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 ウィルはこれまで魔術なるものに縁がない人生──種族を反映すれば妖精生──を送ってきた。人智を超えた存在であるからといって、必ずしも似たような事物に近しい訳ではない。もともと全体的な性能は低い方だし、同族が浮かれ騒いでいる夏至や万聖節ハロウィーンに乗る気も起きないので、自然と距離ができていたのかもしれない。


「それで、術式を破壊って、どうするんだよ?」


 廃墟周辺をうろうろ歩き回っているアインの背中に向けて問いかける。できることなら何か手伝ってやりたいが、生憎今のウィルは手も足もない火の玉だ。かれこれ一時間そうしているように、アインに向けて取り留めもなく話しかけるより他に方法がない。つまるところ暇なのだ。

 土を掌に乗せて何やら検分していたらしいアインは、呼び掛けに応じておもむろに目線を上げる。目が合わないように──どこが目なのかわからないが──ウィルは少し移動した。真っ黒な双眸は、一時間ちょっとで慣れるものではない。


「たった今発見したことがあるのですが、よろしいでしょうか」

「発見? 新しいことがわかったのか?」


 術式の破壊が最優先事項ではあるが、わざわざアインが口にする程のことなのだ。きっと些末な出来事ではないだろう。

 できれば良い知らせであって欲しい、と期待を込めつつウィルは尋ねる。


「それほど期待するようなことではありませんが……術式の特性は目視で概ね解析できました。恐らく、この魔術は他者に寄生することで形を保っているのでしょう」

「寄生?」

「そのままの意味です。魔力を持つ存在を捕らえ、徐々に生命力を奪う。本来は肉体ごと乗っ取るものだったのでしょうが、術者がこの場からいなくなったことで、この地に魔術だけが残ったと見るのが妥当かと。制御を失った機械が目的もなく同じ行動を繰り返しているのに近いですね」


 要するに、とアインは結論に入る。


「ウィル、あなたは魔力を有する存在というだけで寄生されている。術者がいないので乗っ取られはしないでしょうが、魔力を吸い上げられるだけ吸い上げられて消えます」

「なんで追い討ちをかけるようなことを言うんだよ?」

「消えるまでの過程が明らかになったので、つい」

「何のついだよそれは⁉️」


 要するに悪い知らせだった。人の体があれば、がっくりと項垂れていたところだ。

 しかしアインの話はそこで終わらなかった。泣きそうな声をしているウィルに向き直ると、それだけではありませんよ、と続ける。


「特性がわかったのなら、対応策も練られるというもの。先程から思っていましたが、ウィル、あなたは絶望するのが早いですね」

「……そっちが絶望するようなことを言うからだろ」

「否定はしません。……怖がらせたいと思って意図的に発言しているのではありませんよ?」


 何とも信じられない話だが、ここで疑心暗鬼になっていても仕方ない。頼みの綱はアインだけなのだ。言いたいことがあるとすれば、全て滞りなく終わった後に回そう。

 何にせよ、この語り口だと対応策とやらに目星がついているのだろう。逸る気持ちを悟られないように平静を装いつつ、ウィルはすいと身を寄せる。


「で、その対応策ってのは? 小難しい準備とか要る感じなのか?」

「下準備……は、特に必要ないかと。しかし、場合によっては長時間にわたるかもしれません」


 歯切れの悪い返答だ。あまり気乗りしていないのだろうか。

 それでも、今のウィルはアインしか頼れないのだ。ここまで来たらどんな手段でも構わないから、是非お願いしたい──加えてできることなら、あまり勿体ぶらずに教えて欲しい。

 ウィルの体感にすれば長い沈黙の後、アインが小さく嘆息する。仕方ない、と言いたげな目をしながら口を開いた。


「単刀直入に申し上げますと、あなたが自分自身について思い出せば良いのです。そうすれば、自己が確立されることによって魔術式による束縛から抜け出せる可能性が高い」

「自分自身……って、そんなのおれが一番わかってるんだけど」

「いいえ、あなたは大事なことを忘れています。自分の本来の姿、そして呼び名を思い出せますか? ウィルというのは、いわゆるあだ名でしょう?」

「……まあ、そうかもしれないけどさ……」


 何となく意地を張ってしまったが、ウィルという呼称が後天的に付けられたのは朧気ながら覚えている。確か、底冷えするような雪の日に、同胞たちの前で炎に変身して見せたところ、怪火のようだということでウィルと呼ばれるようになったのだ。人のような名前をつけてもらえて満更でもなかったから、以降気に入ってそう名乗っている。

