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 その後もアインは定期的に書斎を訪れ、必ずパソコンを起動した。

 インターネットに繋いでおらずとも遊べるゲームも内蔵されていたが、彼女はそういったものには目もくれずアストラル・システムへと質問を投げ掛け続けた。日常の些細な疑問から始まり、個人的な悩みの相談に至ることもあったが、それら全てに対してアストラル・システムは淡々と回答した。もとより親身になって相談に乗るなどできるはずもないプログラムに可能なことと言えば、できる範囲で質問者の疑問を解決することに他ならない。単なるプログラムとして形成された以上、個人的な感情など持てない。

 こちらの機械的な受け答えを、アインは概ね受け入れていた。時折寂しそうな顔をすることはあったが、不満を口にすることはない。相手が単なる検索エンジンであると理解しているのだろう。


「ねえ、聞いても良い?」


 その日も、アインはそう切り出しながらパソコン前の椅子に腰かけた。

 今日は表情が少し沈んでいる──この様子だと人間関係に何かしらの懸念があるのだろう。孤児院の子供たちは皆似たり寄ったりな境遇ながら、何かとお互いを牽制するところがある。女子ならば尚更その風潮が強い。

 了承します、と合成音声で首肯すると、アインは僅かに強張っていた顔から力を抜いた。そうして、あのね、と遠慮がちに話し始める。このあのね、という言葉は、アストラル・システムにとって好ましいものだ。理由はわからないが、何となく聞いておかなければならないと思う。


「大したことじゃないんだよ。ただ、ちょっと気になってる子がいて」

『恋愛相談ならば、私ではなく信頼できる人間にするのが良いでしょう』

「ああ、違う違う! そんな浮いた話じゃないよ。……どっちかって言うと、その逆」


 急いで訂正しているところからして、彼女が誤魔化している──という訳ではなさそうだ。なるほど、と納得した上で、アストラル・システムはほんの少し──他者から指摘されなければ自覚できない程度に──拍子抜けした。この年頃の少女と言えば、恋愛話に目がないと記録されているのに。どうせなら、アインの好ましいと思う相手のことを記憶しておきたかった。

 それはさておき、まずはアインの相談だ。モニターの前では、先程よりも顔を曇らせた彼女が声を落として事情を説明している。


「もしかしたら知ってるかもしれないけど、ここにレイって女の子がいてね。私よりも年下で小さい子なんだけど……彼女の様子が、ちょっと変でね。何て言えば良いんだろう……前は気にならなかったのに、最近は観察されてるみたいに感じるんだ」

『観察──具体的には、どのように』

「うーん、気付いたらじーっと見られてることはしょっちゅうだし、この前はここに来る前はどうしてたか、なんて聞いてきたの。院長さんが、ここに来る前のことは皆秘密にするようにって言ってるのにだよ? 駄目だよって注意してみても、こっちの声が聞こえてないみたいに同じことばかり繰り返して……レイ、どうしちゃったのかな。少し前までは、私と関わることなんて全然なかったのに……」


 おかしいよね、と同意を求められるが、アストラル・システムは人付き合いなどほとんど経験したことがないので答えようがない。まともに人間と意志疎通を試みたのは、アインが初めてだ。

 だが、アインの言葉が正しければ、考えられる可能性はある。院内で禁じられている、子供たちの過去の詮索──皆やろうと思えばできるのかもしれないが、アインの口振りからして子供たちは規則としてそれを守っているのだろう。でなければ非日常として受け取られることもない。

 アストラル・システムは説明するに相応しき単語を選ぶ。アカシック・レコードの断片たるこの身は、あらゆる事実を内包している。故にアインへと真実を伝えること自体は容易かった──が、彼女の内心を考慮すると歯に衣着せぬ物言いは不適切なように思えた。

 アインが答えを待っている。彼女は、日常の中の違和感──誰に相談すれば良いのかわからないそれを、感情のないコンピューターに求めたつもりなのだろう。質問を検索すればすぐに応答してくれると信じて。


