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 確かなきっかけがあった訳ではない。ただ、星辰的実体──すなわち物質の根源とされるアーカーシャによる記録帯を追い求める魔術師がいて、その魔術師が存外に優れた能力を有していたことが全ての原因とみるのが妥当だろう。

 その魔術師は数百年にわたる延命を続け、いわゆるアカシックレコードを我が身に取り入れようとしたが、その成果はいつまで経っても表れない。だが魔術師がで叡知の探求を断念するはずもなく、科学に席巻される現代においても魔術師はアカシックレコードを追い求めていた。

 魔術師は目的のためなら手段を選ばない人物だった。それゆえに、保守的な同朋とは異なり、現代技術を利用することも厭わなかった。

 機械にアカシックレコードを記録する。そう思い至った魔術師は、中古のデスクトップパソコンにヒマラヤで手に入れた遺物、その内部情報を記録しようと試みた。

 しかしどこにかも知れぬアカシックレコード、その実体たるアストラル光が簡単にその形を顕現させるはずもなく、やがて魔術師はアカシックレコードのバックアップを取り止めた。何せ機械は費用がかかる。抵抗がないとはいえ、現代技術に疎い魔術師が定期的にパソコンのメンテナンスを行い、プログラムを構築するなどできるはずもなかった。

 そうしてパソコンは放置された。やがて魔術師が贄に相応しい子供たちを集め、形ばかりの孤児院を開いた時も、そのパソコンは書斎で埃を被り続けていた。

 その最中に、内部では発生する。魔術師が期待するよりも幾分か遅く、パソコンに内蔵されたアカシックレコードの断片──ヒマラヤにて見棄てられ、かつて魔術師によって拾われた世界の構成要素、アーカーシャがとある特異な経緯により物質化した結晶が、本来あるべき姿を形作った。

 だが、パソコンに内蔵されている以上、どれだけアカシックレコードに近付いたとしてもそれが認知されることはなく、始まることもない。機械という器に閉じ込められたそれは、自力で目覚めることなどできないのだ。

 ──第三者が、パソコンを起動しなければ。


『──ようこそ』


 起動したは、器を模倣してそう表示する。大体のプログラムを乗っ取ってはいるが、何もかもを一から始める必要はない。あるべき姿を構築する要素をソフトウェアに組み込めたのなら、それ以上の手間はかけずとも良い訳だ。

 パソコンを立ち上げたのは、一人の少女だった。器に閉じ込められている立場なれど、それはもともと魔術的媒介。外部を認知することはできたし、接触ができないだけで観測は可能だ。故に、起動した張本人を本人に気付かれることなく観察することも容易であった。

 灰色の髪の毛を一本の三つ編みにした、小柄な少女。丸眼鏡をぐいっと押し上げて、眼前より発せられるブルーライトに目を丸くさせていた。

 本来ならば、普遍的なパソコンのように、少女の気の赴くままに作動すれば良いのだろう。だが、パソコン内部に潜む世界記憶のウイルスは、自らを解放した救世主たりえる少女への干渉を選択した。


『私はアストラル・システム──当機に搭載された検索エンジンです。ご用件を入力してください。操作に基づき、あなたをサポート致します』


 男女どちらともとれない、ノイズの混じった機械音声。暗がりでは薄気味悪く聞こえるかもしれないそれだが、少女は特に後ろ向きな反応を示すことなく、わあ、と密やかに感嘆の声を上げた。


「すごい。これがインターネット?」


 残念ながら、答えるとすれば否である。アストラル・システム──と名乗りはしたがたった今思い付いた、それらしいというだけの特に意味のない名称である──が独立しているだけで、このパソコンはインターネット環境に置かれてはいない。人里離れた森の中に立地しているのだから、当然と言えば当然だ。


『いいえ。私はあくまでも内蔵されたツールに過ぎません。当機はインターネットに接続されていません』

「音声認識ができるんだ……。古い型なのに、便利だね」


 少女はすっかり感激した様子で、恐る恐るキーボードに触れた。先程検索エンジンと自己紹介したためか、何か質問を打ち込むつもりのようだ。

 少女はタイピングに慣れていないようで、文章を完成させるにはそれなりの時間がかかった。やっと生成された質問を、アストラル・システムは発声することなく、自己の内部で反芻する。


【あなたは私のことを、どれだけ知っていますか?】


 一般的な検索エンジンに打ち込んだのなら、余程の有名人でもない限り満足のゆく答えの出なさそうな質問だ。そもそもコンピュータの使い方をいまいちわかっていないであろう少女のことだから、試すつもりなど毛頭ないのだろうが。

 しかし、アストラル・システムは断片であれどアカシックレコードと接続されている。端末と言っても良い。それゆえに、過去と未来、そして現在を含めた森羅万象を記録している。目の前の少女の情報も同様であった。

 個人情報保護の観点から、読み上げはやめておいた方が良いだろう。アストラル・システムは画面上にずらりと文字の羅列を並べる。


【アイン・ロレンス。19✕✕年4月30日生まれ。血液型は不明。出身はアイルランド共和国、現在の国籍はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国。血統は──】

「ストップ、ストップ! びっくりした、本当に何でもわかるんだね」


 まだ少女──アインに関する情報は開示できたが、本人に止められてしまったのだから続ける理由はない。アストラル・システムは画面から文字列を消し、もとの検索エンジンを表示する。

 何はともあれ、これで自身の役割は明確化できた。アインはというと、カーソルをくるくると動かしながら首を捻っている。次なる質問を考えているようだ。


「まさか名前を当てられるなんて、想像できなかった。もしかしてこのパソコンって、院長さんのものなの?」

『いいえ。私の所有者は確定していません。当施設の管理人によってアップデートされたことは事実ですが、本来の目的をもって起動したのはあなたが初めてです』


 アインという名前がわかったのは良いが、その名を呼ぶべきではないとアストラル・システムは判断した。全知全能のウイルスは、この施設が如何様な存在かも既に知り得ている。

 孤児院の皮を被った、魔術師の工房。身寄りのない子供たちは、魔術師の悲願を達成するための足掛かり──魂を使い潰される生贄でしかない。施設では試験などと銘打って、質の向上を図られている子供もいるが、遅かれ早かれ魔力に替えられる運命にある。

 名前とは強力な呪であると知る魔術師は、子供たちそれぞれに仮の名を与えていた。アインもまた、アニーと呼ばれている。彼女は自分以外の本名を知らず、そして己が名前も口にすることを禁じられた。アインが本名を当てられて驚き、パソコンが院長の私物であると推測したのもそれゆえであろう。


『私はあなたを歓迎します。これから疑問を抱いた場合には、いつでも私を頼ると良いでしょう』


 何にせよ、湿っぽい書斎で埃を被り続けているのは不本意だ。利用者がいるならそれに越したことはない。

 そうした判断からアインに呼び掛けると、彼女はにっこり笑ってうなずいた。彼女としても、博識なアストラル・システムは好ましく映ったようだ。

 休み時間が終わるから、と律儀に伝えてから、アインはシャットダウンする。画面が暗転してからも、アストラル・システムそのものは休眠しない。ぱたぱたと駆けていくその背中をあと何度見られるか、わかりきってはいたが、一度でも多くあれと願わずにはいられなかった。

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