露出しているから手で隠すようにしている箇所に痣があることは簡単に確認出来た。
「ここのところ、ずっとイライラしてたんです。家の家具とかの物に当たって……。私にも暴力を振るようになりました」
最近、本社の営業部から支店の総務部に異動が決まった———早見が羽根田と一緒に話を聞きに行った故人の同僚はそう語ってくれた。大学卒業した時から会社に忠誠を誓い、一生懸命に全力で働いてきた蓮見大輝にとって、とてつもなく大きな挫折だったに違いない。酒が入ると機嫌が悪くなり、凶暴な態度を取るようになってきたのも、この頃からだったようだ。
「夫が傷付いているのは分かっていました。話を聞いたり、一緒にテレビを見て笑ったりして、何とか慰めたい。でも……全部、上手くいきませんでした」
声が震えている。鼻をすする音、涙が溢れていた。「もうどうすれば良いか分からなくなったんです。傷付いた心はいくら一緒になった二人でも、本人にしか分からない、私は……何も出来ませんでした」
あの日———帰宅した大輝はイライラしていた。鞄を乱暴に放り投げ、意味もなく家具に当たっていた。
「もうやめてよ」夕食の準備をしていた茉奈は言った。泣きながら二度、同じ言葉を繰り返した。「もう、やめて……」
それが大輝の怒りの感情に油を注いだ。なんなんだよ、その態度。顔を赤くしてこっち向かって来た。「お前に何が分かるって言うだよ!」
その時、咄嗟に、
———殺される。
そう感じたと茉奈は話した。
「ニンジンを切っていた包丁を大輝に向けました。大輝はわめき散らしながら、迫ってきました。私は両手に力を込めて、大輝の身体めがけて———」
包丁が体内にのめり込む感じが今も手に残っている、茉奈は嗚咽を漏らしながら早見と羽根田に語る。そこまで喋ると、茉奈は顔を机に付けて大声で泣いた。
※
「電話があったんです。茉奈から」
成沢愛美は小島と志保に言った。「大輝を殺してしまった、どうしようって」
茉奈が大輝を刺殺した後、助けを求めて愛美に電話したことは本人も認めている。
「あなたはすぐにマンションに駆け付けたんですね」
志保が問いかけた。はい、と愛美は首を縦に振った。「合鍵を使って中に入ると、リビングで大輝さんがお腹から血を流して倒れていました。側には茉奈がいて、呆然としたまま包丁を持っていました」
茉奈は愛美が到着した後、少し冷静になり、自ら警察署に電話をしようとした。しかし、それを愛美は止めた––––––茉奈はそう供述している。そのことを鈴木が問うと、
「茉奈が逮捕されるのが見たくなかったんです」
愛美は素直に喋った。「一人っ子の私にとって、茉奈は妹みたいな存在でした。子供の頃からずっと一緒に遊んでて。そんな、そんな、そんな茉奈が逮捕されるなんて、見たくなかったんです––––––」
「下着泥棒の仕業にしようと考えたのは、誰ですか?」
「私です」
–––––––自供したのは、小島と志保が担当の成沢愛美の方である。「私は何とかして、茉奈を守らなければいけないと思いました。そこで、ふと思い付いたんです。最近、近くで相次いで起きている下着泥棒に見せかければ良いんじゃないか、って。実は、先日、うちにも下着泥棒が入ったんです。その時に相手が気付いているかは分かりませんけど、下着泥棒の姿を見たんです。それで泥棒の格好とか目出し帽を被っていることを知りました。そのことを思い出すとすぐでした。私が、あの泥棒に扮して、ここから逃げれば、殺人の容疑は茉奈じゃないくて、あの犯人に向く。だから–––––––」
※
「愛美さんが、下着泥棒の格好をして、現場から出て行った後、あなたは何をしていたんですか?」
羽根田が茉奈に質問する。
「愛美に『私が出て行って、五分程してから警察に電話して』と言われてました。だから、五分経つのを待って、110番しました」
「その間、愛美さんは何をしていたんですか?」
「防犯カメラに映るように逃げて、ベランダから侵入した設定だったので、侵入経路に足跡をつけるなどをしていたと思います」
早見の問いに茉奈は回答した。
これまで、早見たちは様々な凶悪事件と出合ってきたが、ここまでする犯人は初めてだった。頭の回転が良いのか。利き手のことに気付くまで、早見もすっかり騙されていた。
「……正直に、通報した方がよかったですよね」
一瞬、静まり返った。茉奈は嗚咽しながら言った。「私、『このままだったら捕まってしまう』、そう思ったんです。それが嫌で。殺人犯としてこれからテレビだったり新聞に取り上げられる。それが嫌だった。捕まりたくなかった……。でも、結果、愛美を巻き込んでしまって……。ごめんなさい。ごめんなさい」
※
隣で、羽根田が日本酒を飲んでいる。
蓮見茉奈と成沢愛美の送検が済んだ日の夜だ。二人は居酒屋のカウンター席に腰掛けていた。コップを置いた羽根田は考え込んだような表情だ。
「電話を受けてから駆けつけて、それから目出し帽や黒いパーカーまで準備して──あそこまで、普通しますかね」
「まぁ、成沢愛美本人も言ってたけど、咄嗟に思いついたんだろうね。ひらめきと表現した方がいいぐらいだけど」
「でもですよ」
羽根田は違和感があると言いたいようだった。
「世の中、『そこまでしなくても』と思う理由で人の道理を反してしまう人間は必ずいる。成績が少し落ちてしまって追い詰められた挙句、全く関係ない人を傷付ける未成年だっているんだから」
「そういう人たちを自分たちは相手にしている、ということですよね」
そう言って、羽根田はコップに残っていた酒を全部飲み干した。スマホに通知が入っていて、沙佳からシューズのお礼のラインが送られていた。
了
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