4
痛みが来る。そう思い反射的に視覚をシャットアウトしたウィルではあったが、暗転した視界の中で彼の意識は持続していた。
痛みはない。苦しみもない。先程の轟音も嘘のように消え失せ、ただ静寂だけが存在する世界。
もしや自分は助かったのか。一縷の望みを抱き、再び視覚を覚醒させようとしたところで──ウィルは異変に気付く。
『ようこそ』
突如思考の中に現れた声。それはがさがさと砂嵐じみたノイズがかかり、男女どちらであるかすら判別させてくれない。
ただひとつ、わかることがあるとすれば──それは聴覚を通して聞こえる声ではないということ。
「……おまえ、誰だよ。人間でも、妖精でもないな?」
どのようにして発声しているのか、ウィル自身にもわからない。だが、問いかけることは可能であった。
『是と答えるのは難しい。たしかに俺の本質は人間でも妖精でもないが、現時点では人に似せた姿の肉体を借り受けている。便宜的には、八割型人間ということで人間を名乗るのが最良だろう』
答えはすぐに返ってきた。しかし、これがどうにもややこしい。
無機質な機械音声を前に、ウィルは目があればすがめたい気持ちだった。人間を名乗るのなら、もう少し人らしい話し方をしても良いはずだが──こいつは、人間の抑揚を知らないのか。
「おまえが何者かってのはこの際どうだって良い。おれが聞きたいのは、ここはどこで、おれはどうなったのかってことだ」
『そうか。だが呼称は必要だ。以後俺のことはアストラルと呼べ。その方がわかりやすい』
「アストラル……」
聞き馴染みのない名だ。自分に関する記憶を失っている時点でどうかと思うが、既知の間柄ではないだろう。
『ここは俺が保有する記憶層。過去でも未来でも、ましてや
「そういう訳にもいかないんだよ、こっちは。現実世界で何が起こったか確かめなくちゃならないし、何よりあの森から出られないのは嫌だ。ここにいたって、前と同じようなものじゃないか」
『お前の言は正しい。だが、戻ればお前は何も知らぬまま消滅するだろう。お前たちを襲ったモノは、人や平凡な妖精の手に負えない代物だ。俺としては、無限の時間を有するここで対策を練るのが最善と思うが、どうか』
「どうかって言われてもさあ……」
返答に困る、というのが正直なところである。このままでは死ぬからここで対策を考えていけ、と言われても、その対策が浮かび上がらなければ無意味も同じ。試行錯誤を促してくるのは良いが、まず前提としてウィルは状況を把握していないのだ。生き残る方法があるのだとすれば、ひたすらアストラルの保有するという記憶層に居続けるしかない。
本来の姿はおろか、実体すら失われた。次に失うのは何なのだろうと他人事のように思いつつ、ウィルはなあ、と声をかけた。
「アストラル、とか言ったっけ。おまえさ、なんでおれをここに連れ込んだんだよ? おれとおまえ、現実で絡みあったか?」
『皆無だ。初対面と形容するのが妥当だろう』
だが、とアストラルは無機質に続ける。
『先程お前が遭遇した災厄とも言える存在──あれが生まれるきっかけのひとつは俺だ。故に無関係ではない』
「……じゃあ、おれがここにいるのは何割かおまえのせいってことになるのか?」
『俺の見解では二割程だ。元凶は別にいる』
「それって……もしかして」
ウィルを閉じ込める原因になった、アインの言う魔術師なのではないか。
そう思った直後に、そうだ、と肯定の言葉が降りかかる。心の内を読み取られたかのような相槌に、思わずウィルはたじろいだ。
「なんだよ、気持ち悪いな。おまえ、おれの考えてることがわかるのかよ」
『わかるとも。ここは俺の一部分と言っても過言ではない。お前の思考もまた、俺の内部へと包括されている。むしろ、何故隠し通せると思った?』
「いちいち癪に障る言い方しないでくれよ。それよりもおまえ、アインと知り合いなの? それとも、おれの心を読み取って、情報を吸収してるだけか?」
『前者だ』
即答だった。まるでそれ以外の答えなどないのだとでも言うかのような口振りだった。
この機械音声も、少しは人間味のある声が出せるのだ。そう思うと、ウィルはどことなく愉快な気持ちだった。完璧な者に瑕疵を見つけた時の気分に似ている。
『そうか、あれは珍しく本当の名を名乗っているのだな。ここに欺瞞を咎める者はいないというに』
「しみじみしてるところ悪いけどさ、おれは現実に戻りたいしその現実ではアインが大変なことになってるんだよ。物思いは一人──って数え方で合ってる? とりあえずおまえだけでやってくれないかな」
『言われてみれば正論だ。打開策を優先しよう』
反省の欠片もない淡白な口調で言うと、ウィルの視界がぐにゃりと歪む。黒一色の中にありとあらゆる色がマーブル模様を形作り、思考すら歪められる心地を覚える。
『まずは事の次第を伝えるのが先決だろう。これより、あの災厄が生まれ落ちた経緯を追体験してもらう』
「それって……例の魔術師とやらも出てくるか?」
『無論だ。時間がないから、多少の割愛はするが──何にせよ、俺の見た過去に他ならない。暫し付き合ってもらおう』
アストラルの声が遠ざかる。同時に、視界の黒はほぼなくなった。
歪みが戻っていく。徐々に形作られる景色を前に、意識のみの思念体となったウィルは気を引きしめた。
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