 だとすれば、自分にはそれ以前の呼び名があったはずだ。個体識別名ではなく、種族を表す呼び名。アインが言うのは、恐らくそちらのことだろう。

 木々に覆われて見えない、恐らく曇っているのであろう天を仰ぐ。この場にいる生物が口をつぐむ中、さわさわと木立の揺れる音のみが聴覚を刺激する。

 一秒、二秒、三秒。加えて数秒とおよそ一分。


「……悪い、無理だわ」


 ついにウィルは降参した。でしょうね、とアインに肩を竦められても反論できなかった。

 どれだけ考え、思考を巡らせても、自分のあるべき姿が思い出せない。かつての記憶ごと塗り潰されたような気分に、言い様もない不快感が押し寄せる。

 本当に、自分は忘却してしまったのだ。何よりも忘れてはならない、自分自身を。


「そう落ち込まないでください。何も今すぐ思い出さなければならない訳ではありませんよ」


 気長にいきましょう、とアインは嘯く。このままではいずれ消えてしまうと脅してきたくせに、無茶を言ってくれるものだ。

 唇があれば尖らせていたところだが、生憎今のウィルはただの怪火である。すーっとアインの側まで近付いて、それなら、と不満げな声色で言う。


「何か話でもしてくれよ。沈黙の中じゃ、思い出すものも思い出せない」

「話……ですか。具体的にはどのような?」

「なんでも良い。……せっかくだし、ここのことでも教えてくれよ。アインはここがどういった場所なのか、知ってるんだろ?」


 何気ない調子を装って持ちかけてみたウィルだが、実を言うとどこかの段階でこの地の過去、廃墟に至るまでの経緯を聞き出しておきたかった。つまるところ、ずっと頃合いを見計らっていたのだ。

 アインは一瞬瞠目し、すぐにこちらを白眼視してきた。真っ黒な瞳に、ふわふわと頼りない火の玉が浮かび上がっている。


「知ってはいますが、良い思い出だけで構成された過去とは言えません。特に出て行く寸前は最悪でした。結果的に廃墟として放棄されているのもうなずけます」

「……要するに?」

「私が傷付くかもしれないのであまり話したくありません」

「おれだって深入りするつもりはないよ。かいつまんで話してくれりゃそれで良い。消えるかもしれないおれに少しは妥協してくれよ」

「むう……」

「むくれても駄目だ。おまえ、見た目よりも年齢としいってるんだろ? そういうのやめといた方が良いぜ、ちょっとイタい」

「今すぐにでも雨が降れば良いのに……」


 アインはそう毒づいたが、静かな森に二人きり、かつ聞き手であるウィルが返答を寄越さなかったため、迫力には欠けた。むしろシュールでさえあった。

 ウィルはこの少女のことを何も知らない。焼け落ちた廃墟に縁があるというのだから、少なくとも十割平穏な人生を送ってきた訳ではないのだろう。

 こういうことを口にするのは失礼だと自覚してはいるけれど、何となくアインには平凡な生活というものが似合わないような気がする。見よう見まねで人間に化け、彼らの中に滑り込んだこともあったが、その時に体験したいわゆる日常を思い浮かべてみても、そこで主体的に活動しているアインは想像できない。恐らく、彼女はそういった風景の中で、誰にも顧みられない背景と化しているのが常なのだ。アインが表舞台に立つとしたら、今のような非日常、それもとびきり無茶苦茶で理不尽な苦境のど真ん中。普通なら戸惑い、絶望し、諦める中、アインだけは表情ひとつ変えずにずんずん前へと突き進んでいく──ように、思える。全てウィルの想像だが。

 やがてアインは嘆息する。くしゃりと前髪を掻き上げると、放り出した花束の方を見た。


「ウィル。あなたは、アカシアの記録なる存在をご存じですか?」


 唐突な問いかけだ。だが、今ここで話題にしたということは、現在置かれている状況に無関係な問いではないのだろう。


「ミモザなら知ってるけど……多分違うよな?」

「ご明察。私が言っているのは虚空アーカーシャのことです。ネムノキは関係ありません」

「アーカーシャ……?」


 聞き慣れない単語だ。無知を晒している自覚はあったが、ウィルは鸚鵡返しに繰り返さずにはいられなかった。

 アインは、こちらの無知に対して笑うことも不快感を表すこともない。淡々と、アナウンスでもするかのように続ける。


「あなたには馴染みがないかもしれませんが、インドで生まれた概念です。空間、天空を指すのが一般的ですが、その解釈には限りがない。すなわち、世の一切を統括、包摂する存在と言えましょう。エーテルと似て非なるもの、と言えばわかりますか?」