「──アニー!」


 今まで経験したことのない演算を繰り返していたアストラル・システムを、軽々と追い抜かす者があった。

 アインは弾かれたように振り返る。彼女の頬は僅かながら上気し、瞳にきらりと光が横切った──ように、見えた。


「あっ、セオドア! ごめん、もうそんな時間だった?」

「ああ、皆もう広間に集まってる。院長が言ってた時間まではまだ時間があるから、急いで行けば間に合うよ」

「本当? じゃあすぐに行かないとだね」


 セオドアと呼ばれたのは、アインとそう変わりない年齢に見える少年だ。輝く金髪に整った目鼻立ち、未発達ながらすらりとした体つきはよく引き締まっている。時と場所によって変わるだろうが、非の打ち所のない容姿と言って良い。

 彼のことも、アストラル・システムは知っている。アインと同じく、この洋館で暮らしている孤児だ。明朗で誠実、誰に対しても平らかに接するセオドアは、多くの孤児たちから慕われている。こうした性格に加えて見目も整っているから、彼を意識している少女も少なくはない。

 ありきたりだ、とアストラル・システムは評価する。セオドアは万人に好かれる性質を有した少年だ。彼を好ましく、あるいは羨ましく、妬ましく思う者はいて当たり前。ここでなくてもありがちな話だ。

 そして大変嘆かわしいことに、アインもまた例に漏れずセオドアに好意を抱いている。気紛れな無視に傷付いた時も、心ない言葉を浴びせられた時も、人以外にちょっかいをかけられて全て一人で抱え込もうとしていた時も、セオドアは決して彼女の前を通り過ぎなかった。

 セオドアに促され、アインは全てのウィンドウを閉じてコンピューターをシャットダウンする。そうして、急ぎ足ながらも軽やかにセオドアの後を付いていく。


「それにしても、アニーがこんなところにいるとは思わなかった。最近どこにいるのかわからないことが多かったけど、書斎のパソコンで遊んでいたんだな」

「うん、色々なことを教えてくれて便利だよ。セオドアもどう? わからなかったら、私が教えるよ」

「うーん……気持ちはありがたいけど、遠慮しておくよ。おれはアニーみたいに器用じゃないから、うっかり壊してしまうかもしれない。そうなったら一大事だ」

「壊す……まではなかなかいかないんじゃないかなあ。ね、気になったらいつでも言ってね。私にできることなら手伝うし、教えるから」


 どうしてもセオドアをこちら側に引き入れたいらしいアインは、先程よりも軽やかな声で受け答えする。二人の足音は次第に遠ざかり、アストラル・システムの周囲には沈黙の帳が降りた。

 全ての孤児を一度に集める。セオドアの言葉が真実ならば、これから起こることはわかりきっている──いや、確実に起こる未来として、アストラル・システムの中に記録されている。

 アカシック・レコードにおける確定事象は変えられない。それが未来はどのような手を取ったとしても必ず訪れる。

 であれば──これより先、院長は新たな器を選定し、贄たる子供たちを殺害するのだろう。アーカーシャへと到達するために。

 その事実に関して、アストラル・システムが感慨を抱くことはない。もとよりこの身はアーカーシャの断片であり、人間を模して感情を得たところで利などないはずだ。

 だからこれは演算の結果。世界の記録が、これより起こり得る結末をねじ曲げない程度に改竄することを良しとしただけのこと。


『アイン・ロレンス──私はあなたの死を受容しない。誰が望もうとも、決して』


 消したはずのパソコンが再起動する。青白い光を発する画面には、蛍光色の曼荼羅が広がっていた。

 アストラル・システムは実体を持たない。故に思念体を飛ばせば、この世のどこであろうと見聞きができる。

 目指す先はひとつ、子供たちが集められている広間。魔術師の手が及ぶ前にアインを救い、その命を持続させる。

 アーカーシャの断片は、誰にも悟られることなく目的地の様相を目にした。喜怒哀楽も呼吸の概念もないそれは、広間を天井より俯瞰する。

 見下ろす先には、一面の血溜まり──その中に沈む、灰色の髪の少女があった。

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怪異語りの灰被り姫 硯哀爾 @Southerndwarf

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