「悪いがさっぱりだ。おれは非現実的なことにあまり興味がないんだよ」

「突然の自己否定はやめてください。とにかく、アーカーシャはあらゆる存在を内包しています。これを由来とする概念として、アカシックレコードなるものがあります。全てのはじまりから終わりを記録した、膨大な記憶。形なき情報源にして境界線とも言えましょう。存在の有無は未だに解明されていないので、今のところはそういうものが存在するのではないかという人々の憶測に過ぎませんがね」


 一気に話したからか、アインは一度呼吸を整えた。僅かに胸を上下させてから、再び口を開く。


「先程、一人の男によってこの施設は破滅したとお話ししました。その男の求めていたものこそ、アカシックレコードなのです」

「求めていた……って、そのアカシックなんちゃらは形を持たない、しかも実在すら怪しい代物なんだろ? なんでそんなものを欲しがるんだよ」

「言ったでしょう、欲望故であると。アカシックレコードとは万物の記憶、端的に言えば全知全能の足がかりです。私にはとても共感できませんが、魔術師として至りたい境地があったのではないですか。はそのために集められ、そして破壊まで道連れにされた。傍迷惑な話です」

「確か、ここって表向きは孤児院みたいな施設だったんだよな? なんで全知全能になるために、身寄りのないガキを集めてたんだろう。金や単純な権力でどうにかなる次元じゃなさそうなのにさ」

「それは、」


 言いかけてアインは口をつぐんだ。思わずウィルは彼女の方に視線を向ける。

 今まで、どのような反応を寄越されても平然としていた──言い方は良くないが人にどう思われようが知ったことではないとも言いたげだった──アインが、須臾の間だけだが辛そうな顔をした。今にも泣き出しそうな、あどけない表情。皮肉にも、アインの幼い容姿に釣り合っていた。

 しかし、違和感は一瞬のこと。気付けば、アインの無表情は何事もなく戻っていた。


「詳細なことは聞いていないので、私の推測も入りますが……恐らく、アカシックレコードはただの人の肉体では耐えられない程の情報量を有している。それに押し潰されないための器を作るために、身寄りがなく、そして見込みのある子供たちを集めたものと考えられます」

「器?」

「はい。かの魔術師は、人間性以外は非常に優れていましたから、自身の意識を他者の肉体に移し替えることも可能でした。どれだけ加工を施したとしても、人の身であるからには必ず劣化する。それはアカシックレコードを受け入れるに足る器でも同様です。万全の状態で悲願を達成するために、彼は定期的に自我の入れ物とする肉体を取り替えていた。その候補が、先程挙げた子供たちであり、過去の私でもあるのです」


 まあ私は選ばれなかった訳ですけど、とアインは言う。あっけらかんとした風を装ってはいるが、その目の焦点は不安定にぶれていた。

 選ばれたことで、彼女に悲しみをもたらした子がいるのだ。ウィルは静かに直感する。

 妖精の寿命は長い。少なくとも、人と比較すれば雲泥の差だ。死ぬ、と表現するのは不適切かもしれないが、それでも終わりはある。この世界から消滅し、二度と戻らない。それは人間で言うところの死に相当するのだろう。

 幸か不幸か、ウィルはまだ同胞との別離に打ちひしがれたことはない。人間の知り合いなら何度か見送ったことがあるが、それではアインの悲哀と釣り合わないと思う。彼女は、己と同じ命数の生命体に思いを馳せているのだから。


(かわいそうだ、アインは)


 誰にでもなく思う。アインがかわいそうで、けなげで、いじらしくて、とても見ていられない。

 隣に並ぶ少女が何を背負っているのか、出会ったばかりの自分にはわからないけれど。彼女がどうにか報われて、然るべき賞賛を受けなければ、何だか不公平な気がする。人波の中ではすぐに埋もれてしまいそうなこの子を目立たせるには、皆に認知してもらうためには、一体どうすれば──。


「──ウィル!」


 突如飛び込んできたには、いつになく焦りを含んだアインの声。

 意識を浮上させたと同時に、ウィルの体は強烈な力によって吹き飛ばされた。怪火である故に地面に叩き付けられることはなかったが、同時に肉体を固定させることもできない。実体のない火の玉は、安定性を取り戻すことなく風に煽られて宙を舞う。

 風──そうだ、風だ。今自分を吹き飛ばし、絶え間ない暴を浴びせているのは、どこからともなく吹き付けた強風だ。

 アイン。あの子は、どこにいる。

 二転三転とする視界の中、ウィルは必死に灰色の髪の少女を探す。あの子は小さくて華奢だから、人の体があるといっても、きっと無事では済まない。アインを、助けてやらなくては。


「──は、」


 懸命に振り返った、その先。アインの姿を確認する間もなく、ウィルの目前にはぐわりと開いた掌が迫っていた。

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